Ⅸ/国王エリオム十四世
「なんだ、お前は?」
冷ややかな視線にも、アレは怯むことはなかった。
というより、理解しているのか不安になった。
アレにとって王国の知識は、余りに少ない。
「わたしは、その、世界を……」
「なんだ、と我が聞いておるのだ。答えんか」
ビリ、と重圧をこちらが感じるほどの、高圧的な問いかけ。
それにアレは明らかに、うろたえた。
ここまで相手の話を聞かない――存在を認めない存在という者に、出会ったことがないのだ。
それでもアレは、どこまでいってもアレだった。
「あ、は、はい。わたしは、その、国王陛下にお話を聞いて欲しく……」
「ふざけているのか、貴様?」
「い、いえっ……そ、そんなことは、ないですっ。ただ、わたしは話を……」
「フィマール」
「は、ハッ!」
とつぜん名前を呼ばれ、フィマールは慌てて返事をした。
エリオム十四世は表情、格好こそ変わってはいなかったが、あきらかに不興をあらわにしていた。
「貴様、我に無駄な時間を取らせおって……相応の覚悟はしておるのだろうなァ?」
「い、いえ! この娘は、ただの娘では、ございません……!」
頭は下げたまま、決死の思いといえる面持ちでフィマールは叫んだ。
「なんだ? この娘が、この戦争を終わらせるとでも言うのか? あ?」
「終わらせます」
二人の会話に、アレは割り込んだ。
初めて、エリオム十四世は微かにだが眉をあげた。
「――なんだと?」
「終わらせます。わたしが戦争を、終わらせてみせます」
いつもの落ち着いた様子に、アレは戻っていた。
というよりも、見せかけていた。
ベトは気づいていた。
その胸の内が、信じられないほどのプレッシャーに押しつぶされそうになっていることを。
握りこんでいる左手の、僅かに震える小指から。
それを抑えつける強さは、なんだろうと考えた。
尋常ではないそれは――言っていた、一度死んでいるという想いに起因しているのだろう。
一度死に、そして神に救われたから、その使命にすべてをかける。
だからこそ、彼女は命懸けで行動しているのだろう。
だからその行動は、心を打つ。
「ほう……」
初めてエリオム十四世は目を細めた。
それにぞく、と嫌な予感がベトの背筋を駆け抜けた。
それはその場にいる者たちすべてが近い想いのようだった。
ざわつき、戸惑っている。
しかしその最中、アレだけは真っ直ぐにエリオム十四世を見つめていた。
睨んでいた、わけではない。
瞳に力を込めて、その姿を視界に収めていた。
負けないように。想いが届くようにと。
「貴様が、戦争を終わらせる?」
「はい」
「どうやってだ、あ?」
「わかりません」
「ふざけるなよ、貴様」
ふい、とエリオム十四世は右手を振り下ろした。
その意味が、アレはわからなかった。
ただなんだろう? と首を傾げていた。
その瞬間、ベトは飛び出していた。
「アレ……アレ=クロアッ!!」
叫びに、アレは振り返った。
突然の声。
それは聞き慣れ――そして今日一度も、聞いていなかったものだった。
「ベト……?」
ベトがいた。
懐かしかった。
離れていたのは、ほんの数時間くらいしか経っていなかったのに、それは不思議だった。
きっと心細かったのだろうと思った。
ずっとみんな自分に何者だ、どういうつもりだ、魔女だろうなどとまくし立てて、それに立ち向かうのにも、疲れていた。
そこでベトが、来てくれた。
嬉しかった。
安心できた。
ベトに。
それはなぜだろうと一瞬アレは思い、それがきっと、自分になにかを強制しなかった態度なのだろうと思った。
娼婦だと勘違いだけはしたが、だけどこうだろうとか、こうなのか、とか、そういう詰問はなかった。
ただひたすらは、わたしの在り方を尋ね、そしてそれをただ手伝ってくれると言った。
愛想笑いも、嘘の言葉も何もなかった。
だから自分は、その時思いがけず泣いてしまった。
自分にとって、ベトに会えたことこそ運命なのだと思った。
そうでなければ自分は祖母が亡くなったあの村で、不自由なこの足できっとどこにも行けず辿りつけず、きっとその辺で野垂れ死んでいたことだろう。
ベトには感謝しても、しきれなかった。
だから世界を変えることが出来たあとは、わたしはベトのために生きよう。
アレはそう思った。
そう思って、アレは柔らかく微笑んでいた。
その胸を、一本の槍が貫いてた。
その瞬間、正体の知れない感情がベトの胸中を渦巻いていた。
怒り?
恐怖?
悔恨?
悲しみ?
