ⅩⅡ/男装の麗人
マテロフの所作は、見事なものだった。
周りがフォークなど無用とばかりに立ち上がり前のめりで我先にと手を伸ばしてパンを、肉をわしづかみ、千切り、貪り、野菜がほとんどなし野菜スープで流し込む中。
ひとり丁寧にナイフとフォークを駆使して、ほとんど音を立てることなく粛々と食事を進めていた。
しかも胸元には白いスカーフまでつけて。
見ようによってはフランス料理のフルコースを食べているようにさえ映る。
「…………」
その様子をアレは同じようにカチャカチャとフォークとナイフを使いながら、黙って見つめる。
改めてみると、マテロフは綺麗な顔立ちをしていた。
褐色の周りと違い肌も白く、肩まで届く白金を想わせる髪も手入れが行き届いている。
鼻筋も通っており、肩幅も細く、眉毛も細い。
ふとすれば女性と見紛うほどの美男子だった。
「…………」
「うめぇ、肉、うめぇ!」
「おい、てめぇ取りすぎだろ戻せや!」
「っせ早いもん勝ちだろうが!」
「お、お頭ァ……」
「情けねぇ声出すなてかわしに寄こせ!」
周りの喧騒とあまりにあるギャップに、アレは時の流れを忘れてしまいそうになる。
さく、とナイフを入れ、切り取った肉を口元に運ぶ。塩見が、口いっぱいに広がった。
おばあさんはお肉を自分に食べさせてはくれなかった。
だからアレはこの美味しさに、夢中になっていた。
まさにうめぇ、肉、うめぇだった。
ベトがいないと、自分はまるで置きものでもなったような心地になってしまった。
どうしたらいいのかもわからない。
考え方もピンとこない。
だけどなかなか、話しかけるきっかけ、必要性も、もっといえば発想そのものが浮かんでいこなかった。
「――――」
そして周りの男たちも、実はお互いでけん制し合っているのが実情だった。
はしゃいでいるのも実際は普段以上で、しかし女を買うのには慣れていてもコミュニケーションを取ることにはまったく不得手だった彼らは、一番手でやにかにするのに奥手になっていた。
結果として結局、彼女はひとりだった。
心の中は、空っぽのままだった。
「嬢ちゃん、元気かい?」
ふと陰りを見せると、スバルが話しかけてくる。
それが煩わしいようで、しかし今は都合がよかった。
おもむろに顔を上げて、アレは言葉を口にする。
「……ベトは、どこにいるんですか?」
ベトの姿が、朝から見えなかった。
結局鍛錬場にも現れず、アレは寂しい思いをしていた。
スバルはそれに弱ったな、と言わんばかりの苦笑いを浮かべ、
「いや、ベトはしばらく姿を現さないよ。用事が出来たらしく、アジトを後にしとる」
「……用事?」
思わずオウム返しに呟く。
なんだろう、という思いをあったが、それよりもアジトにいない、という事実がアレに落胆を与えた。
ベトがいない。
ただ唯一、心を許せるひとが。
「まぁ、だからといって心配するこたァない。出陣命令がない傭兵なんざ、暇を持て余してるだけだからなァ。なんだったら、街に出てみるのもいいぞ? 嬢ちゃんの案内にだったら、誰だって――」
「はいっ、俺行きます!」
「バカ、俺が行くに決まってるっての!」
「っせ! 俺に行かせろ頼むからァ!!」
機会を得たハイエナたちは、一斉に牙を剥こうと前に出る。
最初の日の焼き増しだった。
みんな雁首揃えて一人前に出る勇気はないくせに、こういう公然と二人きりになる機会は逃そうとしない。
それにスバルは突き出そうとしていた指をゆっくりと移動させ、
「……マテロフが、適任だな」
端の方で我関せずといった感じで食器を片づけようとしていたその人に、矛先を向けた。
「――私、ですか?」
ぴくん、とアレは反応する。
"私"?
