Ⅲ/運命の賽
そしてオレアンは、常に潜り込ませている内通者と話を通し、あとは聖堂に戻り連絡を待った。
いつでも動けるように、早馬を手配しておいた。
オレアンの目算では十日のうちになんらかの動きがあるのではないかと見ていた。
相当に、早く見積もって。
それがまさか五日目にして、ベト自身が魔女容疑の娘を伴って、こうして直接乗り込んでくるとは考えてもいなかった。
「飛んで火に入る夏の虫だな、ベトよ」
その様をオレアンは内通者の話を聞いて、感想を述べた。
以前より戦力を王都に集中させているという噂を、オレアンは聞いていた。
それも当然の話だろう。
もし話に聞く、無数の矢を空中に張り付けたという事件が本当なら、それは十二分なほどに警戒に値する相手だ。
だが果たして、その二人はあっさりと捕まったという。
狙いが読めない。
なにしろその当の魔女とされる少女に、オレアンは未だ会ったことがないのだから。
オレアンはとりあえず聖堂を出て、城に向かった。
ベトが一晩も、大人しく捕まっているものだろうかという疑問符は既に浮かんでいた。
果たして予感は、現実のものとなった。
その少し前。
オレアンはアレの魔女裁判の傍聴席に参列していた。
実はオレアン自身、魔女裁判というものの経験は少なかった。
あんなもの、教会のアホな連中の権力誇示の一環くらいにしか思っていなかったからだ。
胸糞悪い。
だがそれを今すぐ止めさせるほどの力を、オレアンはさすがに持ってはいなかった。
いずれは根絶やしにしてやろうとは思っていた。
そしてこんなものを生み出した膿を必ず断罪させてやろうとも画策してはいた。
しかしアレの問答には、いやはや感心したものがあった。
「ふぅむ……」
オレアンはフィマールとは、面識があった。
元々が真面目で純心だった男だが、そのクソ真面目さゆえに思考の袋小路に迷い込み、馬鹿クソ真面目な自分を裏切るような真似を延々こなしているような超絶大馬鹿野郎だった。
だがこの時代、そんなバカは吐いて捨てるほどいた。
きっとそのうち自責の念で壊れるかもな。
そんな諦めにも似た心地をオレアンは抱いていた。
その前に故郷に戻ればいいとも思っていた。
それが。
僅か14歳という少女が看破し、全てを覆そうとしていた。
「…………」
胸騒ぎに、身体が震えた。
恐怖と、歓喜にだ。
予感はある。
しかしそれがどちらかがわからなかった。
可能性はあるだろう。
少なくとも、零ではない。
だが相対するは、この混沌の世に舞い降りた怪物なのだ。
「――――」
直前まで、ギリギリまで迷い、結局介入しないことをオレアンは決めた。
アレにも、声をかけない。
運命の賽というものが投げられた瞬間というのを、3度目、目にした心地がした。
もし止めて、いや――止められないからこそ、それは運命なのだろうと。
そして、手配した。
シスタープライヤ以下連れの者と内偵合わせて19名を城に集結させた。
なにかあった時、すぐに動けるようにと。
果たして勃発した大乱戦。
そして胸を貫かれた少女。
その後なんの奇跡か加護か乙女は蘇り、紆余曲折の果て我が主は我が最愛の友であり生徒によって追い詰められ、そして名もなき一侍女によってその命を、終えた。
因果応報だなんて陳腐な言葉で、終わらせたくはない光景だった。
屍だらけだった。
まるで戦場のそれだった。
オレアンたちは結局一切介入できなかった。
それほどの、それは戦闘だった。
そしてオレアンは、愕然とするフィマールの横を通り過ぎ、倒れるベトに縋りつく泣き喚くアレの元へと歩み寄る。
「……お嬢さん」
アレに、反応はない。
もう一度。
「お嬢さん……そこで泣いている、お嬢さん」
三たびにも及ぶ呼びかけにも、アレに反応はなかった。
「……なんだ、おっさん?」
そこで眉をひそめたレックスが問いかけたが、しかしそれに悠長に答えている時も無かった。
今でこそ静寂を保っているこの玉座の間にも、しばらくすれば無数の人間が殺到しよう。
そうなればもはや手も無い。
止むをえん、とオレアンは即断。
後方へとオレアンはアゴをしゃくり、
「失礼」
合図を受けた男はアレの首筋に、手刀。
