ⅩⅠ/青き鉄槌
「オロロロロロロ、ろ……ぅ、ぐぅ!」
パンパンパン、と頬を叩く。
フラァと倒れそうになるが、なんとか手近の壁っぽい硬いので身体を支える。
もう間違いない。
というか朧げながら記憶も戻ってきた。
「う、くぅ……ということは、あなたは……ぐふっ!」
「おいちちち……だ、大丈夫かマテロフ女史?」
「し、心配無用っ!」
気迫で吐きそうな口元を、マテロフは抑えた。
もう一度思い切り瞼を硬く閉じ、頭を振って――またも軽く眩暈がしたが、強く瞼を開ける。
未だ微かに朧がかってはいたが、しかし視界は回復。
そこに予想の通り、身なりは汚らしいくせになぜか料理が美味い鍛冶屋がいた。
怒りがきた。
「き、貴様……どういうおえぇぇええええええ」
一歩前に出ようとして、耐え切れず嘔吐してしまう。
確かにとてつもなく苦しかったが、出すもの出していけば徐々に楽になっていくのも事実だった。
「おいおい、飲みすぎだぞ? マテロフ女史」
「き、貴様が言うか……ッ!?」
真相に気づき、白々しい言葉で怒り倍増。
ヤバイ、マジで剣を抜いてしまいそうだ……例の事件以来こういう手合いには嫌悪と不信感があるので、それはもう物凄い。
だというのにゼヒンタは、マテロフの肩に手をやる。
臨界点、突破。
「――殺すっ!」
手早く右手を腰に――それが誰かに、抑えられる。
睨みつける。
「まぁ……気持ちはわかりますが、」
クォンだった。
「あ──いや、その……クォン殿……」
「殴る、蹴る、罵声を浴びせるなら私もなにも言うつもりはありませんが、さすがにそれはのちのち問題がといいますかね」
「そ……そうです、ね……少々頭に血が上ってしまったようです。申し訳ありません」
ゼヒンタがしれっと、
「まったく、若い娘はこれだから恐ろしいな」
イラッと殺気が灯りかけるが、
「っ!」
クォンは柄をしっかり握り、抑えておいてくれた。
「……そう、ですね。すみません、こんなみっともないところをお見せして」
助かった。
クォンがいなければコンマ2秒で細切れにする自信しかなかったところだ。
それにゼヒンタはいけシャーシャーと、
「いやいや、悪く思っているならやっぱり乳揉ませてくれんか?」
「――――本気で、言っておられますか?」
マテロフの殺気は、かつてないほどまで高められた。
今ならば魔法などなくとも剣さえ必要なくヒトを殺せそうだった。
その視線にゼヒンタは肩をすくめる。
「チッ、つまらんな……なんなんだ、お前なにしに来たんだよ。乳揉ませてくれねーなら帰れよ、てかヤらせろよ。なんだよ、こんな老い先短いジジィの願いひとつぐらい叶えてくれたって減るもんじゃねーだろうに、からかいにでも来たのかよ?」
「や、いやその……」
言ってる事は確かにめちゃくちゃなのだが──マテロフは少し、弱る。
事実として自分はここに来たというより、連れてこられたのだ。
その張本人であるクォンに、振り返る。
剣を打たせるのではないのか? と目で訴えてみた。
クォンはいつものように、のらりくらりと肩をすくめるだけ。
それにマテロフは、沈黙を選択。
「――――」
返す言葉もない。
自分など所詮ただ盲目的に"剣聖"を追い求める、身の程知らずなばか女というところが相場。
実績のある者たちに任せるのが一番であり、それしか事実として道がない。
ここで一人前のつもりで意見を出すなど、許されるはずも無い。
「なにもいわんのか?」
その、筈なのに。
「……なにを、言えばいいというんだ?」
ゼヒンタは、先ほどまでと違って憮然とした表情で、こちらを見つめていた。
戸惑いが、再び湧いてくる。
ついクォンの方を向いてしまう。
やはり変化はない。
今度は躊躇いが頭をもたげる。
果たして決め付け、話してもいいものか?
