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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅹ/月が世界を食べる夜

 アレは、ずっと眠り続けていた。


 戦闘終了から、既に七時間が過ぎていた。


 しかしベトが弓で狙われた直後からずっと、アレが目を覚ますことはなかった。

 ただ瞳を閉じて、寝息も立てずに掌をお腹の前で組み、横たわり続けている。


 その姿を、ベトはじっと見つめ続けていた。


「…………」


 ベトはあのあとアレを抱えて、部屋まで連れてきた。

 そして自分のベッドに横たえたあと傍の椅子の上に自身も座り込み、あとはじっ、とアレの様子を見守り続けていた。


 こんなに誰かを見ていたことはなかった。


 ベトは基本的に、他人に対して関心が薄い方だった。

 他人がすることに口出しすることはないし、逆に口出しされるのを酷く嫌う。


 そして楽しくやってくれればいいが、自分は巻き込まないで欲しいと思うタイプだった。


 だから他人の動向など、基本それほど気にはならなかった。

 もちろん戦闘の作戦行動中は話が別になるが。


 なんなんだ、とベトはアレを見てずっと考えていた。


 行動が、まったく読めない。

 話すら、うまく疎通できない。


 結果的に、理解に苦しむ。


 だけど、気持ちは伝わってきた。


 そこに駆け引きや、損得といった感情が、無い、に等しい。

 もちろん断定はできないが。


 それでなぜ生きていけるのか、ベトには不思議で仕方がなかった。

 いや事実としてアレは今まで自身が生まれた家で祖母に守られ、野盗に襲われた時もたまたま自分たちがちょうど駆けつけたため、難を凌いでいた。


 いつも、誰かしらに守られてきた。

 ただ、偶然に頼り切ってきた。


 幸運に、恵まれてきた。


 だけど事実として、この娘は生きてきた。


 その芯のこもった言葉に、みな心打たれている。

 この自分をですら、心乱されている。


「…………」


 わからない。


 そんな生き方を、ベトは知らない。

 そんな在り方を、ベトは知らない。


 でも自分がそれに心奪われているのも、事実だった。


 理解したい。

 そう思っていた。


 損得抜きで、純粋に。

 そう思ったのは、初めてのことだった。


 なぜか?

 それすら、よくわからなかった。


 わからないことだらけで、考え過ぎて、とりあえずその対象であるアレをベトはじっと見つめていた。


 こうして見ると、ただの娘だ。


 それはただの、信じられいほど美しい娘だった。

 なんの力もない、どこでにもいるで、どこにも見当たらない――


「……ん、んん」


 アレが、目を覚ました。

 目を擦り、上半身を起こす。


 以前と似たようなシチュエーションに、なぜかベトは笑顔を作っていた。

 怖いというか、笑って欲しいというか、なんというかという心境で。


「おう、起きたな」


 アレは? といった感じの寝ぼけ眼でこちらを向き、


「…………」


 無言。


 それにベトは、言葉を失う。


 無言というものは、意外とプレッシャーがあるものだと思った。

 特にアレの場合、心情が読みにくい。


 皮肉な話だった。

 今まで楽しい時は笑い悲しい時は喚き怒った時は暴れる粗野な男どもしか相手にせず楽してきたことへの、しっぺ返しのようだった。


 しかも、長い。


「……そ、そういや腹、減ってねーか?」


 沈黙に耐え切れず、ベトが会話の口火を切った。


 それにアレは焦点が合っていない瞳でぼそりと、


「すいた……」


 きっかけ。


 ベトは今までまるで発揮しなかった対人関係における切り込む隙を見つけるという喜びを発見してしまった。


「そ、そっか! もう食堂はしまってっけど、とりあえずこれだけは持ってきたから、よっ」


 後ろから、机の上に置いておいたパンと野菜スープが入った皿を、差し出す。

 それをアレは、ぼんやりとしたまま受け取り、パンをのそのそと千切り、ゆっくりと口に運び、


「もふもふ……ほいひ」


「お? ほれほれ、スープも飲みな?」


「んくんく……おいし」


 ひと息。

 それにベトも、息を吐く。


 ただの食事、それになんでこんなに神経を使う?


