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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
魔 -devil-
17/132

Ⅱ/悪魔憑き

 その少女は、問いかけにやはり同じようにくりっ、と頭を傾げた。


「魔女っテ、なんですカ?」


 掴まれている。

 襟首を。


 そして持ち上げられている。

 身体全体を。


 先ほどまでと、そっくり立場が入れ替わった構図。


 だが少女の手は、口元に当てられている。

 可愛らしく。


 そして自分は少女の頭上、30センチほどのところに吊り上げられている。

 でなければ少女より20センチは背が高い自分がこうして持ち上げられる道理はない。


 そしてその自分の襟首には、少女の手もなにもかかってはいなかった。


「なんですか、ですって……それは貴女みたいな、許してはいけない存在を言うのよッ!」


 そこでマテロフは、爆発した。


 冷然とした強い女性でもなく、傭兵仲間もかくやと思える男性風でもなく、ただの一人の等身大の二十歳過ぎの女性として。


「なによこれッ! 手を触れずになにかを動かせるなんて……在り得ないじゃないっ! それになにそのイラつかせる変な喋り方、いっくらいっても筋を曲げない頑固な主張……わけわかんないわよ! 貴女人間じゃないわ! その在り方、その口調、力……


 だったらなんで、わたしを救ってくれなかったのよッ!!」


 激しい叱責が、白々しい森に響き渡る。

 マテロフは興奮冷めやらぬまま激しく息を乱し、アレはそれを呆然と見つめていた。


 やがて、口を開く。


「助けて、っテ……どういうことデスか?」


 惚けているような感じなどない真摯な問いかけに、マテロフは挑むように少女を見た。


 その前に血がにじむほど唇を噛み、語り始める。

 決して誰にも、聞かせるつもりなどなかった話を。


「わた、しの村は……野盗に襲われたのよッ!!」


 ああ――とアレは思った。


 このひとは、自分と同じなのだと。

 自分と同じ経緯で、こうして同じ場所に立っているのだと。


 そんなことには気づかずマテロフは、


「その時母に父に祖母に祖父に弟に村のみんな、みんな……みんな全部、殺されたわっ! わたしはその時11歳で、それで……男たちの慰みモノに――!」


「待っテ」


 その言葉を、アレは言葉で止めた。


 いや、止めようとした。

 しかしマテロフはそれに一瞬だけ呆気にとられたものの、


「な……なによ! 私の話は聞けないっていうの!? それとも同情? 冗談じゃない、そんなもの要らないわ! そんな役に立たないものより、現実を変えてよ! 私が失ったすべてを、返し、て――」


 そこで初めて本当に、マテロフは止まった。

 止められた。


 少女が流す、一筋の涙に。


「……なによ。同情、なら……」


 言葉は続きはしなかった。


 アレが流しているのは、左目からたったの一筋だけ。


 潤んで溢れて零れ落ちるそれとは違い、まるで線のように唐突に。

 だからその清々しさに、瞳を奪われた。


 これが魔女の魔術なのかと、疑うように。


「……かなしイ」


 心すら凍結させるような、その言葉。

 それはベトに放ったものと同種のものだった。


 あらゆる意図がない、純粋な感情の結晶。


 それをぶつけられたものは、ただ心奪われるしかった。

 その濃密さ、温度の低さに。


 アレは宙を見て、ただ訥々と語る。


「貴女モ、哀しかったんデスね……アア……世界は、哀しい。


 かなしい」


 三度目の、感情の発露。


 同時に世界に、吹雪が発現した。


「!?」


 叩きつけるような風と、同時に舞い散る雪の結晶たち。

 それにマテロフは、目を瞬かせる。


 こんな現象は、見たことがない。


 剣を弾き飛ばすどころじゃない。

 攻撃を防ぐどころじゃない。

 身体を引っ張るどころじゃない。


 自然現象すら、その手に在るというのか。


 それは妖しい魔術どころの話ではなく、それこそ伝説にきく魔法の所業ではないか?