一度目を閉じ、軽く息を吸った。
覚悟はいつだって、試される。
「――たぶん、剣を、打って、」
「たぶんとはどういう意味だ?」
胸元に、手を当てる。
心臓の鼓動を感じ、逆に落ち着きを取り戻す。
生死を懸けたあの日々に比べれば、すべては児戯に等しい。
そのはずだ。
「剣を……打っては、いただけないのですか?」
「打って欲しいのか?」
まさかの逆質問に、戸惑いは頂点に達する。
「そ、その問答は、既に終えたはずでは……?」
「悪を斬る、という夢物語は、な」
ゼヒンタが、近づいてくる。
様々な考えが頭に巡る。
理解してもらえたのではなかったのか?
ならばあの様々な武具を振らされたのはどういった意味があったのか?
酒は?
やはり身体目当てなのか?
ならばこの問答に意味はあるのか?
クォン殿の真意は?
「剣を打って欲しいのか?」
考えを纏める暇など、くれるはずもなかった。
「う……打って、欲しい」
「そして悪を斬るのか?」
「そ、そうだ……悪いのか? 夢物語だと、笑うのか?」
「悪を斬って、どうするんだ?」
一瞬なぜかマテロフは、悪寒を感じた。
「そ、それは……そ、そうだ。平和な世を取り戻し――」
「平和な世を取り戻し、どうするんだ?」
瞬きふたつ、
「そ……それは、誰も殺しあう事も、憎しみ合うことも無い、すばらしい世界が――」
「じゃあ聞くが。
その"悪"とは、いったい誰を指しているんだ?」
悪寒の正体に、気がついた。
「そ、それは……た、例えばこの国を……」
「王、とでもいうつもりか?」
思い出す。
そうだ。
この国の王は、既にベトがアレと共に――
しかしその結果、暮らしに変化はあったか?
もしかしたら貴族や騎士様なんかには何かをもたらしたかもしれないが、自分たち傭兵の暮らしや、行く先々の町々、村々では一切、なんの改善も、見られなかった。
子供たちは餓え、女どもは怯え、男どもは手足を無くしていた。
「い、いや、そうでは……そ、そうだ、敵国の――」
「王か?」
ドクン、と心臓が脈打つ。
違う。
今度はすぐに理解できた。
もし敵国の王を討つことが出来たとして――それは自国の王を討つよりも、圧倒的に難しいことを理解した上で、それで何か変わることなどおそらくは、ないだろう。
そうなれば王は次の敵国を見つけ、そして戦うだけだ。
きっと戦争は、それこそ世界中を滅ぼさない限り終わることはない。
それが世界の真理だ。
だとするのなら、ならば――
「悪とは、なんだ?」
一瞬自分が無意識に話してしまったのかと思った。
それぐらいゼヒンタの言葉は、的を射ていた。
「そ、それ、は……」
「子どもの論理だな。夢見る少女だ。救いがない」
なにもいえない。
「――――」
アレを思い出す。
ただ物を知らないから、世界の広さを、仕組みを理解していないからこその単純な、ご都合主義な考え方。
世界を救うといったアレを、自分は諭した。
悪を斬るという自分を、ゼヒンタは嗜めている。
私は――
「なにもいわんのか?」
ドクン、と心臓が脈打つ。
試されている。
いや違う。
彼は、かつての自分と、同じだ。
期待を――有り得ないはずのそれを、規格外の存在に投げかけている。
そう考えれば、彼は敵ではない。
否。
器の小さい自分が、世界のすべてを敵に――悪にしてしまっているに、他ならない。
ならば自分がすべきことは、なんなのか?
一瞬、アレならばどうするだろうと考えそうになった。
そこで気づいた。
自分がいつの間にか、アレの影を追おうとしている事実を。
なにを考えているんだ、私は。
影を追う者が、その者の力になど――剣になど、なれるものか!
