Ⅹ/叶えられない願い
突然、なにもかも消えた。
視界も、音も、手足の感覚さえ。
だからまったく、わからなくなった。
なにが起こったのかも。
そして、自分がどうなるのかも。
終わったのか、と考えた。
「……ああ」
だけどなぜか、どこか、心の中で安心してしまった。
ずっと、張り詰めてきた。
したくないことも、出来ないことも、神との契約だから死んだ気になって、やり遂げてきた。
それが自分に与えられた、使命だと信じて。
信じることだけが、自分を支えてきた。
だけどそれこそ、生きた気はしなかった。
辛かった。
だけどそれでも、やらなくてはいけなかった。
死んだように生きるのもそれこそ死にそうだったが、だけど死ぬ気で生きるのも死にそうなことだった。
自分は、生きることがあまりに不器用なのだと思う。
というよりも、自分は生きることに向いていないと思う。
だから終わったのなら、それでも良いのかと思った。
いや、思おうとしたのかもしれなかった。
「わからない、なぁ……」
ふと、アレは呟いていた。
やりたくないとか、生きるのは疲れたとか、色々言ってしまったが、実際相手が自分に心許してくれた時は、言葉では言い表せないくらいに嬉しかった。
それに自分でなにかをやり遂げていくことに、手応えのようなものを感じていた。
そういうことを色々思い出すのは、なんだか不思議な感覚だった。
ずっと、そんなこと考える暇なく駆け抜けてきたから。
「でも、ここはどこなんだろう……?」
ここが天国なのかとも考えた。
それとも地獄?
考えることしか出来ない状態では、ただ想像することしか出来なかった。
なんだかここまでやってくる前まで、戻ったような気分だった。
ベッドの上で、想像ばかりしていた。
なんであの子は殴られてるんだろう。
なんであの人はあんなに怒ってるんだろう。
なんで周りの人は誰も止めてはくれないんだろう。
手を伸ばせない、関わることが出来ない世界。
ずっと考えていた、だけだった。
夜の月に、願っていた。
どうかこの世界が――哀しさから、解放されますようにと。
ただ、願っていた。
そうだった。
自分の根源は、願うことから始まっていた。
なにかを、どうかと。
その願いは、果たして遂げられたのか?
遂げられなかった願いは、どこに行くのか?
叶えられない願いなんて。
哀しい世界なんて。
【――壊してしまえばいいのよ、アレ・クロア】
それが誰の声かと思った時――それが自分の声なのだと、気づいた。
語りかけていたのは、自分自身だった。
まるで血の海で、泳いでいるようだった。
斬っても斬っても、人からは血が吹き出る。
まるで血が詰まった血袋だった。
人は血で出来ている。
自分の剣が相手の頸動脈を切り裂き、後ろからかかってきた相手の剣が自分の目の横を通過して行きながら、ベトは思った。
極限状態に事ここで至った。
集中力が高まった状態により、視界のすべてがスローモーションのようにゆっくりに見えている。
相手の剣が、目の先を横切っている。
それを躱し、相手の喉元に剣を突き立てる。
既に先がないそれは、刺すというより骨を穿つ鈍器のような役割を果たした。
続いて、横の敵が胴を薙ごうと剣を振りかぶってくる。
それを躱そうと、腰を引く――が、躱しきれず、微かに肉が、抉られる。
「かっ!」
火が吹き出るような激痛に、一瞬身体が硬直する。
その隙を突くように、上から槍が降ってくる。
「ぐぅ……!?」
それもスローモーションに見えているが、しかし身体がついてこない。
当然のように。
それをなんとか前転し、回避する。
反撃する余裕なんて、まったくない。
「ゼッ! ゼッ! ゼッ! ゼッ!!」
息がまったく整わない。
手先が痺れて、ついてこない。
汗が全身覆っていて、視界すらまともではない。
既に、何人倒しただろうか?
