Ⅶ/執念
女官は語った。
女官は、元は地方の農村の出だったという。
名を、エミルダといった。
エミルダは夫と娘と三人で、農作業をして日々の糧を得ていたという。
大きな事件も大きな幸せもなかった代わりに、手の中の小さな幸せを毎日神に感謝していた。
家族と食べる麦粉が、美味しかった。
そんな折り、隣に住むリムルという顔なじみと、小さな口論があった。
確か取れた麦の量が、そちらよりこちらが少し多かったとかなんとか。
なんでもない話のつもりだった。
家に帰ったら、すぐに忘れて眠ってしまった。
その程度のつもりだった。
しかし次の日。
目覚めて目にしたのが、玄関で待つ物々しい恰好をした幾人もの役人たちだった。
なにが起こったのか、まったくわからなかった。
夫が対応していた。
話を聞くと、なんでもこの家に魔女がいるという通告を受けてやってきたという。
驚いた。
というより、困惑した。
わけがわからなかった。
そんなこと寝耳に水だし、だいたい魔女という単語を誰かから聞いたのが初めてに近かった。
魔女ってなに?
それでなんで、お役人がくるの?
叫び出したい気持ちを必死に抑えて、夫の話に耳を傾けていた。
しかし役人たちは、ほとんど話を聞く気はなかった。
ただ一方的に喚き散らし、そして一人娘のベティータを、連れて行こうとした。
喚いた。
泣いた。
必死に懇願した。
なにをするの?
私たちがなにをしたっていうの?
娘がなにをしたっていうの?
魔女って何よ?
奪わないで。
私から娘を、奪わないで!
懇願は、聞き入れられることはなかった。
結局娘は、屈強な役人二人に、連れて行かれてしまった。
エミルダは泣いた。
泣きに泣きに、泣き腫らした。
ひと月近くは、泣いて暮らした。
だけど泣いても泣いても、娘は帰ってこなかった。
夫は慰めてはくれたけど、結局なにもしてはくれなかった。
それでエミルダは、泣くのをやめた。
泣くのをやめて、エミルダは家を捨てた。
家を捨て、畑を捨て、エミルダはありとあらゆる手段を用いて城への登用を目指した。
ある時は役人に媚びへつらい、ある時は娼婦まがいの真似をも辞さなかった。
女の執念だった。
自分の身を一切顧みず、体裁もなにも構わずただただ娘の元にたどり着きたい。その、一心だった。
そしてエミルダは、女官となった。
もうその頃には、農家の母だった面影は消え失せていた。
言葉は汚くなり、心は荒み、そして身体はやつれてしまった。
そして城の内部に入り、みなが自分を外からきた人間だということなど忘れてくれたあと、エミルダは娘の所在を知ることになった。
娘は城の一番地下で、冷たくなっていた。
その時の想いを、エミルダは忘れることが出来なかった。
娘は信じられないくらい、ぶくぶくに膨れ上がっていた。
あちこちに水膨れのあと、鞭のあと、切り刻まれたあとなどがあった。
ボロボロで、まるでうち捨てられた雑巾を連想してしまったことを、エミルダは生涯忘れることは出来ないだろうと思った。
話によると、娘はこちらで処女検査を受ける折り、城中の役人たちに犯されたという。
その末に行われた裁判。
そこで娘はありとあらゆる責め苦、拷問を受け、魔女と確定され、この城の一番地下に打ち棄てられたという。
呪った。
その瞬間、全てを。
役人を、魔女狩りを、城を、貴族を、王を、世界、そのものをさえ。
なにもかもが、消え去ってしまえばいいと思った。
生まれてきたことさえ、間違いだと思った。
しかし自分には、力が無かった。
そこで魔女裁判の、処女検査官となった。
その過程で、本物の魔女に出会えたなら。
そしてその力を、貸してもらうことが出来たなら。
そんな計算があった。
自分の娘が、魔女の疑いをかけられてここにつれてこられたことも、忘れて。
そしてエミルダは、アレ・クロアと出会った。
「あんた……魔術が、使えるのかい? 使えるんだろ? じゃなきゃ世界を変えるだなんて、言えないからね? 使えるんだろ、そう言っておくれよっ!?」
エミルダの様子は、尋常ではなかった。
