Ⅲ/友達
たとえば、アレが動かない足で立っていたこと。
たとえば、アレが窓の外に立っていたこと。
そして例の、矢が真ん中でへし折れたこと。
そのすべてが、合点がいかなかった。
なぜそんなことが、可能なのか。
もちろん間違いなくアレの仕業と断定できるものではない。
矢に関して言えば最初に思った矢による撃墜を、見えない角度で見ていない誰かが行ったものなのかもしれない。
窓の外も、実際は見間違いか梯子が立てかけられていたか窓の桟にでも足を引っ掛けていたのかもしれない。
動かないと思っていた足は、実際は騙していたのかもしれない。
疑心暗鬼は、止まらなくなる。
そう考えたら、周りの何もかもが信じられなくなる。
世界そのものに、疑いを持ってしまう。
だがもし。
見たままが、真実なら?
せんせいは言った。
悪魔は存在すると。
臆面も躊躇ないもなく。
悪魔。
それに憑かれた、魔女。
もし彼女が魔女だとするなら、その言葉は悪魔が言わせているものなのだろうか?
その想いも、感情も、必死の行動も、なにもかも彼女のものではないのだろうか?
そうだとした時、自分はいったいどうすればいいのか?
なにひとつとして、答えは出ない。
なら自分はわざわざ二日近くもかけて、ここまで何しにきたのだろうか?
自分はなにをしたいのだろうか?
ただ生きるために生きる、と自分はこういう時に思ってきたはずだった。
なぜその答えが、すぐに出ないのか?
変わったのか?
自分が?
それとも変えられたのか?
この、自分が?
「……だから、どうだっていうんだよ?」
「わ、やっぱり凄いですね」
思わず目が覚め呟いた言葉に、部屋に入ってきた誰かの声が応えた。
そちらに寝ぼけ眼を擦りながら、目を向ける。
無意識に剣の柄に、手をかけて。
そこには美しい流れるような黒髪のシスターが、ぱっちりした瞳でこちらに"大口を開けていた"。
「あ、おはようございますー、シスタープライヤでーす。体調の方は、いかがですかー?」
「あー……あんまよくないから、ちょっと声抑えて」
「はーい」
その返事も声でっかかった。
それにベトは二日酔いでガンガン響く頭を押さえる。
――ったく、なんなんだこの娘は?
ズケズケひとの部屋に入ってきて、ばっかでかい声で喚いて。
丸っきりアレと、逆な感じの娘だ。
「……で、あんただれ?」
「えーいま言いましたよー? シスタープライヤですー」
「あーもー喚くなって……シスタープライヤ?」
「はーい、プライヤってお呼びくださーい」
ふむ。
ベトは顔を両手でゴシゴシ拭いて、ぷあ、と息を吐く。
あー、すこーし眼ぇ醒めた。
そして改めて、シスタープライヤと名乗る少女の姿を見つめた。
背は、アレ=クロアと同じくらいか。
つまりはベトと頭二つ分くらい小さい。
それで修道服を纏い、頭にもヴェール付きの帽子を被っている。
深い藍色のそれと、漆黒の髪と、そして白い汚れを知らない肌はなるほど確かに清浄なものを感じさせる。
だが屈託ない笑顔と大きい声は、果たしてどうだろうというギャップだった。
「えーと……プライヤ? だっけ?」
「はい、プライヤでーす」
「あぁ、うん、わかったから、声でけぇって……で、なんか用?」
「はーい、オレアン神父からベトさんのお世話を申しつけられまして」
「……世話?」
よくわからない単語に、ボリボリ頭をかく。
ふけが落ちた。
あーもーどんだけ風呂入ってねぇンだろ?
いい加減にしねーとハゲ始めたりなんて――
プライヤが足元にやってきて、ささっ、箒とチリトリでふけを取る。
「…………」
無言で見つめるとニコッ、と無邪気な笑顔を返される。
それに無意識にポリポリ、と頭をかく。
さささ、と箒とチリトリで掃除する。
「……あのさ」
「なんですかーご主人さま?」
「……ヲイ」
「はい?」
「……なんだその、ご主人さまってのは?」
「お世話をするから、ご主人さまですー」
まったくわからない理屈だった。
というより理解したくもない理屈だった。
これ以上相手にすると面倒そうだった。
ベトは立ち上がり、伸びをする。
んー、酒を呑んだ次の日はすっかり調子が悪い。軽く運動でもするか?
