8-8
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春一が覚悟を決めて目を瞑っても、痛みはやってこなかった。
「何ですか、君達は」
さっきは遠く聞こえたリアルの声が、今度ははっきりと聞こえる。その声には、怒気も含まれていた。春一はそっと目を開けて、視線を上方へと向けた。そして、信じられない光景を目にした。
「諦めるなんてあなたらしくありませんね」
「いつからそんなお行儀良くなっちゃったんだ、オメーワ?」
「てかハル、ちょっといい男になってんじゃん」
聞きなれた声。この声の主は……
「夏、ジョー、琉妃香!」
春一は驚きのあまり叫んで、痛さに口を抑えた。そういえば口の中はズタズタに切れている。
「ハルがそんなにやられるとは珍しい。なかなか見られるものではありませんよ」
「そうそう、こりゃ写メっとくカ?」
「てかハルの血ってちゃんと赤いんだね」
「テメーら、見せモンじゃねーぞ!」
叫んでしまってからやはり口を抑える。切れているのを忘れていた。
「何で、ここがわかった?俺、お前らに黙ってたのに」
「何年の付き合いだと思ってんヨ?オメーのことなんてわかるってノ。ナッちゃんがお前の様子がおかしいって、密かに尾行しててくれたんだヨ」
「全く、無茶をするなら一言言ってください」
困ったようにため息を吐きだす夏輝に、春一は少し面白くなって声を上げて笑った。
「俺もまだまだだねー。精進しねーとな」
「さて、ハル。あなたをそんな風にしたのはこの目の前の妖怪ですか?」
「ああ。情けねぇ」
夏輝は頷いて、一歩前へ出た。それに続いて丈と琉妃香も前へ出る。
「なら、情けは不要ですね」
「ハルの痛みは俺らの痛みってトコ?」
「ハル殴ったら、あたし達が三倍返しにするからね」
妖怪は知るかと言わんばかりに、ラリアットを繰り出してきた。しかし、その腕が空中で止まる。良く見ると、細い紐が妖怪の腕に絡まっている。夏輝の呪符である紐が、妖怪の腕を取っていた。
するともう片方の腕を振り上げる妖怪。しかし、そんな妖怪に琉妃香が向かう。琉妃香は間一髪のところで拳を避けると、そのまま妖怪の太い腕を取って、後ろに締め上げた。妖怪の骨がギリギリと軋む。
「さーてさて。受け取ってくれヨ、妖怪君。俺の一発は、いてーゾ?」
そこに、腕をぶんぶんと回した丈が近づく。彼は腕を回すのをやめ、ぐっと拳を握ると、妖怪の鳩尾に渾身の一撃を叩きこんだ。
「がはっ……!」
妖怪はそのまま横に吹っ飛び、今度こそ倒れた。白目を剥いて、大の字になっている。
「ハル」
その光景を見ていた春一の目の前に、手が差し出される。上を見ると、夏輝が立ち上がる春一に手を貸していた。
「サンキュ」
春一は小さな声で礼を言って、立ち上がった。まだ体が軋んで痛むが、そんなことは今、どうでもいい。
「オウ、リアル。さっき俺が言ったこと、忘れてねーよな」
さすがにリアルももう顔が真っ青になっていた。側近である妖怪を倒されてしまった以上、彼にできることはもう何もない。
「言っとくけどな」
リアルの前に立った春一が、毅然と言い放った。
「俺は確かにお前らにしちゃ部外者だし、ただの人間だよ。でもな、俺にだってできることはある。俺にできることがあるなら、俺はする。それが俺の、信条だ」
春一はそれだけ言うと、拳を固めた。そして、最大の力でリアルの横面を殴り飛ばした。
枢要院の妖怪達がリアル達を取り押さえたのは、それから二十分後のことだった。枢要院に二匹の身柄を引き渡し、春一達は帰路についた。
「しっかしハルがここまでやられるとはな」
「いって!さわんじゃねーよジョー!」
夏輝に肩を貸してもらい、よたよたと歩く。丈や琉妃香が傷をつついてくる。
「コラ琉妃香、写真撮るんじゃねー!」
「いいじゃーん」
騒ぎながら、春一の心はどこか満たされていた。こんなのも、悪くない。
(全く、こいつらには、敵わねぇ)
四人は夜の闇の中を、笑い声を上げながら帰った。