「……あの、マテロフさんって」
「いやまぁ嬢ちゃんもいきなり野郎と二人っきりだなんて、緊張するだろう? ここはやっぱ女同士水入らずやってきな」
まさか、だった。
「部隊長、それは……命令ですか?」
「お前がそう望むなら、そうしとこう」
ハァ、とため息を吐き、マテロフは冷たさすら感じさせる美貌の瞳で、アレを視界に入れた。
傭兵に女性がいるだなんて、思ってもみなかった。
だからイコール美男子だなんて勝手に思い込んでいた。
見ればそれは男装の麗人というに相応しい風体といってよかった。
いや髪が肩まであるからもっと女性らしいとも言えるかもしれない。
だが、この無愛想ぶりにはどうしたものかと考えていた。
「…………」
道中、一切なにも喋らない。
アレは道など知らないから、マテロフのあとについていくしかない。
そして基本的に受け身だったから、相手の出方待ちだった。
だがマテロフからは、決してコンタクトを取ろうとはしない。
それどころか視線すらこちらに寄こさない。
真っ直ぐに行く先だけを見据え、淡々と歩を進める。
それはどこか、機械じみてさえいた。
「ハァ……ハァ、ハァ……!」
アレは初めて歩く道に、悪戦苦闘していた。
マテロフの歩みは、容赦ない。
スタスタと、健脚ともいえる動きを見せている。
対してアレは、もちろん杖をついての一歩一歩だ。
さらに体力はひとの三分の一以下、あっという間に20メートル、離された。
「っ、う……ま、マテロフ、さん……!」
思わず、アレは呼びかけた。
マズイ、と直感した。
これ以上離されると、姿を見失ってしまうかもしれない。
そうすれば、自力で街に行くことも、そして戻る自信すらない。
止まってもらわなくては。
自分は家に帰ることすら、出来はしない。
杖が、地面を擦った。
「ッ……!」
受け身も何もあったものではない。
アレはまともに、頭どころか顔――それも鼻から、地面に衝突する。
ガツン、という聞くも痛い音。
「――――!」
アレは声すら出せず両手で鼻を押さえ、そして静かに呻いた。
のたうちまわることすら、許されない。
まるで自分がみの虫かなにかにでも、なったような錯覚。
「わかった?」
無機質な声が、頭上から聞こえた。
だけど痛くて痛くて、いまは応えることすらできなかった。
だけどマテロフだというのは、当たり前に理解は出来た。
「ぅう、ぅ……」
「貴女は自分のことが、わかってない。世界を変える? そんなことが出来るのは、神様だけ。あなたは神様じゃない。もっといえば、人間ですらない。人間が歩いて、勝手に転んで、鼻血を出す? 哀れね。みの虫以下といってもいいわ」
マテロフの言葉には、一切の容赦というものがなかった。
呻き鼻を押さえそこからボタボタと鼻血を零す銀髪の少女を、立った状態で身を屈め、耳元で囁くように。
残酷な、それは構図だった。
「わかったかしら? ちょっと演説上手で、甘え上手で、バカな男たちにチヤホヤされて、三歳児以下の剣の振り方が出来るようになったからって、勘違いしない方がいい。貴女は、何者にもなれない。何事も、成せない。ただ生きて、ただ死ぬ。男の慰みモノになるかどうかぐらいね、違いは。だけど幸運ね、貴女は。私がその運命を、こうして教えてあげるんだから。
そういう知識があるかどうかっていうのは、大きな違いよ」
「…………」
マテロフの言葉に、アレは反応が乏しくなっていった。
震えも、呻きも消えて、ただ押さえた手の間からぽたぽた、と鼻血が伝うだけだ。
弓兵は、なおも語りかける。
「わかったかしら? だったら身の振り方を、考えなさい。今だったら私がいい職場を用意してあげられるわ。それこそ帽子の仕立て屋から、殿方に御奉仕して差し上げるお仕事までね。私としては後者の方をお勧めするわ、なにしろ貴女みたいな片手落ちの見た目だけいいお嬢様にはうってつけ――」
「よい、しょ」
まったく、意に介さず。
アレは普通に、身体を屈めて語りかけ続けるマテロフの前で杖をついて、立ちあがった。
「…………」
それにマテロフは、言葉を止めてその姿を見つめた。
いや、睨むといった方が近いかもしれない。
いき過ぎた美貌は、時に思いがけない迫力を産むものだった。
ましてや男装の凛とした長身の彼女のものだったら、いわんやとするところだ。
その視線を、アレはただ自然と受け止めた。
否、その瞳にマテロフは映っているのか。
そういう錯覚をマテロフが起こしかけるほど、自分のプレッシャーは彼女に届いていないようだった。
なにしろそこには男たちに向けているものと同種の、笑顔が張り付いていたから。
もちろん一緒に、雑に拭かれ波打つように顔全体に広がっている鼻血も一緒だったが。
「……どういうつもり?」
「いえ、ご迷惑おかけしました。では、街へと向かいましょう」
会話になってない。
というか、意図が伝わっていないと見るべきか?
