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聖女アレ・クロア  作者: ひろい
断罪 -judge-
103/132

Ⅱ/幻想を抱く無知蒙昧なる神の御子

 夜になり、アレは目を覚ました。

 窓から月明かりが差し込んでいる。


「────」


 どうやら自分は、石壁に囲まれた建物にいるようだった。

 扉や外に出る手段を探してみたが、まったく見つからない。


 アレは仕方なく、再び今まで自分が横になっていた藁の上に、身体を横たえた。


 ジャラっ、となにかの音がした。


「?」


 アレは疑問符を浮かべ、音の出所を探る。

 それは、胸元だった。


「……おばあさん」


 それは祖母の遺品となった、ロザリオだった。

 アレは不意に、それを握る。


 十字架の部分が掌に喰い込み、鋭い痛みが走った。


 だがそれをアレはいとわなかった。

 むしろなぜか、心地よくさえ感じていた。


 最初はあの小さな四角い部屋から、始まっていた。


「……おばあさん、」


 ふと、声を掛けてしまっていた。


 思えばあれから、色んなことがあった。

 おばあさんが刺され、神託を受け、ベトに迫られ、剣を貰い、スバルさんたちと合流、マテロフさんと友達になり、エミルダさん、フィマールさんと知り合い、王さまが死んでしまって、プライヤさんやヴィルさんと知り合い、みんなで旅をして、靴を貰って、森の中でベリファニーさんとスペロさんと出会い、ここまで、連れて、こられて――


 わたし、


「わたし、何が出来たんだろう?」


 世界を変えるって。

 世界を救うって。


 そうやって、ここまで色んなひとに迷惑をかけてきた。

 だけど、自分がやってきたことって意味があったのかな?


 わからなくなって、寝返りを打った。

 そこでガチャン、と妙な音が聞こえた。


 今度はすぐにわかった。


「……剣」


 そういえば、ずいぶん素振りもやっていない。

 ただ腰に差しているのが習慣になっているだけだ。


 初志も初心も、すっかり忘れていた。


「わたしは、なにをしてたんだろう?」


 色んなことが、わからなくなった。


 スペロが言ったことに、嘘はないと思う。

 アレはそう確信していた。


 アレは永年、おばあさんと同じ台詞(フレーズ)のやり取りだけを繰り返してきた。

 そこに秘められた感情、真意を読み取る術を、獲得してきた。


 だからこそ、様々な人間の心を掴んできた。

 だからこそ、今、悩み、迷っていた。


「ヒトは……なんなの?」


 世界を救う。

 ヒトを救う。


 そう考え、そのためにアレは行動してきた。

 考えてきた。

 必死に努力、してきた。


 なのに、ヒトはヒトを迫害することが、愉しみだという。

 なら今の世はそんなヒトにとっては、愉しいのか?


「…………」


 アレは、なにも言えなかった。

 なにも思えなかった。


 ただ無意識に、剣を握っていた。


「……ベト、」


 ベトに、会いたかった。

 理屈じゃなかった。


 いや、もうこれ以上理屈を考えられなかった。

 元々アレは、そういうタイプじゃない。


 それに毎日毎日責められているうちに、心身ともに消耗し、限界だった。


 率直に甘えだとしても、ベトに縋りたかった。


「……ベトぉ」


 剣を腰から外し、両腕で抱える。

 その途端、両目から涙が零れてきた。


 ふと、捨ててきた人たちの顔が浮かんだ。

 スバルさん、マテロフさん、レックスさん、その他たくさんの優しい傭兵さんたち、それにエミルダさん、プライヤさん、ヴィルさん、ベリファニーさん、ベト――


 会いたかった。

 寂しかった。


 切なかった。

 辛かった。


 ありとあらゆる負の感情が胸の中で渦巻いていた。


 弱りきっていた。

 極限まで。


 だから、願った。


「……たすけて」


 それは心と身体から一滴の雫のように零れ落ちた、儚い願いだった。

 その途端、胸元が輝きだした。




 スペロはその時を、待っていた。


「…………きたか」


 スペロはずっと、アレを監視していた。

 闇に紛れ、物影に隠れ、アレに悟られぬように傍にいた。


 そして待った。

 いつか来るであろうその時を。


 それが遂に、訪れた。


「くく、く、くくく……!」


 スペロは声を抑え、高笑いした。


 この瞬間は、他人のものであっても高揚感に包まれる。


 ヒトが、変わる。

 ヒトでないものに成り、果てる。


 その瞬間を見届けるのは、堪らない気持ちにさせてくれた。


 幻想を抱く無知蒙昧なる神の御子が、化けの皮が剥がされ悪魔の手先となる様を見るのは、痛快でこの世の縮図を見るかのようだった。


「アハハハハハ……あはははははははははあっははははっ!!」


 抑えられない。


 さぁ見せろ奇跡の白い聖女!