「────」
それにアレはベトに織り重なるように、気絶。
突然の状況に、レックスは目を丸くし、激昂──
「な! なにしやがるてめ――」
しかけたが、
「逃げるぞ」
口調が切り替わったそれに、レックスの目つきが変わる。
「――あんた、何モンだよ?」
「ベトの、せんせいというやつだ」
にかっ、と笑い、それでレックスは信用した。
こんな修羅場で笑ってられるような奴が、教会や貴族の人間であるわけがないと。
悠長に話したり、検証したりするような余裕など戦場ではない。
それが逆に、オレアンの言葉を助けた。
まぁ実際オレアンも、それを狙って言ったわけだが。
「……どうするんだ?」
「ツテがある。それで逃走経路を確保しよう。頼むぞ」
「お任せください」
言葉を送られた男は返答し、そして踵を返して扉の向こうに消えていった。
レックスは理解できなかったが、オレアンが送り込んだ内偵であり、先に城に出向き注意をひきつける役を負っていた。
バレれば、後ろ盾のない彼は死ぬ以外有り得ない危険な任務だったが、一度も振り返ることはなかった。
その事実だけは、レックスも理解していた。
その隙に、レックスとオレアンの連れに抱えられたベトとアレは、城の中の隠し通路を経て、外へと脱出した。
途中誰に見咎められることはなかった。
そしてこうして聖堂に身を隠すに、至った。
脱出の直前、一度だけオレアンは侍女とフィマールの様子を確認した。
侍女は半狂乱――というより完全に頭のネジが外れ、猛り、狂気に身を委ねていた。
その姿はある種、あらゆる戒めから解き放たれ、自由を謳歌しているようにもオレアンには視えた。
フィマールは、ただ運命の奔流に巻き込まれるがまま、抵抗できずにいるといった体だった。
おそらくは、自分の出現にも気づいてはいない。
ただただ目を丸くして、ガクガクと震えるしか出来ない。
それは結局様々な不満、憂いを抱えながらも一切の行動、思考を放棄してきたツケと言えた。
それに僅かながら、オレアンは寂しい想いを感じ得た。
一時は、共に杯を交わし、理想を語り合った仲だけに。
とりあえず、これでオレアンは一安心と思っていた。
実際教会は、政治や軍とは不可侵の立場にあった。
神に背く者には災いが訪れる。
それは事実であり、それを侵そう、汚そうとする者は皆無だった。
職権乱用だよな、とオレアンは笑った。
笑って自室で机の前に座り込み、飲みかけのワインを乱雑な仕草でグラスに注ぎ、煽った。
歳を取ったと思っていた。
「…………」
胸の中を、形容し難い想いが駆け巡っていた。
エリオムが、死んだ。
君主が死んだのだから、王が崩御されたのだから、配下としては泣いて悲しみに暮れるべきなのはよくわかる。
歳を取ったと思っていた。
自分が普段考えているよりも、ずっと。
当たり前の、規範といわれる行動が取れない。
ただ渇ききった大木が罅割れるような心の在り方を、どうしようもなかった。
想いが泡のように浮かんでは消えていった。
主よ。
私は皆が言うほど、嫌いではありませんでしたよ?
主よ。
貴方は今際の時、なにを考えておられたのでしょう?
主よ。
貴方は確かに一国の当主であられましたが、私は密かに友のような想いを抱いていましたよ?
歳を取ったと思っていた。
もう、涙も出ない。
ただ溢れる空虚な想いに、心潰されるような心地だった。
ベトとアレを想った。
彼らのせいで、我らが君主は死んだと言っていい。
だがそれを責める気持ちは、オレアンには欠片も起こらなかった。
時代はいま、動きだしたのだ。
それを自分は望んでいるのかどうかすら、わからなかった。
歳を取り過ぎた。
望むことと、その結果に身体と心が符合してくれないのだ。
理屈では分かっいても、本心がついてきてはくれない。
それを表だって、出すことすら出来ない。
先ほどのアレの接吻を思い出す。
ああいう衝動こそが、すべての生の原点だ。
その力は途方も無く強く、そして美しい。
彼女ならば、あるいは――
ベトよ。
お前はその時、どうする?
オレアンは最初の一口で空にしたグラスを掴んだまま、じっと虚空を見上げて物想いに沈んでいた。