「あな、た……」


 言葉をなくす。


 それと同時、マテロフはいきなり降ろされた。

 すとん、と両足が地面につく。


 解放されたのは、いったいなんのためか?

 少女の顔を、盗み見る。


 少女は透明な涙を、両眼から零していた。

 まるで人形のように無駄なく、一本の線として。


 根拠はない。

 そういう趣味も、嗜好ない。


 だけどその無駄のない在り方を、マテロフは一瞬美しいと、感じてしまった。


「……泣いてるの?」


 理解不能の思考も奇妙な喋り方も不可視の力も突然の吹雪も、頭から吹き飛んでいた。


 ただ自分の話を聞いて、嘲笑も説教も同情もなくただただ哀しいと、美しい涙をこぼす目の前の少女に声をかけたくて、たまらなくなっていた。


 理由など、わからない。

 理由など見当たらなかったが、ただただそう、思った。


「かなシい……そうとシカ、言えなイ。そんなワタしが哀しイし、マテロフさんガ哀しクテ……」


「……私も、かなしいって?」


 奇妙な言葉だった。


 あなたはかなしい人ね、ならわかる。

 そういう同情の言葉は聞き飽きてきた。


 しかし感じている当人が言うことしか出来なくてかなしいというのもなかなかに突きぬけた感性であり、そして自分がかなしいとはいったいどういう意味なのか?


 アレは涙を零し続け視線を宙に漂わせたまま、


「……運命に逆らえナイのが、かナしい」


 ピシリ、と何かにヒビが入ったようにマテロフは感じた。


 自分がなにに、憤っていたのか。


 村を襲った野盗にか?

 対抗手段を講じなかった村にか?

 来るのが遅れた援軍にか?

 それとも何もかも最悪になるまでなにも出来なかった自分にか?


 違った。


 自分は、その運命の歯車そのものを、呪ったのだ。


「か、な……っ、あ、貴女、に……!」


 なにがわかるの? とは言えなかった。


 わかるのだろう、この少女には。


 詳しい事情は、最初の荷馬車で同席した時と食事の席で聞いている。

 似た様な境遇だ。


 いや自分はこうして自分の足で歩けて、剣を振ることが出来るだけマシなのかもしれない。


 なにもかもを諦めずには、済んだから。


 目の前の少女は、どんな運命をすら受け入れ、諦め、このように悲しむことしか、出来なかったのだから。


「ッ……く、ぅ……!」


 それこそ悲しみが、倍して肩にのしかかるような心地だった。


 自分を苦しめ、そして縛りつけ未来永劫決して離さないものの正体が、見えてしまった。

 その、結末が。


 決して自分は、幸福にはなれない。

 この鎖に、捕われている限りは。


 だから哀しい。

 わたしは、哀しいのだと。


 気づかずマテロフは、涙をこぼしていた。


「っ……ぅ、く……ぅう!」


「マテロフさん……」


 顔を覆い泣き崩れるマテロフに、アレが寄り添う。

 そして両肩を抱き、正面から、マテロフを覆った。


 それはまるで、吹きつける雪から彼女を守るように。

 世界の悲しさから、彼女を守るように。


「う……あ、ぅ……そんな、そんなことって……!」

「哀しいですか……哀しいですよね、哀しいですよね、哀しい、ですよね……」


「うぅ、あぅ……ううううぅもう、嫌……ッ!」


「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ダダをこめる子供のようになったマテロフに、アレはなぜか謝罪の言葉を吐き続けた。


 マテロフはそれに、ただ身を委ねた。

 端的に言えば、甘えた。


「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい、マテロフ……」


 心地よかった。


 その言葉の意味するところなどどうでもよく、ただ自分が欲していたのはその言葉なのだと思った。


 ただ、謝罪が欲しかった?

 誰でもいいから?


