ⅩⅠ/普通という在り方
スバルにだけ一言残して、ベトはアジトをあとにした。
なんでもしばらくしたらこのアジトは引き払って移動するという話だから、あまり遅くなるなという話だった。
それにベトは一応留意し、移動含め滞在期間を四日と決めた。
一人、山道を歩く。
なんとかギリギリけもの道ではないが、ほとんど人が通らないような道だった。
さもありなん、交戦中の区域の山など盗賊、敵兵、騎士崩れなんでもござれの無法地帯だから、こうして一人歩く方がどうかしていた。
どうかしている。
そのなんでもない筈の単語が、ベトの胸を打った。
「……ったく、それこそどうかしてるよな?」
質問形式のそれは、誰に向けた言葉なのか。
ベトは黙々と歩きながら、考える。
今日はおそらく、途中の山で野宿となるだろう。
太陽が西の空に、徐々に沈んでいくのが見える。
単独行動は嫌いではなかったが、それにしてもやはりベッドで眠れないというのはあまり喜ばしいものではなかった。
まぁ、仕方ないが。
向かっているのは、エルシナから20キロほど離れた盆地にある、ハントスという街だった。
王都からは離れた場所にありそれほど栄えているというわけではないが、しかしこのレイティア国で一番の規模を誇る聖堂を有していることで有名な街だった。
名は、サミオール大聖堂。
ベトの用事は、そこにあった。
「もう、二年前になるのか……」
ベトは呟き、焚火をくべた。
パチパチ、と火花が散る音が耳に届く。
山では火が、一番身を守ってくれる。
獣は無意識に、火を恐れる生き物だからだ。
だから火さえ絶やさなければ、それほど恐れるものではない。
マントを毛布代わりに身体に巻き付け、大きな枯れ木の幹の上に、横になる。
まるで団子虫にでもなったような気分。
山と、一体化しているような。
空を仰ぐと、満点の星空。
これだけが、唯一の利点だった。
楽しみ、と言った方が近いだろう。
しかしそれも、一瞬。
宝石箱を散らしたよう、といえば聞こえもいいが――宝石をいつまでも眺めているような趣味は、ベトにはない。
瞼を閉じる。
そして想いを馳せる。
二年ぶりのエルシナ。
信仰心がそれほどではないベトをして、あの大聖堂と、神父と交わした会話は興味をそそられた。
果たして二年ぶりに自分が行くことで、どうなるのか。
「――どうもなんないかもしんねーが」
あごひげをジョリ、と触り、ベトはそのまま眠りについた。
翌朝は、五時に目覚めた。
もちろんベト自身狙ってその時間に起きたわけではなく、感覚で、だ。
これ以上早いと足元が見えないし、遅いと移動距離が短くなるという、絶妙な時間帯だ。
歩き始めてからしばらくして、懐中時計を見て、確認した。
これも、サミオール大聖堂で受け取ったものだった。
「…………」
しばらく考え、ベトは山を下りる足を止め、祈りを捧げた。
目を閉じ、手を合わせる。
それ以上所作を、ベトは知らなかった。
今度神父に正式に習ってみるかなどと、ベトは考えていた。
エルシナに行く理由が増えるのは嬉しかった。
なんでも用事は、まとめて済ませるに限る。
早朝の山の空気ほど、澄み渡っているものはなかった。
一呼吸ごとに、白く自己主張する。
そして生命の躍動が、胸を叩く。
夜とはまったく姿を変える。
まるで、
――わたしたちは、死んだ世界の次の日神からの日差しという光により、再生します。
だからみんな、死んで生まれ変わってるんです。
「……どうかしてるな」
彼女の言葉の意味を、こうして実感するなんて。
だけど一概には言えないか、とベトは足元のつるを愛剣で薙ぎ払いながら進む。
毎晩自分たちが死んでいる、という言葉は笑い飛ばしたかったが出来なかったというか、正直言葉に出来ないような想いを自分に与えていた。
死。
それは常に――というより生まれた時から、ベトの傍にあった。生まれた場所が戦場の真っただ中。
そしてずっとその場暮らしの傭兵生活。
殺さなければ、死ぬ。
死を作らなければ、死が訪れる。
だから死を振りはらうために、死をあがなっていたようなものだった。
だから死は常に自分と背中合わせに存在し、そして決して振り返り顔を合わせてはいけないものと認識していた。
死そのものは、常にこちらの心臓に手を伸ばそうとしているが。
しかしアレは、死は毎晩訪れているという。
相変わらず――何度言ったかわからないが、わけがわからない。
そこでベトは思う。
そうだ、これも神父に聞いてみよう。
死生観は、教会お得意の分野だろう。
自分が死生観?
