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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
剣 -brade-
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Ⅸ/逃げたくない

 ベトはその時、この時この場所ではまず聞いてはならない声を、聞いた。


「……嘘だろ?」


 呟き、振り返る。


 そこに――胸を押さえ、苦しそうにして喘ぎながらもこちらを必死に見つめる銀髪の少女が、立っていた。


 怒りが、先にきた。


「……なんで、来たんだ」


 声が低くなるのが、自分でもわかる。


 理解が出来ない。

 なんで、ここに来た?


 奥に隠れていろと、何度も言いつけたはずだ。

 こんな戦場にお前みたいなお嬢さんが来ても邪魔にこそなれなんの役にも立たないことが、わからないわけでもないだろう?


 意味が、わからない。

 思えば最初から、この娘の行動は理解に苦しむものだった。


「答えろ。なぜだ」


 お前の在り方は、今までの俺の人生を否定するものだ。


 もはや質問ではなく、それは詰問へと変わっていた。


 納得できる答えが聞けなければ、許さない。

 重苦しい声は、暗にそう訴えていた。


 アレはベトの、感情が欠落した冷たい瞳にさらされながら、それでもまともに立つことが出来ない身体を杖で必死に支え、気丈にも視線を逸らすことなく、


「――わたしは、逃げたくない」


 一瞬意味も何も頭から喪失していた。


「……逃げたくない、だと?」


 次に湧きおこったのは、再度の、そして以前すら上回る怒りだった。


 逃げたくない?

 戦うことすら満足にできない女子供が、なにを一端いっぱしに偉そうなことを言っているのか?


 そんな、身体で。


「どういう意味だ? 返答次第では、許さんぞ……」


 いつもの軽口は、もはやそこにはない。


 己の生き抜いてきた証しでもある戦場に、土足で踏み入れたことに対して、侮辱に近い感覚をベトは味わっていた。


 しかもその腰には、戯れで与えた剣を差して。


「その剣で、戦うつもりか?」


 ベトは気づき、無造作にアレに歩み寄った。


 それにアレは怯えに近い震えを起こし、しかしそれでも気丈に瞳の強さは失わなかった。

 以前はそこを気に入ったベトだったが、今はまったく気に食わない。


「聞いてんだ、答えろ」


 ベトは抜き身の大剣を無造作に掲げ、振りおろし――アレの眼前で、止める。


 その斬撃によって、アレの前髪が舞い、落ちる。

 僅かにでも手元が狂えば、まずその鼻が落ちていただろう。


 それでも、動かない。

 ベトはアレの豪胆にしばし感心すらしていたが――


「…………っ」


 アレの瞳から、涙がひとすじ零れた。


 それにベトは、眉をひそめた。

 と、よく見るとアレの杖で支えられた身体全体は、小刻みに震えていた。


 さらにその口の端から、赤い鮮血が滴り落ちていた。


 気づいた。

 アレは、怯えていた。


「――――」


 恐れ、おののいていた。


 目の前で繰り広げられる、惨劇に。

 眼前に迫りくる、絶対的な凶器に。


 それでもなお。


 震えながら、涙まで零しながらも――出血するほど唇を、歯を、食いしばり。


 アレは決して引かなかった。


 なぜだ?

 意味がわからない。


 意味が、無い。


「あんた……」


「ベト……っ」


 アレは、ベトからの問いかけにただ必死にその名を呼ぶだけだった。


 言葉はない。

 じれったい。


 だが、その全身でなにかを訴えていた。

 それに思いだされる言葉。


 逃げたくない。


「……なにから、逃げたくないんだよ?」


 今度は、怒りからの詰問じゃなかった。

 ただ純粋に、その理由を知りたいと感じていた。


 アレは、その瞳いっぱいに涙をため込み、そしてまるで唸るような声で、答えた。


「わた、し、から……世界、から……!」


 応えが、ベトにとっての解答になっていない。


「自分と、世界からって……」


「わたし、は……逃げてきた……! 動けない自分と、変えられない世界から……! ただ悲しいと、嘆いてきた、だけだった……だけどそれでおばあさんが殺されて、わたしも殺されそうになって、気づいた……わたしが、間違っていたことを!!」


 アレは、泣いていた。


 恐いのは、本当だった。


 でもそれ以上に悲しくて、悔しくて、そして何よりの決意からあふれる感情を抑えられずに、アレは泣いていた。


 それにベトは、もはや窘める言葉も出せなかった。

 アレの独白は、なおも続いた。


「わたし、は、契約した……世界を、変えると。わたしは、もう……逃げたくない! 逃げない!」


「…………」


 理屈になってない。


 逃げる逃げないの問題じゃない。

 現実としてこの子が戦場に来ても、出来ることなどない。


 むしろ邪魔にしかならない。


 だが、理屈じゃない、という理屈だけはなんとなくわかった。

 理屈じゃないことを理解した、というのはおかしな話だったが。


「……それで、あんたはどうすんだ?」


「…………」


 答えない。

 安易には。


 というか、自覚している。


 自身の無知さを、無力を、自分、自身を。

 それは、痛いほどに。


 その上で、出てきている。

 理解して、利口になって、何もしないことで――得ることなど何もないと、理解している。


 なんだ、これは?


