魔法が使えない俺を拾った天使が距離近すぎる件
午後四時半。
都内の空は、まるで誰かの感情を代弁するかのように、重く濁った雨を降らせていた。
その中を、伊久佐トウマは傘も差さずに歩いていた。
行き先はない。目的もない。ただ、足が動くから前に進んでいるだけだ。
五年間勤めた会社を、たった一言で切り捨てられた直後だった。
『魔法が使えない君より、優秀な新人を使う』
それが理由だった。
笑えない冗談だと思った。
だが、相手は本気だった。
トウマはナビゲーターとして、毎朝まだ暗いうちからダンジョンに潜り、構造を把握し、依頼者を安全に導いてきた。
魔物の気配を察知し、最短ルートを割り出し、危険を未然に回避する。
それがどれだけ命を救ってきたか、彼自身が一番よく知っている。
──それでも、魔法が使えないという一点だけで、すべてが否定された。
「……もう、疲れたな」
ぽつりと、言葉がこぼれた。
家では出来のいい妹と比べられ続け、無能の烙印を押され。
社会に出ても同じだった。
努力すれば、いつか報われる。
そう信じて、ここまでやってきた。
けれど。
その“いつか”は、ついに来なかった。
雨粒が頬を伝う。涙なのかどうか、自分でもわからない。
このまま、どこかのダンジョンに潜って──帰ってこなければいい。
そんな考えが、ふと頭をよぎる。
その時だった。
「魔法の暴走よ!?」
「逃げろ! 巻き込まれるぞ!!」
周囲が一気に騒がしくなる。
顔を上げたトウマの視界に、巨大な炎の渦が映った。
制御を失った魔法が、暴風のように膨れ上がっている。術者の姿は見えない。責任を放棄して逃げたのだろう。
(……ああ、最悪だな)
よくある魔法事故だ。
舌打ちしたくなる衝動を押し殺し、トウマもその場を離れようとした。
だが──
「きゃあああっ!」
甲高い悲鳴が耳に刺さる。
反射的に振り向いた。
そこにいたのは、逃げ遅れた小さな少女だった。まだ小学校にも上がったばかりだろう。足がすくみ、動けずにいる。
そして、その前に立ちはだかるように、もう一人。
頭上に淡く輝く輪──天使族の証を浮かべた、金髪碧眼の少女が、その子を庇うように覆い被さっていた。
炎は、すぐそこまで迫っている。
考えるより先に、体が動いていた。
地面を蹴り、二人の前へ飛び込む。
そのまま、背中で炎を受け止めた。
熱が走る。焼けるような痛みが一瞬遅れてやってくる。だが、それだけだった。
(ぐぅ……でも、これくらいなら……っ)
頑丈な体が、辛うじて耐えきった。
だが同時に、限界も来ていた。
積み重なった疲労が、一気に押し寄せる。
視界が揺れた。
意識が、暗闇に沈んでいく。
最後に感じたのは、誰かの震える手が、自分の服を掴む感触だった。
──次に目を覚ましたとき。
トウマは、見知らぬ天井を見上げていた。
雨音は遠く、代わりに静かな空気が満ちている。
(……ここは)
ゆっくりと体を起こす。着ていた服は別のものに替えられていた。
状況を把握するため、部屋を出る。
廊下を進み、渡り廊下を抜けた先にあったのは──礼拝堂だった。
そこには、多くの人がいた。
そして、その中心に立つ一人の少女。
先ほど見た、天使族の少女だ。
彼女は静かに手をかざし、患者たちに向けて何かを行っている。
淡い光が広がり、人々の苦しそうな表情が、少しずつ和らいでいく。
(……解呪、か)
この地球には、人の負の感情から生まれる魔力を吸い上げ、浄化し、再び世界へと循環させる仕組みが存在している。
だが数百年前、その浄化は限界を迎え始めた。
処理しきれずに残った負の魔力は、行き場を失い、やがて『呪い』となって人々に降りかかるようになったのだ。
(厄介な話だよな……)
やがて作業が一段落し、人々が帰っていく。
礼拝堂に残ったのは、トウマと、その少女だけだった。
彼女はふう、と小さく息をつき、近くの椅子に腰掛ける。
どこか疲れた様子だった。
「……あの」
声をかけると、少女は顔を上げた。
透き通るような碧眼が、まっすぐにトウマを捉える。
「あ……よかった、目が覚めたんですね」
柔らかく微笑む。
「私はリリアといいます。あの時、あなたが助けてくれなかったら、私……どうなっていたか。本当に、ありがとうございました」
「いや……大したことじゃない」
トウマは視線を逸らす。
それ以上関わるつもりはなかった。
軽く会釈して、その場を去ろうとする。
だが。
「待ってください」
背中に声がかかった。
「……何か、悩みを抱えていませんか?」
ピタッと、足が止まる。
「ここは、迷える子羊を導く教会です。私は神様ではありませんが……相談相手くらいには、なれますよ」
思わず、振り返る。
その表情は、どこまでも穏やかで、そしてとても……優しかった。
気づけば、トウマは口を開いていた。
──自分でも驚くほど、あっさりと。
