Ⅷ/赦し
「……娘よ、それが神であるという証拠は――」
「ありません」
「……なぜだ?」
フィマールは呆然と呟き、裁判席から下りてきた。
それにより聴衆の注目が集まる。
隣の二人の裁判官も身を乗り出して何事かと見守っている。
「お前はなぜ、そう言える? そんなことが言える? 神だぞ? 神などとのたまうからには、天罰も覚悟しておるのだろうな?」
「していません」
うろたえる聴衆、フィマールに対して、アレは清々しいくらいの笑顔だった。
それにフィマールは――アレの両腕を、掴んだ。
裁判官のひとりが、声をあげる。
「フィ、フィマール殿……て、手をあげては……」
「なぜだ?」
しかしフィマールには、まったく声は届いていないようだった。
その様子には、尋常じゃないものがあった。
それにみな眉をひそめ、戸惑い――ただアレだけが、その瞳を真っ直ぐに見つめていた。
「お前は、なぜ……そんな大それたことが言える!?」
「あなたはなにを、怯えているんですか?」
ピタリ、とフィマールの動きが止まった。
震えも言葉も、なくなった。
それにエミルダが顔色を窺うように、
「さ、裁判長? あの、どうかして……」
「お前はなにが見えている?」
とつぜんフィマールが、問いかけた。
その相手はもちろん、エミルダではない。
「なにも見えてはいませんよ」
「嘘をつくな……お前は、魔女なのか?」
「違います」
「ならなぜ、そんなことが言える? なぜそんな風に平然としていられる。なぜそんな目を、出来るのだ?」
腕を掴んでいた手が上がっていき、アレの顔に伸びる。
それはゆっくりと、こちらを覗き込むアレの瞳に翳される。
もう一人の裁判官が、息を呑む。
「フィ、フィマール殿……お、落ち着かれて……」
「答えろ。お前は、何者だ?」
一触即発。
いつの間にか魔女裁判が、無抵抗のアレを、二つの瞳に手をかけようとするフィマールが尋問するという構図になっていた。
フィマールが、じぃとアレを睨みつける。
その瞳がなにを言うか、その内容によってはただでは済ませないと語っていた。
フィマールは、元はただの神官だった。
礼拝堂で神に仕え、日々迷える子羊を導くのが職業だった。
しかし国は荒み、人々は餓え、そのなかで国は魔女の魔術によるものという洗脳を受け、そのあおりを受けこの魔女裁判の裁判長に任命された。
最初は懊悩し、自分の在り方にすら悩んだものだが、どんなものでもひとは慣れるもので、今では当たり前のルーチンワークのようにこなしている自分がいた。
なにをどうこうという話ではない。
ひとの身ではどうにもできない運命の流れがある、ということだ。
しかしこの娘の瞳は、なんだ?
まるでこの自分を、糾弾しているようではないか?
「答えろ……お前は、お前は――!」
「あなたの罪は、あなた自身が赦すしかありません」
どくん、とフィマールの心臓が鳴った。
なぜ心が読める?
いや、それよりも――
「罪、だと? 私、自身が赦す、だと? そんなこと……そんなこと、決してあってよいものかッ!!」
激昂するフィマール。
周りは何事かと、固唾を呑んで見守っている。
エミルダが前に出ようとして、裁判官たちもあたふたと慌てている。
アレは結局最後まで、その在り方を変えなかった。
「あなた自身が赦さなければ、あなたの罪は決して赦されることはありません。あなたは死ぬまで、運命に捕われた囚人となるでしょう」
「う、運命……だ、と?」
「運命です。あなたはただそれに甘んじているだけです。無理だと、仕方ないと、自分に言い訳して」
「っ……」
初めてそこで、フィマールは言葉を失った。
あまりに自分の核心をつく言葉に、返す言葉が無かった。
怒りを見せることは、つまりは図星をつかれたことを証明することに他なかったから。
「な、ならば私は……いった、どうすれば――」
「手伝ってください」
アレは気負わず、言葉を紡いだ。
あまりに自然だったため、それはするりとフィマールの心の中に入っていった。
「私に……出来ることが、あるのか?」
「きっとあります」
にこやかに、アレは答えた。
「でなければ、わたしたちは苦しむために生まれたとでもいうのでしょうか?」
その姿はまるで天使のように、フィマールには映った。
ベトはただ、剣を背負って城の中を進んでいた。
愛剣を取り戻すと、随分気持ちは楽になった。
この剣を持って、負けたことはない。
まあ負け=即・死だから、それは当然といえば当然だったが。
この先なにがあっても、この相棒と一緒ならという気分にもなっていた。
「……どこだ、アレ?」
廊下を進み、壁に張り付き、ベトは口中で呟いた。
先ほどの出来事が、気にかかっていた。
とつぜん目の前に現れ、聞いたことがないことをまくしたて、この愛剣を渡してくれて――まぁそれは助かったが、そしてどこかへ消えてしまった。
なぜ場所を、言わなかった?