 いや違う。


 マテロフはただ――優しい言葉で、癒されたかった。

 それも誰でもいいわけではなく、自分のことを芯から理解してくれる相手に。


「う、ぅ……ふぅ」


 気持ちが落ち着き、整理され、あるべき場所に置かれ、そしてマテロフは、身体を起こした。


 その瞳は、以前のものとは違っていた。


 絶望し、沈み込み、目の前のものから眼を逸らし接触を拒んでいたものではない――少しだけだが、野盗が来る前のパン屋の看板娘と評判だった頃に、戻って。


 くるり、と軽快にマテロフはアレを見つめる。


「ありがとう」


 一文字一文字、噛みしめるように発音した。


 初めてだった。

 事件以来、この言葉を口にするのは。


 なぜしたのかは、わからなかった。

 だけどなぜか、したくてたまらなかった。


 アレは口元を柔らかく緩めて、目を線のように細めて、こちらまでつられるようなそれはそれはまるで春の日に見る太陽のような笑みを浮かべた。


「よかった」


 彼女が、魔女なわけがない。


 天使がいるとしたら、こんな娘だろうとマテロフは思ったりした。







 ベトの問いかけに、オレアンはやはり真っ直ぐに答えた。


「悪魔憑きは、あるさ。そりゃもう、ひとが風邪ひくのと同じくらい当たり前にな」


 とくん、とベトの心臓が鳴った。


 悪魔憑きは、ある。


 ベトはオレアンから自分の杯に視線を移した。

 ゆらゆらと、赤くなり複雑な顔をしている自分が映っていた。


 それを一息で、飲み干した。


「いい飲みっぷりだな」


 ニヤリと笑って、オレアンは次の一杯をついだ。


 こんな風に次々つがれては、もう今日はダメだなとベトは思った。

 観念して、杯を差し出す。


 注ぎ終わってからオレアンは自分の杯を掲げ、


「悪魔憑きは、昔から教会側の厄介事の一つだ。ある日突然、ある人物の人格が変貌し、周囲に危害を及ぼす。多重人格に近い。だが決定的に違うのが、それが――」


「超常現象を伴う、」


 ぼそり、とベトがオレアンの言葉を引き継いだ。


 それにオレアンはおや? とベトの顔を見て、


「……でしたっけ? あんま覚えてないっすけど」


 にかっ、と快活に笑う。


 それにオレアンにニヤっ、と笑い返し、


「だな。まあ超常現象とは堅い言い方だが、要は普通じゃあり得ないようなこと、ってとこだな。たとえば絶叫をあげたり、大人しい女性がいきなり口汚く罵ってきたり。まあこの辺りならまだ理解できる。しかしおれが参加した悪魔払いの中では、突然吹雪が起こされた事態があったな」


 ぴくん、とベトは反応する。


 吹雪?