「……く、くく」
思わずベトは、笑ってしまった。
そんなものを考える日がこようとは思ってもいなかった。
ただ、生きてきた。
ただ、殺してきた。
シンプルなそれを信条にしてきた自分が、まさかだった。
「世界はどうか知らないが、とりあえず俺は少しは変えたみたいだぜ、あんた……」
揶揄とも感心ともつかない言葉を残し、ベトは山から街へと、降り立った。
*
アレはその日、100回剣を振ることに成功した。
嬉しかった。
達成感で、体中が満ち満ちていた。
まあ、三時間もかけてのことだったが。
「う、うぅ……でき、たぁ」
へたり込む。
全身、汗でびっしょりだった。
というかむしろ汗のなかに自分がいるように錯覚するぐらいだった。
軽く手を振るだけでも、べちゃ、べちょ、という奇妙な音と、信じられないぐらいの重みを感じる。
いやもうまったく動けないけど。
お日様が、真上にあがっていた。
お昼。
ご飯の時間だ。
ご飯は一日二回食べるものだということを、アレはここに来るまで知らなかった。
そしてお肉というものがあんなに、美味しいということを。
「おーう嬢ちゃん頑張ってるなー」
ぼんやりお日様を眺めていたら、声をかけられた。
でっぷりした体躯にひかる禿頭、スバルだ。
スバルは初めて会った時から、折りを見て声をかけてきていた。
それは笑顔を見せて、猫なで声で、親しげに。
それがアレには、気が置きにくいものだった。
「…………はぁ」
こっちにきて、三日。
さすがに無視し続けるのも気が引けるので、一応おざなりに申し訳程度な返事をかえす。
それにスバルはお決まりの苦笑いを浮かべ、
「はは……今日は、100回くらいやってたみてぇじゃねぇか? どうだ、剣の感触は?」
くらいというか、きっかりだ。
どうやら数えていたらしい。
そういうところも、アレには気が許せない一因に他ならなかった。
それに、剣の感触。
「――重いですね」
それぐらいしかない。
スバルは頬を引き攣らせ、
「そ、そうか。まぁ女子供には扱いにくい武器よなぁ。嬢ちゃんは、あれか? 今までスプーンより重いものは持ったことがないっていう口かい?」
「そうです」
明らかな冗談めいた口調に、アレは即答した。
もったことがない。
事実だから。
スバルの苦笑いは、凍りついた。
そして――質の変わった笑みへと、変貌した。
「――嬢ちゃん、昨日の夜のことは覚えてるかい?」
明らかにご機嫌を窺うような口調から、こちらのうちを覗き込もうとするような感じに。
それにアレは、なんの感想も抱かない。
抱く必要性というか、そういう条件反射をそもそも持ってはいなかった。
だから単純に、その文章のみをくみ取る。
「覚えていません」
ただ一言。
わかりやすいくらい、単純な答え。
「……まったく?」
「ぜんぜん」
「ほんの少しも」
「ないです」
ない、という言葉にスバルはしかめっ面を、笑顔に戻す。
この子がないというのなら、それはないのだろう。
だが一応ここまでは聞いておかなければならない。
「じゃあ昨日ベトの前で倒れたところまでは覚えてるだろ?」
無言で首肯、スバルは続ける。
「じゃあ、そのあと起きたら……」
「今朝ですよ? それがなにか?」
ややキツメな顔で見つめられ、スバルは再び苦笑い。
「そうか。いや悪かったなあ、邪魔して。じゃあな」
手を振って、去っていく。
それを無言無表情無動作で見送り、アレは人心地つく。
苦手だった。
理由なき、好意が。
恐れていた。
アレは、ひとを。
今でも。
それは無理もない事だった。
ずっとベッドの上で祖母とだけ会話を交わし、そこから窓を見て暮らしてきて――ひとの無関心も、悲哀も、そして狂気と暴力も、見てきた。
それ以外、見てきたことがない。
一度として子供は許されることも、パンを与えられることはなく――代わりに酷い罰を、その身に刻みこまれていた。
祖母も自分を、所有物のひとつのように見ていた。
だから苦手だった。
だけど生きるためモノのように振る舞い、それが正しいと信じていた。
なのに実際は、祖母は本当に優しかった。
自分の感覚は、何一つとして信じられるものではなかった。
そしてそれは同時に、世界というものがより遠くに過ぎ去ったように錯覚させた。
わからない、ということほど怖いものはなかった。
だから一定の距離が、必要だった。
なのにベトに対してだけは、安心できた。
好意のようなものが、見受けられないから。
「…………」
アレは俯き、静かに呼吸を整える。
好意が見えないから、安心する。
それは普通の在り方からは考えれないと、少女はわからない。
普通というあり方を、知らないから。
世界を変えたいのはただ単純に、世界が怖いからなのかもしれなかった。
もちろん未だに、断言できるものではなかったが。
だから大衆の前で演説したり、単純な呼びかけには笑顔で応えるアレだったが、対一でまともに話せるのはベトと、素っ気なくされても頑張るスバルだけだった。
他の者は好意は持っているが、持て余していた。
真っ白いレースドレスのような少女の、扱いに。
「……ハァ」
一息吐き、杖をついてアレは立ちあがった。
陽射しが眩しい。
ご飯を食べて、次はどうしよう?
考えていた。
世界を変えなきゃ。
それ以外、自分の生きる意味がない。
だけどこうして剣さえ振っていればいいと、そういう風にだけは思えなかった。
ベトに、会いたかった。
「あ……」
建物に入る直前、アレは声を漏らした。
そこには、アレが会って、一緒に荷馬車でここまで一緒して――そして今まで一度も話したことがない相手が、玄関の脇に座り込んでいたから。
「…………」
あぐらをかき、そして自身のものだろう弓を熱心に手入れしている。
弦を張り、固定し、状態を見る。
理由はない。
なぜかアレは、その光景を見つめていた。
「……おーい嬢ちゃん?」
上の階から、スバルの声がかかった。
それにハッ、と我に返る。
どれくらい見ていたのかわからない。
そしてそれに彼も、微動だにしない。
ご飯を食べないのだろうか?
そんな子供じみた発想さえ出てしまうほど、彼は弓の手入れに没頭していた。
「――お昼ご飯、食べましょうか?」
「え……」
その呟かれた声が、すっと音もなく立ち上がり弓を背中に担ぎ直し伏し目をしている目の前の男だと気づくまで、4秒ほどの時間が必要だった。
「あ、はい……その、」
「マテロフ=アルケルノ。マテロフで、結構です」
そう言って弓使いマテロフは、先行して二階の食堂に続く階段を上っていった。




