Ⅲ/死ぬ理由
夜。
焚き火の前で番をしていると、なにかの物音を聞いた。
それに、静かに瞼を開け、手元の剣に手をかける。
くるならば、一息で斬りかかることが出来る。
じっ、と音がした先に視線を送る。
暗い木々の間から、小汚いローブが姿を現した。
「ベト」
「……アレか」
一応周囲の気配を探っておく。
辺りには現在、獣も人の気配も感じられなかった。
それに身体の緊張を、解く。
そしてアレは何の用だろうと考えた。
せっかく木々の間の安全な場所に、即席とはいえ木の葉と枝を使って寝心地の良さそうなベッドを作ってやったというのに。
「どした? 怖い夢でも見たか?」
「眠れ……寝ないの?」
ニヤニヤ笑って聞いたベトだったが、存外アレは真面目な様子で問いかけてきた。
どうもこちらの身体を心配してるようだった。
ベトはだからそれに目を細めて、
「意識は落としてる」
「横には?」
「ならない」
ベトたちは現在、王都ローザガルドへ向けて目下絶賛山越えの最中だった。
それも一つや二つではなく、もうしばらくそんな日が続いている。
そんな日なんて曖昧な言い方なのは、アレが日にちを数える癖がないからだった。
そしてベトも同様に、日々の目算に意味を見いだせない。
焦る旅でもない。
そんな風に考えているところがあるのが、ベトの性格を物語っているといえた。
そしてベトは毎晩、火の番をしていた。
それも大きな木の根に腰掛け、身体を横たえることすらせず。
それをアレは、気にかけていた。
だがベトの返事は、素っ気ないものだった。
だから、さらに尋ねた。
「…………わたしの、ため?」
「山、だからな」
嘘だった。
別に獣を侮っているというわけでもないが、結局これからずっとアジトで起こったような襲撃には備えなければならない。
山を越えたからといってこの状況を変えるつもりは毛頭ない。
だがそれをアレに言ったからといって、栓無いことだろうとベトは解釈した。
というか自分のことを話す習慣がベトにはなかった。
「…………」
しばらく沈黙が流れたあと、アレは傍まで寄ってきて、ベトの隣に腰を下ろした。
ベトはそちらへ自身の身体を覆っていた毛布をわけ与え、
「どした? 王都まで、まだ長いぞ? 夜はしっかり寝とかねぇと、もたな――」
「ベトは……なんで、泣かないの?」
意味がわからない質問だった。
だからオウム返しに、聞き返すことにする。
「……泣く? オレが? なんで?」
「辛い…じゃなくて、悲しい……も違うで……え、と 」
「おいおい……」
その状況に、ベトは冷や汗をかいた。
最初の荷馬車でのやり取りを思い出していた。
あの時のような苦労はご免被りたかった。
話はさくさくと終わらせるに限る。
だが予想に反してアレはしばらくしてから言葉を選ぶように、
「ベトは、死にたいの?」
沈黙。
「……死にたかァ、ねぇな」
確信をつくかのように、柄にもなくベトは戸惑う。
こんなこと、もう慣れっこのはずだったが、いやはや人間の適応力の低さには恐れ入る。
まったくこれまで、よく生きてこれたもんだ。いや逆か?
さらにアレは、畳みかけてくる。
「なんでいつも、笑わないの?」
「笑ってんだろ?」
「笑……楽しく、笑わないの?」
「…………」
夜空を見上げる。
急に起こったなぜなに問答だった。
まるで生まれたばかりの子供でも相手にしている気持になってくる。
だが構わないと思う自分がいるのが不思議だった。
こうして夜空なんて見上げてしまっている。
現状がもうどうこう出来る範囲を大きく逸脱してしまっているから、既に腹でも括ってしまっているからだろうか?
いずれにせよ、思った。
嘘をつく意味も、もうないか。
「あんたは、生きてんのか?」
「生きてる」
即答かよ。
ベトは心中ツッコミ、言葉を変え、
「自分の意思でか?」
「いえ、神のご意志で」
予想通り以前聞いた御高説がやってきた。
それに微かに笑みを作り、
「オレは、今までオレが殺してきたやつのために、生きてる」
沈黙。
「……殺してきた人たちが、浮かばれるようにですか?」
そうだよな、あんたはそういう発想しか持ち合わせてないよな。
だけどベトは、それでいいと思った。
なにもかも理解する必要は、ないと思う。
いや、逆か?
ベトは考える。
アレの人を惹きつける理由が、なにもかもを受け入れそのうえで導く懐の深さに在ると思う。
だとするならば、ここはその意図を伝えるべきだろうか?
だいたいこのままいけば十中八九というかそれ以上に、二人は犬死にするだろう。
犬死にというあたりがなかなかにしゃれてると自負する。
ならば先の憂いもない、か。
「違うな。オレが簡単に死ねば、今までオレに殺されてきたやつは取るに足らない奴相手に犬死したことになる。だからそいつらの価値を守るために、オレは今日も生きてる」
「だから、みなさん浮かばれるんですね」
にっこり笑われ、ハッとする。
そういう理屈にも、なるか?