しかしそんなはずはない。
あれだけ決定的に言葉を告げたのだ。
しかし彼女は生まれてからコミュニケーションらしいコミュニケーションをしていないと見れば、あるいは……とマテロフは一瞬で思案し、
「諦めたの?」
単刀直入、率直に聞いた。
マテロフなりの、優しさだった。
だがアレは、
「なにがですか?」
にぱ、とでも擬音がつきそうな無邪気な笑顔。
それはストレートに、マテロフの逆鱗に触れた。
「……貴女、馬鹿にしてるの?」
詰め寄る。
それにより杖で息を切らしながらなんとか立っているアレとの距離が、眉間と眉間でわずか2センチに肉薄する。
互いの息遣いさえ聞こえそうな距離だ。
むろん、マテロフの迫力も3倍増しだった。
アレは笑顔を崩そうとしない。
反射的に、手が出ていた。
「っ……」
パン、という快音とともに、アレの顔は反対側にはじけ飛び、そのまま大きくバランスを崩して地面に倒れ込む。
がつ、という嫌な音。
またも受け身を取れなかったらしい。
ぐしぐし、と鼻を擦る仕草が見えた。
まさか、と思った。
そのまさか、だった。
「……ふぅ」
アレは今度はすぐに、立ちあがった。
酷い有様だった。
顔は土ぼこりと砂がまみれ、さらに鼻血は顔全体に広がっている。
せっかくの太陽を知らない白い肌が、赤黒く変色してしまっている。
まるで物乞いかなにかのようだ。
だがそこには、不変の笑顔。
「さ、行きましょう?」
不気味さすら、感じ得た。
マテロフは一歩、後ずさる。
それに気づき、自分の失態にギッ、と歯噛みし、再び前進。
どんなアクションを取ろうと、アレが反応することはなかった。
「なんで……どういうつもりよ、貴女」
「ないですよ、なにも」
にっこり、今度は満面といえる笑顔を作る。
いや、浮かべるといった方が正しいか?
そうマテロフが戸惑うくらい、そこには意図したものが見つけられなかった。
ないというのは、他意が無いといいたいのか?
「……どこに、いきたいのよ?」
「マテロフさんの、行くところです」
耳を疑った。
「なんで私の行きたい所に、行きたいのよ?」
てっきりマテロフは、アレが街に行き、あれこれ見て何かを欲しがるのをエスコートする体のいい子守役にされたのだと思っていた。
だから気が向かなかった。
そんな甘ちゃんの甘えを、容認する役を。
だから少々きつめに、現実を教えてあげようと思っていた。
そちらの方が彼女にとって、幸せだろうと思っていたから。
だけどアレは、自分の行きたい所に行きたいという。
意図がまったく、掴めない。
「知りたいからです」
「なにを?」
「わたしの、知らないことをです」
「……だから、なんで?」
「世界を、変えるため」
あれだけされて。
倒れて、鼻血を出して、呻いて甘ちゃん扱いされ、家に帰れといわれ、立ち上がりなおブたれ、酷い有様になってなお、この深窓の令嬢は戯言を吐く。
ギリ、と歯を噛む。
「……知らないことを知ることが、世界を変えるために?」
「必要なんです。わたしはなんにも知らないから、剣を振ってもきっとダメだから、歩けないし何も出来ないし小娘だし甘いから、このままじゃきっと何もできず成せずひょっとすると男たちの慰みモノになって死んでしまうから、わたしは、知りた――知らなくては、いけないんです」
「――ムカつくわ」
悪態が、出てしまう。
なんとか理性で拳を振るうのだけは、押しとどめる。
それではフェアじゃない。
この目の前の御令嬢は、自身の無知も無力も無謀も全部が全部承知の上で、ここに立っているのだから。
諭すような暴力は、ただ一方的なだけだった。
「なんなの、貴女? 出来る出来ないで、割り切らないと、生きていけないでしょう? 言ってること、滅茶苦茶よ? 自分でわかってるの、そこんところ?」
「わかってますよ、自分のめちゃくちゃさは」
えへ、と男なら100%骨抜きになりそうな微笑みに、マテロフの額に青筋が浮かぶ。
「……本気で話す気が無いの?」
「わたしは、本気です」
笑顔が、ブレない。
底が知れない。
初めてマテロフは、そう思った。