「あ、ベト」


 まるで今自分を見つけたかのような反応に、ベトは頭を抱える。

 信じらんねぇ無防備さ。


「今、気づいたのかよ……とりあえず良かったわ、大丈夫そうで。頭痛いとかないのか?」


「ん、ない」


 返事をしながら、むしむしとパンを千切りそれを口に放り込む。


 アレは食事に、集中していた。

 それを察し、ベトも質問をやめ、再び椅子に深く座り見守る体勢に戻る。


 なんだか、最初に会った頃に戻ったようだった。


 食事を済ませしばらくしてから、アレは今気づいたようにベトの顔を見つめた。

 しかも結構、長い間。


 それにベトは理解できずに、疑問符を浮かべる。


「ど、どうした?」


 動揺、再び。

 どうも目覚めてから、アレの挙動に不審が目立つ。


 理解できない。

 いや、それは元々か?


「…………」


 喋ってくれない。

 ずっと。

 もはや犬か猫かと。


 とりあえず、こちらも黙っておくことにする。

 いい加減、気を使うのにも疲れたし。

 というかそういうキャラじゃないし。


 頭を、ガリガリとかく。

 潮時か。


 席を立つ。


 色々と聞きたいこともあるが、今こうして回復したばかりの深夜に聞くこともないだろう。

 それになにより、それは簡単に済むとも思えなかった。


 スタスタとドアの傍まで移動し、いつもアレが使ってる寝床に、横になる。

 そしてアレから背を向け、ドアを向いて、瞼を閉じた。


 今日だけは、ベッドを譲る。

 ゆっくり休め。


 明日、色々聞かせてもらうさ。


 それだけ心の中で呟き、ベトは意識を沈めていった。




 そのやり取りを、スバルはドアの隙間からこっそり覗き込んでいた。


「おいおい、なにやってんだベト……?」


 スバルは、眉をひそめていた。


 あのぶっきらぼうで、無頼で、面倒くさがりなあいつらしくもない。

 えらく気を使っているし、慎重で、じれったくて、思わず飛び出したくなった。


 さすがにそれは抑えたが。


 さっさと襲っちまえってーの。

 女は情で、離れなくしちまえ。


 スバルの座右の銘だった。

 前時代的だが。


 その心の声も、当然ベトには届かない。


 だが。


 ふて寝するように横になったベトと違い、アレは放心したようにベトを見つめていた。

 ベッドに腰掛け、手足をブラブラとしている。


 いや、それがベトを見ているとは限らなかった。

 アレの視線は、ドアの――こちらの方を、たゆたっていたからだ。


「…………」


 何を考えているのか、読めない瞳。

 それがスバルには、不気味に映った。


 長年の経験という奴から、スバルはひとを言動よりもその"感じ"で判断する。

 感じ、というのは曖昧な表現だが、たとえば空気、表情、そして生理的な相性。


 そういう具体的には捉えられないもので考えるようにしている。


 口なら回せばいい。

 表情なんて作れる。

 態度がどうしたというのか?


 そういう意図的に騙せないものこそ本質を伝えると、スバルはやはり理屈ではなく思っていた。


 それが読めないというのは、つまりは判断できないということ。


 この歳になってわからないということは、それだけで不安にさせる要因だった。


「――――」


 アレはしばらくそのままでいたが、やがて再びベッドに、横になった。

 寝返りを打って窓の方を向き、そしてそのまま動かなくなる。


 スバルはそのまましばらく様子を見ていたが、やがてまったく動きがないことに見切りをつけて帰ろうと考えて廊下の方を向いたが、最後にもう一度ベトの寝姿でも見てからにしようと振り返り、