「私はっ!」
「うぉ!?」
とつぜんの咆哮にゼヒンタは驚き、仰け反り、そのまますっ転んでしまった。
しかしマテロフは構わなかった。
それよりも語りたい想いがあった。
「私は……私はただ、そう──そうだ」
ようやくたどり着いた言葉を、喉の奥から迸り出す。
「私は……自分に出来る精一杯を、やりたいだけだ。今まで自分は、逃げてきた。なにも変えられないと、初めから諦めてきた。だが私は、奇跡の少女を見た。純粋な想いにより全てを巻き込み、あらゆる不条理を覆さんとする存在を。あぁなりたいと思った。願ってさえいた。だからその力になりたいと、自分に言い聞かせてきた──ここに至って、理解した。彼女が出来ること、やるべきことと、私に出来ることと……やるべきことは、違うのだと」
マテロフは両手を天に掲げた。
何かを差し出すように。
何かを、求めるように。
「ただ、精一杯。
自分の命を、燃やし尽くしたい。
私の望みはただ、それだけだ」
「それが答えか?」
ゼヒンタの試すような視線も、もう怖くはなかった。
なにも感じなかった。
心はかつてないほど、穏やかなものに変わっていた。
「そうだ」
「迷いはないか?」
「ない」
「言い残したことは――」
「くどい!」
じっ、とゼヒンタを見つめた。
一瞬だけたじろいだような気がしなくもなかったが、気にもならない。
隣で佇むクォンに視線を移す。
今までのような畏怖は湧いてこない。
ただ強いと。
それを装飾もなく想うだけだった。
「どんな気分ですか?」
「悪くない」
「持って回った言い回しですね」
「これが私だ」
そう、これが自分だ。
マテロフは自身の言葉に確信を持っていた。
そう。
どれほど焦がれようと、どれほど苦しもうとも、自分は自分以外の存在になどなれようはずがない。
そんな当たり前のことに今まで気づけなかった。
なんと未熟で、なんと無様だったのか。
「命を燃やし尽くす、ねぇ……」
視線を戻すと、ゼヒンタは顔を伏せ、ガシガシと頭をかいていた。
どういう心境なのかはわからないし、もはやあまり興味も湧かない。
どう思われようが関係ないし、問題はどこまでも自分の心だ。
だからこれは単純に、これからの交渉のための確認。
「なにか、おかしいか?」
「いやいや、眩しいばかりに青いなと思ってな……それで死んだりしたら?」
「そこまでのことだろう? 否、そうしようがしまいが、ヒトは死んでしまう生き物だ。それを認め、見据え、その日に後悔がないように生きるだけだ」
「真っ直ぐだねぇ……」
ガシガシ、と頭をかく。
視線をこちらに合わせようとしない。
それにマテロフは、僅かな違和感を覚える。
「──ゼヒンタ殿?」
「殿なんて柄じゃねぇよ。ただのしがない鍛冶屋に殿なんてつけんな」
「いえ、しかし……」
「剣、打って欲しいか?」
三度目の問いかけ。
そこになんの意味があるのかわからない。
しかしもはやこちらにも、迷いはなかった。
「頼む」
「お前には、スクラマサクスがいいだろう」
突然の単語に、覚えはなかった。
しかし剣の種類であることは疑うべくもない。
「スクラマサクス……」
「グルター族が使う、鉈のような形状の剣だ。なかなかな曲者だが、お前みたいな真っ直ぐな奴なら従わせることも可能だろう。銘はなんにするかな……」
「その口ぶりでは、打つのは初めてではないのか?」
マテロフの問いかけに、ゼヒンタは驚いたような顔を向けた。
「ほう……なんでわかった?」
「そんな気がしただけだ。……不覚にも知り合いにひとり、とびきりの曲者がいてな。ふと、思い出した」
「ほう、お前みたいな真っ直ぐなやつの知り合いとは、その曲者なかなかそうだな」
「あぁ、まぁな……あまり、思い出したくはない奴だが」
「嫌いなのか?」
嫌い、というのとは少し違うと思う。
「……いや、」
ただ、苦手なのだ。
あの、悟ったような諦観、圧倒的実力、先にアレと出会った幸運。
その、自分が持っていなかったものすべてを手にしてなお、少しも驕ることなく自分らしく生きている事実が。
「なかなか、複雑みたいだな。……そうだな、お前の剣の銘は、リビデウスとしよう」
「意味は?」
「青き鉄槌だ」
カッ、と顔が赤くなったのが自覚出来る。
皮肉か、それとも別の意味を――とゼヒンタの顔色を探ると、爽やかな笑みを作られた。
それは信じ、ここは好意的に受け止めておくことにしよう。
「そうか……ちなみに以前打ったというスクラマサクスの銘は、なんだったんだ?」
その質問に、ゼヒンタは昔を懐かしむように――過去の失敗を嘆くよう、皮肉げに頬を緩めた。
「ギオゾルデ」
「意味は?」
「餓狼の牙」
なぜかあの苦手な男の顔が、脳裏に浮かんだ。