これは深窓の令嬢なんかじゃない。
間違いなく敵で、しかも手ごわい部類に入る。
マテロフは頭のスイッチを、入れ直した。
「貴女に、なにが出来るっていうの?」
「なにも出来ません」
「なら世界なんて変えられないでしょう」
「できるできないじゃなく、変えるんです。変えなくてはいけないんです」
「出来る出来ないなのよ、世界は」
「できるできないじゃないんです、実際は」
押し問答が続く。
マテロフは憮然を装いながらも、少しづつ気持ちが押されていくのを感じた。
なにしろ目の前の少女は、僅かにも表情も動作も変化が無い。
しかしなおも気持ちを奮い立たせる。
信じない、そんなものは。
「――じゃあ、なんだっていうのよ。変えなくてはいけないと、変えられるとでもいうの?」
「変えられるんじゃなく、変えるんです」
言葉遊びか。
「……話す気があるのかって聞いたんだけど」
「話してるじゃないですか」
「私、子供と話す言葉は持ってないんだけど」
「むづかしいですね」
「っ! いい加減にしなさいっ!!」
遂に、マテロフは激昂してしまった。
アレの襟首を掴み、持ち上げる。
暴力に訴えるという事は、言葉では負けたという証明に他ならなくなってしまう。
だがそれでも、マテロフはこの方法を選んだ。
不公平だと、知りながら――
「見なさい! こうして掴まれ吊るされるだけで、貴女に出来ることはもうないでしょう? 認めなさい、無理は無理だと! この世の中は、みなに公平には出来てないのよ!!」
叫び、マテロフはもの凄まじい形相でアレを睨みつけた。
それは最初馬車で一緒にした時からは考えられない変貌だった。
なんて激しい人だろう、とアレは上の空で思っていた。
そして一言、言葉を告げた。
「こーへー、って?」
マテロフは、固まった。
あれだけの言葉も、蛮行も、一瞬で終わった。
その一言は、マテロフの心臓を打ち抜いた。
もちろん当人は、それに気づかない。
「こーへーって、なんですか? そんなもの、あるんですか? こーへーだったら、男の子は殴られずに済んだんですか? こーへーだったら、おばあさんは殺されずに済んだんですか? こーへーだったら、わたしは歩けたんですか?
こーへーだったら、世界は変えられるんですか?」
懇願、悲願、哀願に近いモノか。
それをアレは唐突にマテロフに、叩きつけた。
それはそういうに相応しいほどの、想いの濁流だった。
公平、という概念すら存在しない。
マテロフ流に言うなら、それは一種の怪物だった。
「……貴女は、だれ?」
ハッキリと、言葉が震える。
掴み上げているのは、肉体の主導権を握っているのは自分の筈なのに、場の主導権はいま――というより思えば最初からずっと、彼女に在った。
怯えていた。
格が違った。
勘違いだった。
これは自分などが手に負えるような相手では、なかった。
「わたしの名前、ですか? アレ・クロアといいます。
小さい頃からずっと、ベッドの上で暮らしてきました」
笑顔で、それが言える。
外の世界に出てなお、相手に告げられる。
その異常を、いま、初めて掴み取った。
思わず、手を離していた。
同時にアレはマテロフの戒めから解き放たれ、地に墜ちる。
その"筈だった"。
とん、と軽やかにアレは地面に、着地した。
両足で。
「……なんなのよ」
もう、訳がわからない。
演じていたというのか、今まで弱い人間を。
だがなんのために?
倒れ、血と土に塗れ、なお笑う意味がわからない。
同情を誘うためか?
それで味方を増やして、ことを成すためか?
そう考えれば納得できる気もする。
だがなぜそれを、この場で晒す?
私が喋らないとでも高をくくっているのか?
それとも逆で、私を懐柔――
「なんでも、ナイ」
わらった。
気づいた。
マテロフは。
アレの笑みが、変化した。
無邪気も過ぎると、毒になるという。
まるで半円型に作られた目と口の形は、なにかの仮面のよう。
そう、それは――
「ただ、ヤルといえばヤルだけの話」
嗤うという表現が、ピタリと合っていた。
その瞳は、なぜか金色に輝いて見えた。