 その本性を晒し出し、超常の力をその手に、やりたい放題に暴れまわって見せろ!


 しかし、


「――――」


 アレの変化はそこで、留まっていた。

 うつむき加減で剣を抱え、微動だにせず、胸元がぼんやりと光るだけ。


 おかしい。


「……どうしたんだ?」


 おかしい。


 覚醒すれば一気に全身を浸し、それは思考にまで及ぶ。

 それはのちに変性意識と呼ばれる現象だった。


 なのにあの女は、動こうとしない。


「……なんだっていうんだ?」


 スペロは焦れる。


 アレ=クロアが本物だということは、いくつかの証言から確信を持っていた。

 その人となりも予想の通り。


 だからすべて計画通り。

 あの女は想定通りの反応を示し、ここに至った。


 なのになぜ、アレ=クロアは動かない?


「…………」


 スペロは少しづつ、アレに近づいていく。

 なにが起きているのか、僅かながら興味が湧く。


 そんなこと、以前を思い出せぬほど久しいことだった。

 自分がこうなってから、ずっと――当たり前の地獄だけを、目の当たりにしてきた。


「……どうしたよ?」


 スペロは右手を後ろに引き、パキパキと指の骨を鳴らす。


 なぜか、怒りが湧いていた。

 中途半端な希望は、そのあとの絶望を何十――何百倍にも膨れあげるだけ。


 そんなことは許さない。

 そんなことは許されない。


 そんな風にヒトを――いやヒトをすら辞めた俺を煉獄の炎で焼く権限など、誰にであってもあってたまるか。


「アレ……クロアぁ……」


 掲げた掌に、パチパチと火花が散る。

 妙な気配がしたら、一瞬で消し炭にしてやる。


 もはやスペロは、前後の見境もつかなくなっていた。

 これから成そうとしている事も、これまで積み上げてきたモノも、すべてどうでもいい。


 ただただ、許せない。

 自分がこうなったこともなにもかも、すべてこの女のせいだと思えるくらいに――


 肩を掴んだ。

 それでもなお、アレは俯き上半身を丸めたまま、微動だにさえしない。


 怒りが、跳ね上がった。


「アレ=クロアァアア……お前、どうして、なんで――」


 叫んで──そこで初めてスペロは、気づいた。


 震えている。


「あ……どうした、アレ――」


 アレの様子は背中越しにスペロからも、確認することは出来た。

 それに言葉を失う。


 アレは胸に下げたロザリオを、握り締めていた。


「……なにしてるんだ、お前?」


「…………」


 アレは小刻みに震えながら、両腕で剣を抱え、両の指でロザリオをキツく、握り締めている。


 スペロはそれを剥がそうという気も起きなかった。

 あまりに意味不明すぎて、呆気に取られていたというのが実際だった。


「……おい」


「…………」


「……おいおい?」


 動かない。


 いや震えてはいるから、微かに動いていると見るべきなのか?

 わからないし、なんというかそこはどうでもいい。


 怒りすらどこかに吹き飛んでいた。

 こいつはいったい、なにをやっているんだ?


「おい……おい、お前」


「…………」


 埒が明かない。

 かといって無理やりひっぺがしてでも問い質そうという気はまるで起きなかった。


 差し当たって現在の問題はアレの覚醒がどうなったかというところだが――それもこの様子では、どうにもなるまい。


「……チッ」


 スペロは一度だけ舌打ちし、アレから離れた。

 そのまま背を向け、部屋に戻ろうと考えていた。


「――おばあさん」


 小さな呟きが、耳に届いた。


「……なんだって?」


 最初聞き間違えかと思った。

 それぐらい小さな声だった。


 だいたい、おばあさんとはどういうことだ?

 それどころじゃないだろ?


 お前、自分がどうにかなるかどうかの、瀬戸際なんだぞ?


 スペロは少しの間、考えた。


「…………」


 このまま無駄な時間など過ごさずに、戻るべきかを。


 答えはすぐには、出なかった。

 その間にアレは、別の言葉を吐いた。


「……会いたいよ」


「子どもか」


 思わず、相槌を打っていた。

 そして考える前に、身体が翻っていた。


 スタスタと、足が前に出る。


「おいおいおいおい、アレ=クロアお前?」


 アレは、再びガタガタと震え出した。

 身体を丸めて、ただただ剣を抱き、ロザリオを握り締めている。


 恐怖に慄いている。


 その姿を、スペロは確認した。

 どうしたらいいのか、しばらく思案していた。


「――――――――チッ」


 舌打ちして、結局スペロは再度身を翻し、その場を離れた。


 アレはそれ以上なにも話すことはなかった。

 スペロはなぜかそれが、悔しくて堪らなかった。

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