 アレの姿が、消えていた。


「な…………」


 スバルはそれに、言葉を失う。


 一瞬だった。

 ほんの一瞬、視線を外しただけだった。


 しかしそこにアレの姿は、ない。


 そして、気づいた。


 窓が、開いている。


「お、おいおいまさか……」


 スバルは信じられいものを見る気持ちで、ベッドに近づいていった。


 ベトを跨ぐ。

 むにゃむにゃと呑気そうな寝息を立てている。

 今日の戦闘は激しかったし朝から寝不足のようだったから、その眠りはいつもの三倍は深そうだった。


 ベッドには、やはり誰もいなかった。

 なびくカーテンが虚しさを演出していた。


 めくれた布団を、さらにめくってみる。

 なにもない。


 窓から、外を見てみる。

 いつも鍛錬をしている演習場が、暗い闇の底に沈んでいた。


 不気味だ。

 見慣れたものも、こうして見ると恐ろしく感じるから不思議だった。


 しかし、あの子はどこに――


「どうシたんデスか?」


 声。


 それにスバルは、比喩ではなく仰け反った。


「!? な、と、ど――」


 こだ? と繋げたくなったが、そこでスバルは言葉を失ってしまう。


 アレはスバルの、目の前に立っていた。


「と、お……嬢ちゃん。な、なんだびっくりさせるなよ? げ、元気そうだ、な?」


 震える声を必死に抑えつけ、スバルは答えた。


 内心ドキドキしていたが、その辺を見せるのはスバルの信条ではなかった。

 基本女の前ではカッコつけたい生き物よ、男は。


 アレの様子は、やはりどこか普通ではなかった。

 俯き加減で視線は下げられており、全体的に生気のようなものが感じられない。


 それにスバルはまるで幽霊と話しているような錯覚を――


 そこで、気づいた。


 アレが立っているのは、窓の――向こう、だった。


「ッ!? っ、ぃ……!」


 息を、呑む。


 そんな、ありえない。

 だってここは、寮の三階。高さは10メートル近くにも及び、ベランダもないのに……!


「どうシたんデスか?」


 機械仕掛けのように、感情の灯らない声がかけられる。

 さっきとまったく同じ口調、声量、そして文句で。


 まるで人と話している気がしない。

 まるで人ではないものと話している気にさせる。


「ぃ、い、いや……じょ、嬢ちゃん」


「どうシたんデスか?」


 もう、その台詞は聞きたくなかった。

 その響き、口調、声量、文句は嫌だった。


 変な気にさせるから。

 怖い気持ちにさせるから。


 だからとにかく、なにか喋って言葉を遮ろうと思った。

 最初に口に着いたものを、そのまま吐き出す。


「ど、どうやって立ってるんだい?」


 いきなり、核心を突いてしまった。


 それにスバルは自分で自分の発言に慌てたが、


「どうイウ意味デスか?」


 天然なのかしらばっくれたのか、とにかく事なきを得たようだった。


 胸を撫で下ろして、


「いや、気にしないでくれ……いやしかし、いい夜だよな?」


 いつもの口癖を、口にしていた。


 今日は、満月。

 気温も適度で生ぬるい風が吹く、スバルの好きな夜だった。


 こんな日は、出て行った女房を思い出した。

 よく外に出て、無駄な話をしながら無駄な散歩に勤しんだもんだった。


 夜風に当たりながら、一杯やりたい気分だった。


「いい夜、デスか?」


 しかしアレの返答は、つれないものだった。

 それにスバルは眉をひそめ、


「ん? 嬢ちゃんは、こんな夜は苦手かい?」


「苦手というか……夜に違いが、あるんですか?」


 思わず、といった答え。

 それにスバルは恐怖に逸らしていた顔を、窓に向ける。


 いつの間にかアレは、ベッドの上に腰掛けていた。


「……嬢ちゃんにとっては、夜はみんなおんなじものなのかい?」


 それにスバルは、とりあえず考えないことにした。


 長年生きるか死ぬかの極限の稼業に身を置いてきた上での、経験則だった。

 あまり深いことを考えても、解決しないこともある。


 その場では優先順位を決めて、他のことを考えないようにする器の広さも重要だったりする。


 アレは物憂げな表情でこちらを見上げ、


「夜は、わたしを包みます。そして世界を包みます。その中で人々は眠りにつき、そしてその日いちにちが、死んでいきます」


「……ほぅ」


 当初の目的も忘れ、スバルはアレの話に引き込まれていた。


 この子には何かあると思っていたが、実際その世界観はいやはやなかなか――


「わたしたちは、死んだ世界の次の日神からの日差しという光により、再生します。だからみんな、死んで生まれ変わってるんです。だからその夜に、違いというものが存在するんでしょうか? いつもわたしにとって夜は、優しく包み殺してくれるものだと思っていたのですけど……」


「優しく、包み殺す? 殺すのに、優しいも何もあるのかい?」


 傭兵である自分たちには、決してあり得ない意見。

 他の仲間たちなら、笑って相手にもしないような話だろう。


 だがスバルは、話に乗っていった。


 アレは――底冷えのする笑みを浮かべ、


「ありますよ、それは。剣で刺し殺すのなんて、野蛮じゃないですか? どうせ死ぬなら――相手も気づかないくらいに、そっ、と殺してあげるのが、優しさでではないですか?」


「ほぅ……それが神の思し召し、ってやつかい?」


「そうです。それを私は、行使する者です」


「まるで嬢ちゃん、自分が天使さまみたいな言い方するなァ」


「――――」


 その言葉に、アレは答えなかった。

 ただ妖艶に微笑み、そしてそのままベッドに横になった。


 毛布をかけず、無防備な美しい肢体をさらして。


 その挑発的な態度にスバルは目を細め、


「……もう、眠いのかな嬢ちゃん?」


「今夜は、月が綺麗ですね」


 さっきと言動が、180°変わっている。


 それに背中に、そら寒いモノを感じる。


「ああ、世界が食べられていく……あなたも、どうか安らかに」


 この子は――


「お……おっさ……」


 いったい――?


