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嫌いな本を褒めたら、読書会の司会を頼まれました

作者: _mon_mon_
掲載日:2026/10/08

「それなら、次の司会、お願いしていい?」


綾さんは、私の前に進行表を置いた。


『好きな場面を、一人ずつ』


六人分の丸が印刷されていた。


来月読む本を決めた、読書会の帰り際だった。


綾さんが鞄から出した小説を、私はもう読んでいた。


「良かったですよね、これ」


つい、そう言った。


嫌いだった。


最後の三十ページが、特に。


   ◇


在宅の仕事を始めて半年、私は休日に声が出なくなることがあった。


月曜の朝、最初の電話で咳払いをして、そこで初めて、昨日は誰とも話していないと気づく。


読書会に来たのは二度目だった。


一度目は、椅子を一つ出してもらった。二度目は、私の分が最初からあった。


その椅子に、私は鞄を置くのを忘れるくらい、すぐ座った。


「司会って、何をすれば」


「順番に振って、時間を見るだけ。佐久間さんが長くなったら、止めて」


綾さんは声を落とした。


「前回、作者の出生地から始まったでしょ」


始まった。駅の名前まで出た。


私は笑った。


「この本、私がすごく好きで。司会までやると、喋りすぎちゃうから」


綾さんは、本の表紙を撫でた。


「好きな人がもう一人いて、うれしかった」


今なら訂正できた。


でも、綾さんは来月の予定に私の名前を書いていた。


「分かりました」


私は進行表を、折らずに持ち帰った。


   ◇


小説の主人公は、橋のある町を出ていく。


ずっと一緒にいた友人が、橋の手前まで送ってくれる。


「また来る」と主人公は言う。


でも、最後まで帰らない。


私は、その友人が橋の手前に取り残されたような気がした。


あと五行でいいから、友人が帰った家のことを読みたかった。


余白の紙に、そう書いた。


司会のメモへ移すときは、


『旅立ちの描写が印象的』


に変えた。


嘘ではない。


印象は、強かった。


次に、『好きな場面』の下へ『橋』と書いた。


そこまでやって、ペンを置いた。


司会というのは、こんなに準備が要るものだったのか。


私は進行表の六つの丸を見た。


五人に振って、自分の番だけ飛ばす案も考えた。


丸は、一つ余った。


   ◇


会の三日前、綾さんに、少し話せないかと連絡した。


駅前の喫茶店で、綾さんは私のメモを見て言った。


「すごい。ちゃんと用意してくれたんだ」


「違うんです」


もう、それを褒めてもらうのは無理だった。


「この本、私、本当は好きじゃなくて」


綾さんの指が止まった。


「そうなの?」


「はい。良かったって言ったのは、話を合わせたんです」


「……そっか」


綾さんは、自分の本を鞄へ戻した。


「じゃあ、あのあと、ずっと話してたの、困ったよね」


読書会のあと、私たちは改札まで一緒に歩いた。


綾さんは、橋の場面のことを話していた。


「私は、楽しかったです」


言ってから、私は両手を膝に置いた。


「でも、それも今言われたら、分からないですよね。すみません」


綾さんは、紙ナプキンの角を一つ折った。


私は、本の結末が嫌だった理由を話しそうになって、やめた。


それは、綾さんに嘘をついた理由にはならなかった。


「司会、ほかの人に頼みますか」


「急に言われても、私がやるしかないかな」


「私、やりたいです。ただ、好きな場面を紹介するのは、うまく出来なくて」


綾さんは、進行表を見た。


「嫌いなところを、みんなで探す会にはしたくない」


「はい」


「この本、読んでよかったって、私は思ってるから」


私は頷いた。


しばらくして、綾さんが鉛筆を出した。


『好きな場面を、一人ずつ』


その隣に、


『気になった場面でも』


と書いた。


「これなら、話せる?」


「はい。私も、皆さんの好きだったところは聞きたいです」


綾さんは、鉛筆をしまった。


「私には、話しすぎって言ってね。ちゃんと」


私は一度だけ、頷いた。


   ◇


日曜日、六つの椅子はいつもの場所にあった。


私は端に座った。


進行表を出して、好きだった場面でも、引っ掛かった場面でもいいと説明した。


佐久間さんが手を上げた。


「作者の話は」


「今日は、場面からでお願いします」


「出身地が、この橋のモデルなんですよ」


もう始まっていた。


綾さんが時計を指で叩いたので、私は口を開いた。


「それ、あとで聞きたいです。先に、私から話してもいいですか」


あとで、本当に聞くつもりだった。


私は自分の丸の横へ、印を付けた。


「私は、最後の橋の場面が、好きになれませんでした」


思っていたより大きな声が出た。


「送ってきた友人が、そのあとどう帰ったのかが気になって。そっちも、読みたかったです」


佐久間さんが、本を開いた。


「友人も、自分の家へ帰るんじゃないですか」


「そうなんですけど」


私は次の言葉を探した。


綾さんが、その間に言った。


「私は、友人の暮らしを最後まで引き受けなくても、出ていっていい、と思えて。そこが好きだった」


同じ橋の話だった。


私はメモに、綾さんの言葉を少しだけ書いた。


書いても、やっぱり、友人の帰り道が気になった。


「私は、真ん中の洗濯の場面」


水野さんが言った。


「二人で、風で飛んだシャツを追いかけるところ。笑いました」


「あそこ、町の地形がよく分かるんですよ」


佐久間さんが言った。


今度は、誰も止めなかった。


私は、そこなら笑った、と話した。


橋は嫌いでも、笑った場面はあった。


六つの丸を全部埋めるまでに、時間は少し余分に掛かった。


綾さんの番は、私が時計を指したら終わった。終わり際に、もう一言だけ、と言われて、私は待った。


   ◇


椅子を片付けながら、水野さんが言った。


「今日は、ちょっと難しかったね。好きなところだけ喋るほうが、私は気楽かな」


私は畳みかけていた椅子を、もう一度開いた。


何か、答えなければと思った。


「次は、最初に好きな場面からにする?」


綾さんが聞いた。


「うん。それなら。あと、順番じゃなくてもいい」


水野さんは、さっき自分が座っていた椅子を畳んだ。


私は開いたままの椅子を見た。


それから、今度こそ畳んだ。


次の本は、皆で候補を見て決めた。


私の第一希望は、選ばれなかった。


二百ページもないから、と推したら、佐久間さんに、長さだけで選ぶんですか、と言われた。


長さも、大事だった。


でも、選ばれた本の題名は、手帳に書いた。


   ◇


帰り道、綾さんとは改札まで一緒だった。


「シャツのところは、本当に笑った?」


「はい」


少し間があった。


「前の『良かった』を、言い直したいです。全部好きではなかったけど、あそこは笑いました」


綾さんは頷いた。


それから、駅の階段で立ち止まった。


「次、橋のモデルの話も、聞こうと思って」


「佐久間さんの?」


「うん。会の前に、十五分だけ」


綾さんは、笑いかけてから言った。


「来たいなら」


私は手帳を開いた。


来月の欄には、読書会、とだけ書いてある。


「十五分で、終わりますかね」


「分かんない」


私は集合時間の前に、もう一つ、時間を書いた。


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