なるほど、ものは捉え方次第だな。
「だけどまぁ、それもここまでだけどな」
「なんでですか?」
止まらないなんでにベトは笑みを見せ、
「死ぬ理由が、出来た。国をひっくり返そうとして死んだんなら、そいつらだってたぶん許しくれんだろ。そういう意味じゃ、良い感じで年貢が収められそうだ」
ベトはそう言って一度軽く瞳を閉じて、ゆっくり開けてアレの瞳を覗き込んで、
「いつかあんたが死ぬとして、」
「はい」
瞳を逸らさず即答する心意気やよし。
それでこそ、オレが命を張るに値する。
「そん時ァオレも、一緒に死んでやるよ」
「ならわたしも、ベトが死ねば死にます」
「…………は?」
一応結構な想いをこめた言葉を簡単にクロスカウンター。
見事な手際、ベトの心は真っ二つに砕かれ、ノックアウト。
ベトはしばらく言葉なく呆けたあと、
「……くくくっ。やっぱあんた、獅子だわ」
「わたしは獅子ではありませんよ?」
「なんだ、違うのか?」
「はい。わたしは、神の使いです」
「っへぇ? 神の使い?」
「はい。わたしは、ただ神の思すままに行動するだけです」
そうして胸の前で両手を合わせ、瞳を閉じる。
まったく、恐れ入る。
なにが恐れ入るかって、そんなことを堂々となんの恥じらいも躊躇いもなくやってのけて、かつその姿がこれ以上ないってくらい堂に入っているところだ。
まるでこっちまで、神に祈りたい気持ちにさせる。
「なるほどな、天使さまってわけだ。ならその天使さまは、神さまにどんなご要望を承ってるわけだ?」
「ただ、哀しみのない世界を――」
「そりゃ無理だ」
思わず即答してしまうとアレは右目だけ瞼を開けて、
「もちろん人の身では、無理です。ですから神の、思し召しなのです」
なるほどな。
「納得だ。じゃあとりあえずそのために英気を養っとこう。具体的に言えば、そろそろ寝な?」
「はい」
なんの反論も抵抗もなく、アレはその場で瞳を閉じた。
そして当たり前のように、こちらに身体を預けてきた。
それをベトは肩で受け止め、そしてなにか言おうとするのをやめて、それを受け入れ、瞳を閉じた。
願わくば。
この子くらいは、守ってやれればと想って。
朝目覚めると、行軍開始。
昼まで山を下って、食料――主にキノコや山菜類を漁り、川があれば魚をとり、時に剣で兎を狩り、それを食べてまた歩き、完全に火が落ちる前に適当な場所を探し、そこで一晩明かす。
その繰り返しだった。
自分にとっては慣れ親しんだ、しかし女連れは初めての行軍だった。
しかし不気味だったのは。
結局こうして王都ローザガルドに到着するまで、ただの一度の襲撃もなかったことだった。
「――ま、こーゆーことかね」
ベトは笑顔で、"両手を挙げる"。
これは戦場で無抵抗を――つまりは降参、投降を示すポーズだった。
その周りには、まったくもって数え切れないほどの兵隊たちが重装に槍やら斧やら剣やらを手にして、2人を完全に包囲した。
「これはこれは、お熱い歓迎で」
ニヤニヤするベト。
鎧は背中のズタ袋に入れて、愛剣も布を何重にも巻いて隠し、アレと一緒に頭から頭巾をかぶり商人を装い正門から堂々と入れてもらったあと繰り広げられた、それは光景だった。
目抜き通りの向こうが見えない。
歩兵で視界が完全に遮断されている。
「────」
ポーズは変えず視線だけを移すと、民家の窓や屋上からは無数の弓矢がこちらに狙いを定めていた。
どれだけの数がいるのか、パッと見では目測すらできない。
向こうさんの本気は、こちらの予想をはるかに上回っていた、ということか──
「頭巾を取れ」
一番先頭でただ一人馬に乗り、武器を構えていない男が命令してくる。
これが隊長殿だろう。
いかつい鎧に、巨躯。
兜の間からは太い眉と濃い髭が見てとれた。
いかにも、という感じの容貌。
ベトはそれに従い、顔をさらす。
それにアレもこちらを見てから、従う。
長い銀髪が、四方に流れた。
『ほぉう……』
それに兵士たちから、ため息が零れた。
それにベトは、おそらくこれほどの美しい銀髪にお目がかかったことがないからだろうとほくそ笑んだ。
実際自分もそうだったし。
「お前が、魔女か?」
どストレートな隊長格の詰問。
鋭い視線は、なるほど確かにという厳しさと迫力を持ち合わせていた。
これで睨まれれば街娘はおろか相当な手練だろうと気迫負けを起こすだろうとベトは思った。
「ちがいます」
まぁ、アレにそんな気遣いは無用だが。