窓の外から、天気を見た。
空は燦々と晴れていた。
「おー、晴れてんなー」
「お風呂に入りませんかご主人さま?」
ビシッ、とベトの動きが凍りつく。
一瞬天気も音も現状もなにもかも、ベトの脳から消え去った。
ギギギ、とゆっくり下の方にある不思議シスターの顔を見る。
プライヤはただニッコリと、満面の笑みを向けた。
「……いま、なんつった?」
「お風呂、入りませんかー?」
脈絡もなにもなかった。
いきなり風呂に入れだなんて、なにを考えているのか?
まぁだが、このふけを見ればそう思うのも無理もないことなの、か?
「…………」
「ね?」
見つめ合うこと、五秒。
結局ベトは、先に折れた。
「……あー、そうだな。風呂、入るか」
「はい、おひとり様ご案内ー」
先導するシスターについていきながら、ベトはなんだかあ、とまたも頭をボリボリかいていた。
マテロフは結局、アレと一緒に街に訪れていた。
「アレは街に来たことは……無いよな」
「ありません」
にこやかに答えられる。
それにマテロフは、そうか、そうだよな……と一人ごちて納得する。
そしてぽりぽりと、頬をかく。
どうしたらいいか、判断に困っていた。
「えー、と……アレは、見たいものとか、行きたい所とか――」
「わからないから、マテロフにお願いします」
途中言いかけて予想していた解答がきた。
さて、マテロフは困る。
見たいものも、行きたい所も、まぁ、ずっとベッドの上で暮らしていたのならそりゃあないだろう。
そうなれば自然、マテロフの感覚で案内するしかない。
ならば――
「……アレは、食べ物の好き嫌いは、あるか?」
「お肉は美味しかったですねぇ……」
じゅるり、と音が出そうな恍惚の表情でアレは宙空を見上げる。
おぉう、初出の表情だ!?
今までの浮世離れしているイメージと乖離したそれにマテロフは仰け反り、
「――なら、食べ物屋でもいこうか?」
「はいっ」
無邪気。
そう、一言で表現できる存在。
疑いを知らず、すべてを嬉々として受け入れる。
――いや、違うか。
マテロフはアレの様子を見て、自重する。
すべてを、じゃない。
好意を、受け入れる。
嬉々として。
だが残酷な運命も受け入れるが、それは哀しみを伴ってだ。
――いずれにせよ受け入れるんだ、この娘は。
マテロフはアレの在り方に、強く惹かれていた。
ずっと、同じ価値観で生きてきた。
女性であることから諦めかけていた自分は、スバルに拾われ、弓矢をあてがわれた。
それにより自分を守り、誇りを持って生きることが出来た。
だからこれが、正しい生き方――というより、女性である自分に出来る、唯一の生き方なのだと信じて疑うこともなかった。
だがアレの生き方に触れてしまった。
考えざるを、得なかった。
「アレは……今まで、どんなことを考えて生きてきたんだ?」
歩幅をアレの杖をつくペースに合わせながら、マテロフはアレに語りかけた。
おそらくはこんな姿をスバルやベトが見たら卒倒すること間違いなしだろう。
レックスなら勘違いして求婚して張り倒されるかもしれない。
それほどマテロフが他人に声をかけ、あまつさえ過去を尋ねるという現象は驚嘆に値する事実だった。
「…………はい? なにか言いましたか、マテロフさん?」
だが当の本人であるアレは、初めて訪れた街の様子に興味シンシンだった。
その目抜き通りには、たくさんのひとが行き交っていた。
それこそ、視界いっぱいに数え切れないほどの。そのどれもが今まで見たことが無いような色鮮やかな衣服を身にまとい、そして活気に溢れていた。
これに比べれば、自分が今までいた街は死んでいたようだとアレは思っていた。
「――いや、なんでもないさ。ところでアレは、いま何を考えていたんだ?」
「この街は、まるで生きてるみたいだなって」
清々しい笑顔で言われても、マテロフには理解し難い感覚だった。
街が生きている?