「……スバルのおっさんッ!!」


「おふはっ!?」


 いきなり、唐突に。


 なんの前触れなく直接鼓膜に大音量をブチ込まれた衝撃に、スバルは跳ね起きた。


 耳がぐわんぐわん、心臓ばくんばくんするなか、スバルは憤る。

 なんだやぶからぼうにこっちは大事なことを考える最中だってんだ!


「だ、誰だゴルァこっちは大事なことを考えてる最中だってんだやぶからぼうにィ!!」


 と、気づけば。


 そこは、自室のベッドだった。


「…………は?」


 かなり久しい感覚だった。


 呆気に取られ、みっともない間抜け声をあげるだなんて。

 しかしこの状況はそれに値するぐらいに、奇怪な状況だった。


 ベッドの上だ。

 自分はそこにいる。

 そこに、一人立って乗っている。


 後ろからはチチチ、と小鳥が鳴く声が聞こえる。

 既に日は昇り、明るい日差しが部屋に入り込んできている。

 広く、そして向かいには大きな机が置かれ反対側の壁にはいくつもの本棚が並べられいる。


 まごうことなく、ベトの部屋ではない。

 そこは部隊長である、自分の部屋だった。


 そして目の前には、そのベトが立っていた。

 自分を、見下ろしていた。


 わけがわからない。


「なーにやってんだおっさんよ? いよいよボケたか?」


 混乱して黙っていると、ベトはいつもの軽口を叩く。

 それが間違いなく現実であると、告げているかのようだった。


 スバルは思い悩み、頭を抱える。


「……夢、だったのか? いやしかし確かにわしは、今まで……?」


「おいおい、大丈夫かよおっさん? 冗談じゃなく、ホントにボケたか?」


 かなり本気で心配というかこっちの様子を訝しむベトにスバルはかぶりを振って、


「いや……だ、大丈夫だ」


 悪い夢でも見たようにぶつぶつ言いながら立ち上がり、ヨロヨロとおぼつかない足取りで部屋から出ていった。


 予定は、詰まっている。

 これが現実であるのなら、のんびりベッドで座っている暇はなかった。


 それをベトは笑顔で手を振り見送ってから――静かに、呟いた。


「……あんだけデケー声で話してて、聞こえねーわけねーだろ」


 昨晩のすべてのやり取りは、ベトの耳に聞こえ目にも映っていた。


 気づかないわけがなかった。

 今まで奇襲を決して許さなかったベトは徹夜明けだろうが襲撃があった日が重なろうが、物音ひとつで意識はバッチリだった。


 それは呪わしくも、思われる時もあった。

 結果としてこうして、知りたくもなかったことを知る羽目にもなる。


 そういうことは、別の場所でやって欲しいくらいだってのに。


「……どうすっかな」


 頭をかく。


 ボリボリと、ふけが床に落ちる。

 構わない、スバルだって同じようなもん――のわけねーか、あのハゲじじいが。


 窓から、鍛錬場を見下ろした。

 既に仲間たちは集まり、朝の鍛錬に勤しんでいた。


 その中央には、アレの姿も見えた。


 剣の振りは、昨日よりもさらに上達しているようだった。

 10秒弱だったのが、10秒ジャストにもう少し、というところだろうか?


 傍目にはわからないが、長年剣を振り続けてきたベトにはその違いと、そしてそこに至る大変さがよくわかった。

 女だてらによくやって――というか、ベッドから出てきたことがないってのに、まったくもって頭が下がる。


 ――それも世界を変えるとかいう、目的のためだっていうんだろ?


 ベトは胸中で、呟いた。


 感心していた。

 素直に。


 そういうところには。


 だけど心許すまでには、どうしても至れない。

 どうしても、理解できない所が多すぎる。


「……しゃあねぇ。予定を切り上げるか」


 一言だけ残し、ベトもスバルと同じように無駄に広い部隊長室をあとにした。

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