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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅰ/絶望のはじまり

 アレは、母の墓を作った。


 家の裏手に。

 既に村の人間のほとんどが、おそらくは自分の家と同様に襲われたのか、みな逃げだすか――殺されてしまっていて、村はガランとしてしまっていた。


 もはや、今までの人生は続けていけないということは、明らかだった。


 もう、祖母はいない。

 もう、食べ物も飲み物と、やってきてはくれない。


 窓で閉ざされた、ずっとベッドで寝てさえいればいいあの狭い空間は、二度とは戻ってこない。


 これからは、自分一人で生きていかなくてはならなかった。


「……おばあさん」


 その場で、アレは泣き崩れた。


 今まで支えてきてくれたことが、失って初めて骨身に染みていた。


 ありがたかった。

 感謝はしていたが、それでもまったく足りないものだった。


 最期に自分の命を、助けてくれた。

 あれがなければ、自分はここでこうしていない。


 たった一人、生き残ることができた。


 でもこれから先を、生きていく自信はない。

 何のアテもない。


 自分はベッドの上から外を眺める以外の生き方を、知らなかったから。

 あの悲しい世界に飛び込む勇気以前に、その発想すらもなかったから。


 だけど、やらなければいけない。


 死ぬと、死んだと、そう思った瞬間心の底から、細胞の一つ一つから、自分は誓った。


 命を神に、捧げる。

 その代わり、世界を変えると。


「う、ぅう……っ!」


 強く、ロザリオを握り締めた。

 伝わる痛みが、おばあさんを思い出させた。


 諦めるわけには、いかなかった。

 どんなに苦痛でも立ち上がり、向かわなければいけなかった。


 対象すら、姿すらわからない相手に。

 わからなくても、身体が動かなくても、どこかへ向けて歩き出すなくてはならなかった。


「っ、う……」


 涙を拭って、アレは祖母が時折使っていた杖をついて、立ちあがった。

 それに両手で、全体重を支え、アレは一歩一歩と歩み出す。


「おばあさん……いってきます」


 最後にもう一度振り返り、アレはあてのない旅に身を投じていった。




 村の全景を、初めて見ることになった。


 それは思っていたよりも、ずっと大きかった。

 窓から見えていた世界は、村のほんの一部に過ぎなかった。


 同じような街角を何度も目にしながら、そして村の入り口までやってきた。


 そこには繋がれた馬が3頭もいた。

 すごい迫力に、アレは圧倒された。


 そこで、体力は尽きてしまった。


「ハァ……ハァ……」


 ぐったりと、くず折れるようにその場に倒れ込む。


 まるで動いたことがなかったから、あっという間に限界を迎えてしまっていた。

 窓から見えた走りまわっていた子供や大人が、少しだけ羨ましく思えた。


 これから、どうしたらいいのか?


 ここまで、誰ひとりとも会わなかった。

 このまま村にいても、どうしようもない。


 だけど村を回るだけでも、この有様だ。

 このあと、どうすればいいのだろう?


 へたり込み、両手を後ろの地面につき、天を仰いだ。


 青いまっさらな空が、そこには広がっていた。

 広い広い空だった。


 こんなに、空は広い。

 そして高い。


 それを初めて知った。

 自分が存在する世界は、こんなにも広い。


 手を、伸ばした。


 届かない。

 まったく、なんにも。

 自分の小ささ、無力さを思い知らされる。


 あれから、ずっと考えていた。


「――――」


 あの時、この身体に降り立った不思議な感覚のことを。


 あの瞬間自分は、なにか違ったようにすべてが見えた様な気がした。

 もちろん気のせいかもしれない。


 だけど今までそれは一度も訪れたことはなかったし、そしてその直後自分はこうして生き延びることが出来た。


 神といえば、神だったのかもしれない。


「よぉ、お嬢さん」


「?」


 そこで唐突に、アレは声をかけられた。


 それにアレは首の裏がビリっ、と痺れるような感覚を味わう。

 祖母以外の人に、初めて話しかけられた。


 今まで見ているだけだった世界に、こうして飛び込んでしまったことで。


 だから反応の仕方も、わからなかった。

 ただ声のする方に、条件反射のまま振り返った。


 見慣れぬ男性がひとり、こちらを見下ろしていた。


「…………」


 不意に、アレは恐くなった。


 男は突然家に押し入り、祖母を殺してすべてを奪っていったあの下卑た男たちと同じような鉄の塊を身体につけていた。


 そして腰にはひと振りの剣。


 あごに僅かな、無精ひげがあった。

 それほど不潔な感じはしなかったが。


「…………」


 なにを言うべきなのかわからず、アレはただ身を竦めて、その男を睨むように見つめた。


 しかし男はアレの様子に気づかぬように無遠慮な視線で舐めまわし、


「っへぇ……こんな辺鄙な村で、ずいぶん上等な娘だな。肌は雪みたいに真っ白で、髪もずいぶんと綺麗、と……こりゃいい、役得って奴だな」


 その文章に含まれる単語の、なに一つとして理解は出来なかった。


 ただその視線と言葉に含まれる調子に、あまりよいことは言われていないだろうことは感じ取っていた。


 だからただじっと、男を睨んでいた。

 それに男は肩をすくめ、


「っと、おいおいだんまりかよ? ずいぶんお高くとまってやがんだな、なら俺の方から聞いてやるよ。あんた、いくらだい?」


「――――は?」


 そこで初めて、アレは反応らしい反応を見せた。


 いくら、という言葉の意味なら知っている。

 量や、時として価値のことを訊く単語だ。


 しかし、それを人に――自分に、尋ねている?


 わたしの、価値。


 アレはただ、無言で男を見つめた。

 それは問われた言葉を、なんとか理解しようと反芻していることに他ならなかった。


 今までのような敵意とは、変わっていた。


 しかし当然男にそんな事情を察することは出来ず、


「ん? ……ま、いーや。あんたくらいお嬢さんお嬢さんした上玉なら、いくらぼったぐられても構わねーや。いこうぜ」


 アレの手首を掴み、連れ去ろうとする。


「ちょ、ちょっと……!」


 それにアレは慌てるが、男は構う様子もない。

 ぐい、と座り込んでいるアレを引っ張り、それにアレの身体は持ち上げられ――


「あ」


 カチャン、とアレの首かけてあったものが、地に墜ちた。


「お?」


 それは、祖母が持たせてくれたロザリオだった。


 最期の時、その身体を呈し、命を懸けてアレを守り、その血によって塗れ、土により汚れたそれは、純度が極めて低い安物の銀メッキにより作られていた。


 しかしそれでも、貴重な貴金属だった。


「いいね、ロザリオか。あんた尼さん? こりゃ、売ればちょっとした金に……」


 と男が伸ばした手――に深々と、四筋の傷がつけられる。


「っ?」


 その勢いに、男の手は向こうへ弾かれる。


 そして元あったその場所で――獣のように前傾し、八重歯をむき出しに息を荒げ、右手の爪を鉤ヅメのようにして構えたアレがいた。


「ふーっ……ふーッ……!」


 その異様な光景に、男は眉を曲げた。

 甲からダラダラと流れる血を、反対の手で抑えながら。


「――――」


「ふー……うぅッ!」


「……っへぇ、面白ぇ」


 と口を曲げて呟き、おもむろにシャラン、と音を立てて腰の剣を抜き放ち、それをアレに――手渡した。

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