会社のこと。家のこと。自分が無価値だと思っていること。
すべてを話していた。
話し終えた時、リリアは──
何故か、涙を浮かべていた。
「そんな……ひどい……」
「いや、あんたが泣くことじゃ……」
慌てるトウマをよそに、彼女は強く頷く。
そして、まっすぐに手を差し出した。
「いえ、貴方は命の恩人です。もしよろしければ……ここで働いてみませんか?」
「……え?」
「ちょうど、男手が足りなくて困っていたんです」
彼女の言葉に、心が揺れる。
だが、すぐに首を振った。
「それは無理だよ。俺は魔法も使えないし……役に立たない」
唇を噛みしめ、踵を返す。
ああ、そうだ。もう期待するのはやめようと、決めたばかりなのだ。
だが、その時。
「あっ……!」
背後で、何かが倒れる音がした。
びっくりして、振り返る。
するとリリアが、ふらりと前のめりに崩れ落ちていた。
あのままだと、椅子にぶつかる。
反射的に駆け寄り、その小さな身体を受け止める。
その瞬間だった。
温かい何かが、流れ込む感覚。
リリアの体が、ぴくりと震えた。
「……え?」
彼女の表情が、驚きに変わる。
「ま、まさか……」
次の瞬間、ぎゅっと抱きしめられた。
距離が近い。近すぎる。
だがそれ以上に──
「……すごい。魔力が、一気に……」
呆然とした声。
やがて、彼女は勢いよく顔を上げた。
「トウマさん!」
「お、おう……」
思わず気圧される。それくらい彼女の瞳は真剣だった。
「通常、魔力の回復には一時間ほどかかるんです。でも……あなたと触れていると、一分もかからない」
「……は?」
「これなら……もっと多くの人を、すぐに助けられる……!」
その瞳が、まっすぐにトウマを射抜く。
「あなたは、絶対に逃がしたくない逸材です!」
「………………っ」
その言葉が、胸に刺さる。
──必要。今まで、一度も言われたことのない言葉だった。
家では無能と言われ。
会社では役立たずと言われ。
誰にも必要とされなかった。
そんな自分を、必要だと言ってくれる人がいる。
「……こんな俺でも、誰かの役に立てるのか」
心が、少しだけ揺れた。
家にも、会社にも、もう居場所はない。
でも、ここには──
自分を必要としてくれる人がいる。
恐る恐る、顔を上げる。
久しぶりに、まっすぐ前を見る。
視線の先にいたのは──正に天使様だった。
金色の髪が、窓から差し込む光を受けて柔らかく輝いている。絹のように滑らかな髪が肩に流れ、動くたびにさらりと揺れた。
透き通るような白い肌。
そして、空よりも澄んだ碧い瞳。
その瞳は、同情でも、哀れみでもなく。
ただ真っ直ぐに、トウマだけを見ていた。
まるで、本当に必要な人を見るような目で。
思わず、息を忘れる。
綺麗だ、と思った。
こんな状況なのに、場違いなくらいに。
今までの人生で、こんなに綺麗な人を見たことがなかった。
いや、外見だけじゃない。
自分を「必要だ」と言ってくれた、その言葉も。
誰かを助けたいと本気で言える、その心も。
全部が眩しくて。
ボロボロだった心に、光が差し込むみたいで。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
泣きそうになるのを、必死にこらえる。
彼女は不安そうに、少しだけ首をかしげた。
「……嫌、でしたか?」
「……いや」
トウマはゆっくりと首を振る。
そして、小さく、小さく笑った。
「こんな俺でいいなら……」
一度、息を吸う。
今までの人生を全部吐き出すみたいに、ゆっくりと言った。
「……俺を、ここで働かせてくれ」
その言葉を聞いた瞬間、
彼女の碧い瞳が、ぱっと明るく輝いた。
「はい! 一緒に、頑張りましょう!」
そう言うと彼女は、少しだけ迷うように視線を泳がせてから──そっと、トウマの手を握った。
細くて、柔らかい手だった。
突然のことに、トウマの心臓がどくんと大きく跳ねる。
彼女との距離は、思っていたよりもずっと近い。
雨上がりの湿った空気の中で、彼女の髪からほのかに甘い香りがした。
「これから、よろしくお願いしますね」
にこっと微笑む彼女の顔が、すぐ目の前にある。
手を握られているだけなのに、なぜか落ち着かない。視線の置き場に困ってしまう。
「……あ、ああ。こちらこそ」
できるだけ平静を装って答えたが、鼓動は全然落ち着いてくれなかった。
こんなふうに誰かに必要だと言われて、
こんなふうに誰かに手を握られて、
こんなふうに笑いかけてもらえるなんて──思ってもいなかったからだ。
雨は、いつの間にか止んでいた。
こうして。
誰にも必要とされなかった男の、二度目の人生が始まる。
今度こそ、自分の居場所を見つけるために。
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