いままで溜まりに溜まったうっぷんや募った想いなどが、爆発しているようだった。
今にも掴みかからんばかりに身を乗り出し、目を充血させ、唾を飛ばしている。
それにアレは、湖畔のように静かな面持ちで受け止めていた。
「わたしに魔術は、使えません」
言い切った。
まったく躊躇う、こともなく。
それにエミルダは、当然血相を変える。
「は? ハっ? ハァ!? なに、使えないの? できないの? なにそれ、ならなんであんた世界を変えるだなんて言ったのよ!? ねぇ、答えてよ!? 答えてよォ!!」
襟首を掴みガクガクと揺さぶり、唾を吐きかけるようにアレを罵倒する。
それにもアレは一切抵抗するそぶりを見せず、
「すいません。わたしは、魔女じゃないんです。だから魔術を扱うことは、出来ないんです」
「な、ならなんで……なんで世界を変えるだなんて、言ったのよっ!!」
「それでも世界を、変えるからです」
そこで気づいた。
エミルダは。
アレの言葉が、微塵もブレていないことを。
これだけ糾弾されても、動じていないことを。
「……どうやって、変えるのよ」
「どうやってじゃなくて、変えるんです。ただ、それだけです」
掴んでいる手を、解いた。
意味がなかった。
この子に文句を言っても、なにも変わらない。
娘が――ベティータが返ってくるわけじゃない。
「――どうするの、これから?」
アレはただ、いつものような優しげな笑顔を浮かべた。
「任せます。ただ、運命に。そこに神の導きが、あると信じています」
アレがエミルダと連れ添って法廷に戻ってきたのを確認して、フィマールは木槌を打ち鳴らした。
それに一斉に、両側にいる裁判官と傍聴席の聴衆が、注目する。
「ではこれより、裁判を再開する。被告アレ・クロア、前に出よ」
「はい」
アレは毅然とした様子で、前に出た。
それに一斉に、視線という視線が集中する。
そこには敵意と侮蔑と多分な恐怖と少しの好奇心が、含まれていた。
ちらり、とフィマールはアレを見た。
これだけの視線に晒される、処女検査を受けた娘がどういう顔をしているか、興味が湧いたのだ。
「……ん?」
そこでフィマールは、微かに眉をひそめた。
アレは、まったく顔色を変えてはいなかった。
どういうことだ、と疑問に思った。
まずあの話から、悪魔と契約を交わしていることは間違いないと見ていた。
ならば処女検査を終え、その結果に血相を変えているだろうと考えていたのだ。
なぜ平然としていられる?
それほどに無智だというのか?
「……んむ」
まあ、いい。
いずれにせよ、判決は下される。
フィマールは落ち着き、アレを見据えた。
そのあと隣に立つエミルダに、視線を注ぐ。
「して、結果は?」
エミルダはフィマールの言葉に僅かに視線を下げて躊躇うような間を作ったあと、
「違いました」
「どういうことだ?」
どちらとも取れるその言い回しに眉をひそめるフィマールにエミルダは、
「処女です。彼女は、悪魔と契約してはいません」
裁判所内は、騒然となる。
「なんだと?」
「いまあの女官は、なんていった?」
「違うと?」
「あの少女は、処女だと?」
口々に言葉を紡ぎ合っている。
それにフィマールの隣に立つ裁判官が落ち着かせようと立ち上がり声を挙げているが、事態は収拾しそうになかった。
それになにより真ん中で木槌を持つフィマールが、一歩も動かなかった。
ただじっと、エミルダを見つめていた。
「……魔女では、ないと?」
「違います」
「処女、だったのか?」
「確かに」
「ならば……先の話に聞いた魔術の如き力は、どう説明するというのだ?」
呆然としたフィマールの言葉に、場が静まりみなが耳を傾けた。
そのなかエミルダは静かに、
「いま言えることは、それは魔術ではないということです。そしてそうであるなら、彼女が契約したというのも悪魔ではないということです」
「だとするなら、なんだというのだ?」
「私の口からは、なんとも――」
「神です」
割って入ってきた人物は、言うまでもなかった。