「……それ、」


 新たな問いを口にしようとしたが、出来なかった。


 どう考えても、ない。


 そもそも思考方法が、自分とは決定的に違っている。

 なら、今までの自分の考えで理解しようとしても、出来ない。


 持て余している。


「――――」


 ベトは沈黙した。

 そこで、理解したから。


 今まで自分が、この娘を飼っているようなつもりでいたが、その実内情も把握していないし、その行動を規制することすらも出来ていなかったことを。


「あんたは――」


「お、おいベトっ!」


 その時だった。

 唐突に切羽詰まった声が、ベトにかけられたのは。


 声に、振り返る。



 目の前に、矢が浮かんできていた。



「――――」


 声を出す暇すら、ない。


 狙いはおあつらえ向けに、左胸。

 心臓。


 終わった。

 もうこの運命から、逃げようがない。


 もう、よけられない。


 自分の死が、確定してしまった。


 余計なことを、考えていたせいだった。

 アレに気を取られたせいだった。


 一瞬の迷いがすべてを分ける戦場で、どれだけの時を無駄に過ごしたのか?

 当然といえば、当然の結果だった。


 だが、今まで自分が生きるために散々敵の命を奪ってきた結果としてこうして戦場で野たれ死ぬことに、不満などあろうはずもなかった。


 わかっていた。

 自分がいつかこういう末路を迎えることは。


 殺した。

 殺した。


 何人も、何十人も。

 それも、惨たらしく。

 一番悔いが、残る形で。


 その瞳が、見ていた。

 胴と離されても、自分を見つめていた。


 呪ってやるとすら思えなかった。

 その瞳が物語っていた。


 次は、お前だと。

 否、次は俺だと。


 そんなことは、わかりきっていた。

 許されるわけもないを先回りして、許されるつもりだってなかった。


 生きるために必要だった。

 それは事実だった。


 偽りようもない。

 他の生き方を知らないし、することもできない。


 だけどだからって許されようだなんて微塵も思っちゃいなかった。


 死ぬのなら、呆気なく。

 もっとも惨めで、惨たらしく。


 もっとも悔いが、残る形で。


 死ぬ時の条件は、これだけだった。

 そしてこの矢は、その条件を見事に満たしていた。


 戦場の真ん中で拾った女と口論してる間に仲間の呼び掛けの声に振り返ったためちょうど心臓に突き刺さり、モノ考える暇もなく、死ぬ。


 上等だとすら、思った。

 ベトは心静かに、受け入れる。


 何百分の一秒で、瞳を閉じた。

 残す言葉すら、自分にはない。


 ただ、アレのこの先が見れないことだけが、残念だった。




 べきん、という物凄い音がした。




「…………」


 最初、これが人生を終える時に聞く音なのかと思った。


 しかしいくら待っても胸に激痛が走らないことに、違和感を覚えた。

 そして瞼を、上げた。


 地面に、真ん中からへし折れた矢が、落ちていた。


「…………?」


 そこで異変に気づいた。


 なぜ自分の胸を貫かんとしていた矢が、こうして地に落ちているのか?

 なぜ真ん中からへし折れているのか?

 なぜ自分は――無事なのか?


 なにが、起きたのか?


「…………アレ」


 初めてベトは、アレのファーストネームを呼んだ。


 あんたという代名詞や、アレ=クロアというフルネームではなく、その名を呼びかけた。


 アレは、両手を伸ばしていた。


「……っ……っ!」


 両の掌の付け根を合わせ、こちらに向けて、肘を伸ばし、そして瞳を固く閉じていた。


 それになにより、杖が地面に転がっていた。


 立っていた。

 両の、自身の足で。


 なんだそれ?


「……どういう、ことなんだ?」


 意味がわからない。

 一個も。

 さっきとは違う意味で。


 なんだそれは?

 どういうことだ?


 いったいぜんたい、どうなってやがるんだ?