そのどれともつかず、そしてそのどれでもあるようにも思えた。
ただ悲しみ、という単語が浮かんだ時、胸が締め付けられるような感覚に、襲われた。
「てめぇゴラァ!!」
気合い一閃、ベトは後ろからアレを槍で貫いた男の頭を鞘に差したままの剣で打ち、払った。
男は吹き飛び、そのまま貴族たちがざわつく中に埋もれた。
貴族たちは突然の展開にほとんど恐慌状態に陥る。
そんなもの、ベトは眼中にも入っていなかった。
「ッ……あんた、おい、あんたッ!」
アレの身体を支え、必死になって呼びかける。
既にアレの意識はない。
ショック状態に近い。
その口元からは血が滲んでいる。
胸に刺さる槍が邪魔だったが、抜くわけにもいかなかった。
それだけで、失血死する可能性がある。
どちらにせよ、もう手遅れにしか見えなかったが。
「っ……くっそ、アレ! アレ=クロア! 起きろよ、おい、起きろよ! 世界、変えンだろ? 変えるんだろうが、哀しい世界を救うんだろうが! あんたが死んでどうするっていうんだよォオオオ!!」
「なんだ、貴様?」
冷たい声に、ベトは黙った。
諸悪の根源、今の世界を作った男。
その声に、ベトの心は怒りの一色に塗り、潰された。
「……あんたさまが、オレの雇い主かい?」
アレをその手に抱いたまま、ベトは振り返った。
その視線の先には、最初からなにも変わらない在り方を保つそれが、こちらを見下ろしていた。
「誰だ貴様は?」
「……そらァ、知らねぇだろうけどな、オレみたいな末端は。だがそんなことはどうでもいい。あぁ、どうでもいい。そんなことよかァあんたさまは……ンでこの子を、討ちやがった?」
ギチリ、とベトは歯を噛み締めた。
エリオム十四世は、つまらなそうに吐き捨てた。
「時間の無駄よ。それをさせた罪人を、処罰したに過ぎぬ。貴様も雇われというなら、さっさとゼラード帝国を滅ぼしてこい。そうすればそこの娘も浮かばれるだろう。世界が、変わるからなァ」
にやり、と初めてエリオム十四世は、笑った。
その瞬間、ベトは理解した。
この状況。
自分が死を当たり前のように振りまき、受け入れて生きていかなければならず、アレが孤児として不自由な体で生きていかなければならず、哀しい世の中であるその理由。
「あんたか……」
アレを床に寝かせ、ベトを呟いた。
そして無言で、剣を抜いた。
そして鞘を、捨てる。
もう、必要ない。
もう、鞘はない。
「あんたが……元凶か」
「やれ」
もはやエリオム十四世は、会話すらする気はなかった。
ただ一言、号令を下した。
一斉に護衛たちが襲いかかる――より先に、ベトは突っかけ、その大剣を振りまわしていた。
それに最初の一列が、吹き飛ぶ。
「ぬぉ!?」
「ぐえっ?」
「なっ……!」
「アアアアアアアアアっ!!」
ベトは修羅と化した。
斬った。
斬った。
斬って斬って斬って、斬りまくった。
襲いかかってくる奴は、斬って捨てた。
向こうにいる奴は、斬って投げた。
後ろから槍で刺されそうになって、振り返り剣でうち払い逆に鎧の上から剣をブッ刺した。
剣の先が、十センチほどへし折れた。
構わない。
考える必要が無い。
もうそんな余分なことは、消え去った。
ただ、殺す。
目の前の敵じゃない。
貴様ら何ぞ、眼中にない。
この城のそのものを、殺す。
そしてこの世の元凶である――貴様を、殺す!
「エリオムっ! 貴様……貴様貴様よくもアレ=クロアを……殺してくれたなァ!!」
「ほう、なかなか勇猛な男よな」
頭からバケツで被ったような血まみれの修羅のようなベトが、血を吐きながら叫んだ。
それをエリオム十四世は、頬杖をついたままつまらぬものを見るように呟く。
そこで周りの遊女たちがベトの迫力に扇を煽ぐのをやめていることに、気づいた。
「……どうした?」
「え、いえ、あの……」
「お前らも、死にたいか?」
「ひっ! い、いえ……!」
まともに言葉も紡げない様子で、遊女は慌てて煽ぐのを再開した。
そしてエリオム十四世はもう一人を手招きし、その遊女はびくびくしながら近付き、エリオムはその唇を、貪る。
ベトは眉間を、しかめる。
「きっさまァ! オレたちをバカに……バカにしてんのかァ!!」
「よそ見してて良いのか? あはは」
「ぐッ!?」
一瞬の隙をつき、真横から飛び込んできた槍をなんとか首をひねって、いなす。
頸動脈の薄皮が、持っていかれた。
血が、噴き出す。
死が、影からこちらを覗いていた。
「の……やろうがァアアアアア!」
思い切り大剣を振りかぶり、兜の上に叩きつけた。
頭は完全に陥没し、血がポンプのように噴き出る。
それをかぶり、ベトはまるで血ヘドロの化け物のようになる。
「ハッ……ハッ……ハッ……あああ!!」
乱れる息、火のようになる心臓、鉛のように重くなる手足をなんとか振り乱し、ベトは再び大剣を振り上げた。




