初めてだけど常連の店
「お会計は420円になります」
オレはサイフから取り出した4枚の100円玉を手にその言葉を聞いてガッカリした。
人手が足りないので急遽代役を務めることになった出張。仕事そのものは午前中で終わり、後は夕方の列車の時間までのフリータイムだ。土地勘があるわけでもなく、まして観光地ではない場所。目に付いた本屋で雑誌を物色して喫茶店に腰を落ち着ける以外に選択肢はなさそうだ。駅前の商店街の外れ、アーケードの下にその喫茶店はあった。道に面して大きな窓と木製のドアがあるだけで看板もない喫茶店。それはオレの記憶の中にある店に良く似ていた。
何年も前からの行き着けの喫茶店がある。明るい色の1枚板が印象的なたった5席のカウンターだけの店。香ばしい挽きたての豆から淹れられた、ほのかに甘みを感じさせる珈琲がお気に入り。どんな豆を使っているか聞いたことはあるのだけれど、香りの印象が強すぎて、そちらの記憶は曖昧になっている。道に面した大きな窓から見える景色はその時々で大きく違う。地下街を歩く人の波や本当の海に立つ波であったり、普通の商店街の日常の時もある。窓の横にある年季の入った木製の扉は、窓から見える場所とは違ったところに繋がっていることもしばしばだ。
「ごちそうさま」
オレは財布の中から1000円札を取り出してマスターに差し出す。この店を訪れるようになってしばらくの間、マスターは何か微妙な表情でお金を受け取っていたものだ。自分以外の客を見てみると、黙って出て行くか、何時の間にかいなくなっているかであることに気づく。マスターに言わせれば”夢の中でまでお会計に気を使う人は少ない”のだそうだ。手渡されるお釣りは600円。
400円を財布に戻し、オレは1000円札を差し出した。お釣りは580円。それを受け取って店を出ようとした後ろからマスターの声がした。
「すみません、こちらでは消費税を頂いています。またあちらでお待ちしています」
今夜早速、あの店に足を運ぼう。