「おい……どういうことだ? 説明しろ、アレ=クロア」


 一瞬の気の迷いだったのか、ベトはすぐにいつもの呼称に呼び方を戻す。


 それにアレはきつく閉じた瞼を、ゆっくり薄っすらと、開ける。

 そしてこちらを確認するようにしてから、


「あ……よかったぁ……生きてた」


 ふわっ、と笑った。


 まるで花が、咲くように。


 それに、ベトは思った。

 いや感じた。


 この女――いや娘は、ただ――なんの小細工も計算もなく、ただただ自分を救おうと両手を伸ばした、だけなんだと。


「…………」


 それにベトは、腹の底からなにか込み上げてくる思いを味わった。


 力もなければ、知識もない。

 矢のなんたるかも知らず、そして自分の手を引くだけの行動力もないこの娘は、ただ両手を伸ばした。


 それだけ。

 ただ、それだけ。


 理屈を素っ飛ばした、子供じみた真似。

 それだけの、ことなのに。


「あ、あんた……」


「おいおい、なんだそりゃあ!?」


 アレとベトの二人の空気を引き裂くように、いきなり後方から聞き慣れたダミ声がかかる。


 ベトが振り返ると、仲間たちが一斉に雪崩れ込んでくるところだった。


 だがどーも様子がおかしい。

 ベトはてっきり誰かが飛来する矢を逆に矢による狙撃で撃ち落としてくれたくらいに思い、そんなこと万に一つにでも出来る可能性があるのはマテロフぐらいのもんだからあとで礼いっとこいぐらいに思っていたが、彼らはお互いにけん制し、おっかなびっくりといった様子でなかなかちかよってこないで、なにか小声で噂話をしていた。


 その内容が微かにだが、ベトの耳にも届く。


 ――なんだ今のは? 見えたか?

 ――ああ。なんか……矢が途中でへし折れて、地面に押し付けられたぞ?


 矢が、地面に?


 奇怪な言葉に、ベトは眉をひそめる。


 そう考えれば、狙撃されたのなら矢が真っ二つになっておらず途中でへし折れているのは妙な話だった。

 しかもちょうど自分とアレの真ん中地点にあるのもおかしい。


 ベトは気になりもっとも手近なレックスに向けて、


「おい、それっていったい……?」


「おいおいおいおいお嬢ちゃん平気かい怪我はないかい可哀想になァいきなり矢が飛んできて血は出ちゃいないだろうねぇ?」


 と、みなのけん制の輪を突きぬけてアレに殺到したスバルの声が、それを遮った。


 その声のでかさとばかでかいというか太い身体をアレに覆いかぶさるように広げるその蛮行に、みなの注意が殺到する。


「あー、なにやってんすか部隊長!」

「どさくさ紛れにセクハラとか最低っすよ、恥を知ってください!」

「なんだとてめぇらセクハラとはなんだわしはただ可愛いこの子の身の安全をだなァ――」

「そうやってどこ触ろうとしてんだ離れろジジィ!」

「いまジジィって言った奴ァ誰だ! 表出ろ!」

「た、隊長オレじゃないっす、レックスじゃないっすっていうか既に表……」


 どんちゃん騒ぎだった。


 すっかりアレはみんなのアイドル化していた。

 というか狙われたのは俺であって、心配されるのも俺の筈だが――まぁ、無理だよな。


 ベトは仕方なく矢を拾い、胸元にしまい込んだ。

 自分の戦での役目は果たしたし、今度こそ長居は無用。


 戻って飯食って寝るべし。


「じゃあ、あんた。俺は先に帰って飯くっとくか、ら……」


 軽い気持ちだった。


 一応その前に声かけて行こうくらいの、どうせ当人はスバルとかに気を配られてニコニコ笑ってるだろうと思ってて。


 だから、ギョッとした。


「ベト……ベトぉ……っ」


 アレは、泣いていた。


「あ、あんた……」


 既に周りは、水を打ったように静まり返っている。

 というかまさにバケツの水でもぶちまけられたかのように、面喰っている。


 初めて見る。

 こいつらがなにかに見入って、黙るなんてことを。


 それくらいアレは、涙をぼろぼろと零して、両手を縋るように前に出し、心配する周りなんて見向きもせずに動かない足を引きずるようにして、ベトへと歩を進めていた。


「ベト、ベト……ベト、ベトォ……!」


 繰り返されるぐずり声に顔を見て、再度ベトはギョッとした。


 アレの顔はぐっちゃぐちゃになっていて、涎や鼻水まで垂らしていた。

 心に加えて身体も、引く。


 そんな汚いので、こっちくんな!


 こんな血まみれの、殺人鬼の元に。


「うぇ……と、お、おいあんた俺はいま血まみれ――!」


「ベト、ベトぉ……よかったぁ、よかったよぉ……!」


「――え?」


「ベトぉ……!」


 逃げようと後ろに引きずった身体が、一瞬止まる。


 その隙をつくようにアレはベトに組みつき、そのままべちゃ、と崩れ落ちた。

 そして上からのしかかりベトの胸に顔を埋めて、


「うぅ、うぅ……ベトぉ、ベトぉ」


 ベトの名を呼び、泣きじゃくる。


 それにベトは抵抗もせず、ただされるがままになっていた。

 どろどろの自分に抱きついたため、アレまで血まみれになっていた。


 美しい銀髪が、白い肌が、汚らわしい赤に染まる。

 だけどただ泣き続ける自分の上に絡みつく生き物を、ベトは不思議そうに見つめていた。


 その光景をしばらく仲間たちは眺めていたがスバルが、


「――ハッ。や、やいてめぇら矢が飛んでくるぞ! こっちも弓隊、準備だ!」


『お、おう!』


 散開、再び戦闘配置につく。


 それを見送り、スバルは地面にへたり込む二人に再び視線を移した。

 既にアレは力尽きたのか、健やかな寝息を立てていた。

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