 そんなもの、ひとで起こせるわけがない。


 間違いなく偶然だ。


 そう言いたくなって、しかしアレのあの弓と夜のスバルとの会話を照合して、


「……出来るんですか、そんなことが?」


「悪魔になら、出来る」


 ベトはゆらゆらと聖水を揺らし、


「悪魔に、ですか」


「そうだな。悪魔憑きとは、文字通り悪魔に心身ともに乗っ取られた状態を指すからな。その悪魔が行使すれば、そりゃ出来る」


 少しだけ口をつけてから、


「悪魔なんて、いるんですか?」


「いるさ」


 疑問はすべて一言で片づけられていく。


 肯定肯定肯定。

 だが、それはベトにとってまるで別の世界の話だった。


「どこにいるんですか?」


「ここではないどこかだな」


「……どうすれば会えるんですか?」


「手順をきちんと踏めば会えるな」


「……誰にでも?」


「そう聞いている」


 応えているようで、その答えはどうもはぐらかされているように実感のないものだった。


 ベトは酒を煽る。


 どうもオレアンといえど、一応は神父。

 こちらの言葉を煙に巻いて神秘然と見せることはもはや職業病になっているらしい。


 単刀直入に聞いてこれならば、仕方ない。

 神父と迷い子よろしく、相談の体を取ろうとベトは決めた。


「……俺の知り合いが、悪魔憑きかもしれなくて」


「ほう」


 さして驚いた様子もなく、オレアンは答える。


 この話が始まった時点で、それぐらいは予想していたという感じだ。

 気心が知れているとこの辺りが楽でいいとベトは思う。


「悪魔憑きかそうじゃないかって、見分ける方法ってあるんですか?」


「難しいな」


 またも迷いなく一言、杯を豪快に煽る。


 さらに手酌で注ぐのを見て、ベトはもはや何杯目かを数えるのをやめた。

 バカらしい、というか頭回らないし。


「教会には、悪魔憑き――現在魔女という名称に統一しようとする流れがあるが、それの、」


「魔女? それは悪魔憑きが女性限定のもの、ってことなんですか?」


「いや、悪魔憑きは男性にも起こり得るさ。しかし男性の場合も魔女、という名称になるらしい。おれもよくわからんが、どうせ伝承から来ているんだろう。お偉方の考え方はおれにはわからんよ」


 なはは、と肩をすくめる。

 それにベトもはは……と苦笑いで応える。


 閑話休題、オレアンは本筋に戻り、


「で、魔女の扱いについて教会側では思うところがあるようでな。傭兵としてあちこちに行っているお前にはわからんだろうが、現在各地の教会では魔女裁判というものが定期的に行われている」


「魔女裁判、ですか? なんすか、それ?」


「魔女かどうかを判断し、魔女と認定されれば刑を執行される。そういうものだ」


 ベトはしばし、黙考した。


「……魔女って、」


「刑を執行といっても、その前に命を絶たれるケースも多いらしいし、確定したらもちろんほとんどアウトという話だ。世知辛いな、世の中は」


「…………」


 いくらベトが流れモノの傭兵といっても、噂ぐらいは耳にしたことがある。


 しかし眉つばと思っている魔女の、さらに眉つばのような話だ。

 あまり相手にはしていなかった。


 しかし実際それは教会の越権行為──暴走のような内容だった。


「難儀だな」


 どちらのことについて言ったのか、オレアンは杯を傾ける。

 なぜこれだけ呑むのか、少しだけわかった気がした。


 ベトも杯を傾ける。

 どうしたもんか、頭が痛かった。


 半分くらいというか以上は、呑み過ぎという理由だろうが。


「……ここからはおれの見解になるが、聞くか?」


「もちろん」


 せんせいの話を聞かないわけないっていうか小難しい頭でっかちの権力争いしてる教会の見解の方が興味ないですよ、とばかりに伏し目がちに頷く。


 というか呑んだ3杯の酒――もとい聖水と小難しい話のオンパレードに、意識は半分ここではない場所に持っていかれていた。

 難儀だった。


「魔女かどうかを判断するのは、素人には難しい――と、おれは考えている。たとい周りや、難儀なことに当人が魔女だと考えていても、実際は精神的な思い込みやなにがしかの疾患である可能性が高いと考えている。だが、その境界線は曖昧だ。誰だって豹変する時ぐらい、あるからな」


 それにベトはうん、うん、とふらふら頷く。


 自分の場合は、戦いのときなんかそうだ。

 あらゆる感情を振り払い、獣と化す。


 憑かれているといえば、そうかもしれない。


「だからおれの見解としては、まず本人が知り得ない情報を持っているか。そして本人が成しえないことを行えるか。この、二点だな」


 なるほど、とベトは合点がいく。


 確かに憑かれていれば、その二つは出てくるのだろう。

 帰ったら試してみようと思う。


 だが二つ目に関して言えば――


「成しえない、といえば?」


「そりゃ魔法だな」


 魔法。


「魔法って……っ、く……!」


 強烈な睡魔に、ベトは頭を振るう。


 限界に近い。

 と思った時には限界などだと、ベトは経験則から悟る。


 まだまだ聞きたいことは多いのだが、オレアンに付き合って酒など飲まなければよかったか?

 しかしせんせいの厚意を拒むなんて――と考え、


「……すんませんせんせい、寝ます」


「ああ、いいよ。話はまた、あとで」


 最後にオレアンのニッコリ笑顔を見て、魔法ってなんだろうなと回らない頭でベトは考えようとしていた。

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