助けてやると、言ったのに。
「どこにいる、アレ……」
もうあれから、かなりの時間が経っているはずだ。
腹の減り具合でわかる。
いい加減、力が入りにくくなってくる頃合いだし。
ドンパチするならそろそろ出くわして欲しいんだが――
人の気配。
ベトは息をひそめ、気配を殺し、様子を窺った。誰か?
また貴族か?
手を脇と腰の間に、差し込む。
暗殺なら、こっちの方が都合がいい。
ざっ、ざっ、といくつもの足音が迫ってきた。
ひとりじゃない。
これは10人以上の行進だと判断し、ベトは咄嗟に窓から身を乗り出し、両手で枠に手を引っ掛けて身体を支えた。
そして目だけを、覗かせた。
銀の美しい長髪に、目を奪われた。
「ア、レ……?」
アレは十数人もの偉そうな貴族やら僧侶やらを率いるような形で、その先頭を歩いていた。
いや実際形だけ見れば、引っ立てられていると言った方が正しいだろう。
一瞬助けに飛び出そうかと考えた。
しかしそれにしては妙な空気を感じた。
「…………」
1秒未満考え、ベトはあとを追うことにした。
頃合いを見図り、廊下に着地する。
ある程度の距離を保てば、まず見つからない自信はある。
アレはじっと、前だけを見ていた。
振り返る様子はない。
いや違う、とベトは気づいた。
あれは様子が無いのではなく、余裕がないのだと。
張り詰めている。
珍しいと思った。
しかしそれは考えてみれば当然だとも思えた。
元々あの子は、強いわけじゃない。
だが使命感に体中を縛りつけて無理やり動いている――と、ベトは一人解釈していた。
多分に理解が難しいところもあるが、人がひとを完全に理解することは難しい。
それは自身においてもそうだし。
だがそれにも増して、今日のアレには余裕がなかった。
張り詰めた気配が、こちらまで伝わってくる。
――なにを狙っている、アレ?
不安が、胸を覆っていくようだった。
あのアレがここまで覚悟を決めている状況。
バカなことはしてくれるなよ?
ベトは初めて祈った。
しかし従者を引き連れた様な形のアレの行進は止まらず、廊下を進み、その先の巨大な扉は開かれ――
今まで見た中で、それは最大の広さを誇っていた。
端から端までが、視界に収まりきれない。
そして圧倒的な豪奢さで飾りつくされていた。
金銀財宝が置かれ、赤い絨毯は高価なもので、かしずく本物の従者たちの数はとても数え切れるものではなかった。
その最高峰に、その人物は君臨していた。
「――なんだ?」
まるで人を虫けらか何かのように見ている、その視線。
玉座にふんぞり返り、肘かけに頬杖をつき、左右から半裸の美女に扇で仰がせているその人物が誰なのか、わからないわけはなかった。
「申し上げます、国王陛下エリオム十四世様!」
アレのすぐそばを歩いていた白髪の男が、声をあげた。
見るからに、それは裁判官の服装をしていた。
国王はぴくりとも、反応すらしなかった。
「フィマール――なんだ、この茶番は?」
「は……ハッ。こ、このたび謁見を賜らせていただいたのは、他でもありません。このフィマール、裁判長として進言が――」
「なんだ? つまらぬことなら――斬って、捨てるぞ?」
傲慢、そして残虐性。
それをベトは、見た気がした。
その時湧いた感情を、ベトは苦い思いで感じた。
まるで、自分のようだと。
「い、いえ、その……」
「わたしの名前は、アレ=クロアといいます」
その極限の緊張状態ともいえるさなか、アレはただ一人平然ともいえる面持ちで踏み出した。
どくん、とその光景に、ベトは心臓がわしづかみにされたような錯覚を覚えた。
それに、自分がこの子に手助けを申し出た理由を、理解した。
危ういのだ。
この娘は。