一応普段の癖で7人目くらいまでは数えたが、あとは思考そのものが消え去った。
そして集中力だけが高まり続け、限界までいった。
しかしそれに反比例して、身体の方は徐々に機能を停止していった。
「ガッ、ハッ……ッ、ぐ!」
なんとか膝たて立ち上がり、剣を構えた。
その切っ先は震え、おぼつかない。
重い。
なぜこんな重い剣を選んだのかと、過去の自分を責めたい気分になってくる。
いつまで続けられるのかと、絶望が脳裏を掠めた。
「おうらァ!」
敵が、必死の形相で襲いかかってくる。
得物は、槍斧。
逃げようかと考えたが、既に足がバカになっていた。
しかたなくスタンスを広く取り、剣を両手で、身体の上を覆う。
重い、衝撃。
「ヅっ……く、なろ!」
目を充血させ、剣を横殴り。
しかしそれは容易く槍斧の側面に、受け止められる。
そのお返しとばかりに――強烈無比な突きが、穿たれる。
「ヅゥ――っ!!」
なんとか剣の腹で、受け流した――いや違った、実際はもろに剣の腹の上から喰らってしまった。
衝撃は背中を突き抜け、そのまま遥か後ろの壁にまで到達したようですらあった。
4メートルは、吹っ飛んだ。
ひとはこんなに飛べるのか、と少し滑稽ですらあった。
地面に、衝突する。
身体が二、三度バウンドした。
それと同時に口から血を吐き、それに自分が濡れそぼった。
アバラが何本か、持ってイカれたらしい。
ハハハ。
なぜか楽しくて仕方なかった。
槍斧を持った敵が、目の前までやってきてこちらを見下ろす。
よく見ればそれはいかつい鎧に巨躯、兜の間からは太い眉と濃い髭が見てとれた最初に自分と問答をした隊長格の男だった。
槍斧使いだとは、やたらと似合ってやがる。
「まったく……あそこで殺しておくべきだったな」
苦虫を噛み潰したような声。
その男の視線をそのまま追うと、自分が殺した躯の山。
「大暴れしてくれたものよな……さすがは悪名高き首斬り公」
「脱帽したか?」
ニヤリ、と笑ってやる。
残念だが、もう身体は動かない。
弔い合戦はここまでのようだった。
最後にと横目で、アレの亡骸を確認する。
もしもなんらかの手を出してやがったら、怒りのぱわーで目の前のこいつくらい道連れに出来るかもしれないが。
そこでベトは、それまでの思考が吹き飛んだ。
「あんた……なにしてんだよ?」
既に二人以外の視線は、それに釘づけになっていた。
誰も、なにも言わない。
戦闘が隊長格の男によって一段落したとたん、警備の正規兵たちもそちらに視線を奪われていた。
死んだはずのアレが、立ち上がっていた。
「……は、ハハ」
その中でベトは、思わず笑みを漏らしていた。
俯き、尋常な様子ではない。
手はだらりと垂らされ、そして杖なしで立っていた。
顔色もなく、視線もおぼつかない。
みな、驚愕と恐怖の表情でそれに釘づけになっていた。
ざまァ見ろ、とベトは思った。
お高く止まって、この国をこんな風にしたお前らが、たったひとりの少女に度肝を抜かれてやがる。ざまァ見やがれ。
さあアレ、やっちまえ。
「……ベト?」
といい気になっていたベトに、しかしアレはいつもの様子で声をかけてきた。
それにベトの方がへ? と眉を下げた。
アレはただ呆然自失としたように、こちらに頼りない足取りで歩いてくる。
口からは血を滴らせ、そしてその、胸からも。背中からも。
どうしたって、いうんだ?
「あ、あんた……?」
「ベト、ベトぉ……」
「――この、魔女がっ!」
残っている十人強の兵士のひとりが、アレの気弱な様子に我に帰り、剣を構え、
「やめ――」
アレの肩口に、斬りつけた。
血がパッ、と弾ける。
まるで綺麗な、花火のように。
剣が、鎖骨を砕き、深いところまで食い込んでいた。
その光景に、ベトの頭は瞬間沸騰する。
「ッ! て、め――」
先ほど自分が冗談交じりで思った通りの怒りにより、力がこもった身体でそいつを真っ二つにしようと身体を起こし、
「ベト……」
気づかない?
アレは剣をめり込ませたまま、やはりぼうっとした様子で歩みを再開する。
それに呆気にとられた男の剣は、歩みのままにずるりと抜ける。
血がボタボタと、なぜかだらしなく見えるように零れる。
アレは、見ていなかった。
自分に投げかけられる奇異の視線も、振り下ろされる刃も、場を支配する王の威厳も。
そのなにもかも放し出しただ、ただ、ただ――ただただ自分だけを、見ていた。
「あ、あん、た……」
「ベトぉ……」
腕に、飛び込んできた。
いや、崩れ落ちてきた、という方が近いかもしれない。
その身体は、泣きたくなるほど、軽かった。
なぜ自分がこの子の体重が軽いことで泣きたくなるのか、ベトは理解できなかった。
だけどそのわき上がる感情を、抑えることは出来なかった。
一瞬前まで、すべて滅ぼしてしまえと荒々しい感情に支配されていたというのに。