活き活きしている、ならわかるが――もしかして、
「アレは、ベトの剣を見てどう思う?」
「獰猛ですよね、祖母に聞いた野生の熊みたいです」
「……私の弓についてはどう思う?」
「綺麗で、背筋がシャンとしてますよね。トビウオとかの、流線形の魚みたいです」
やっぱりだ、とマテロフは思う。
アレは、その目に見えるものすべてを生き物のように感じる習慣を持っているらしい。
無機物と有機物の区別がついてないというか、だからこそなんにでも――
「あ、マテロフさんあそこのあれなんですか?」
呼ばれ、マテロフは意識を戻す。
アレがハシャぎ指さす先には、腸詰肉を縦に切られた焼き麦粉で挟んだだけの簡素なものが並んでいた。
だが、アレは初めて見るそれに目をキラキラさせる。
見た目に似合わない肉食らしい、彼女は。
思わずマテロフは、その口元を緩めていた。
「ああ、それは……食べてみるかい?」
そのなんたるかを教えようとして、思いとどまった。
食べ物は名前より、まずは食べてみるべきだろうと。
それは事実正解だったようだ。
「あ、おいしい……でふ、あつ……おいひい、おいひ……あっつ」
「落ち着いて食べなよ。慌てなくても逃げてはいかないぞ?」
出来たてのそれを熱がりながら、しかし満面の笑みでアレは頬張る。
その姿を、マテロフは腕を組んでにこやかに見守る。
それを売った太めの店員まで笑顔だ。
元来なら歩きながら食べるそれも、アレにとっては店の前で必死になって相手取るものらしい。
がぶり、とアレが豪快に食いつくたび、ジューシーな肉汁が飛び出していた。
見ていると、マテロフも小腹がすいてきた。
店員に言って、もうひとつ頼んだ。
そして二人並んで、同じものを食べた。
同じ釜の飯を食う仲、というやつか。
「……マテロフさんは」
「ん?」
半分ほどたいらげたアレが、唐突に呟いた。
それにマテロフは、意識を再びアレに。
すぐに自分に没頭するのは、マテロフの癖だった。
意識せずそれで、周りの情報から自分を守ってきたのだが。
「なんでわたしに、優しくしてくれるんですか?」
無垢な視線を、向けられた。
「――――」
それにマテロフは、噛む歯を止める。
まさかの質問。
これがあるから、この子は侮れないと思う。
「……そりゃ……いや、優し……」
次々出てくる単語を、うまくまとめられない。
というか、よく考えれば理由があるのかどうかも怪しいようで、しかし自分が理由もなしに誰かに構うのもありえないような気もする。
だから、
「その……なんでアレは、逆にそれを聞きたいんだ?」
投げ返してみた。
いつも喰らいっぱなしは癪と、ちょっぴり思ったかもしれない。
その反応にびっくりしたようにアレは目を点にした――マテロフはちょっぴり可愛いなどと思ったりしたが――あと伏せ眼気味に、
「……怖いから」
ああ、とマテロフは納得したような心地になった。
「そうか……そうか」
確認しようとして、その行為そのものが要らないとわかった。
だから単刀直入に、それに応えよう。
「なんで君に優しいかっていうのは……単純に、優しくして"欲しいからさ"」
一見して矛盾した答え。
だからアレはまたも一瞬目を点にして――そのあと柔らかく、微笑んだ。
「……わたしたち、友達になれますか?」
手を、差し出される。
その意味を彼女は知っているのかと思い、しかしそんな考えの無意味さをマテロフは悟った。
知っていようといまいと、そんなことより大事なものが彼女にはきっとあるのだろうと考えて、
「わからない。だけど……可能性が、ないとは言えないな」
やはり自分なりの飾らない言葉で、応えてみた。
それが相手にどう映ったのかまではわからないが、アレは笑顔をさらに眩しいモノに変えてくれた。




