第7話:絶対防壁(ハンズアップ・シールド)
毎朝7時15分の電車、3両目のドア付近。それは俺にとって、日々の過酷な労働へと身を投じるための定位置だった。
この日は朝からのひどい大雨で、ダイヤが大幅に乱れていた。
超満員の車内は酷く蒸し暑い。人々の熱気と湿気で窓ガラスは真っ白に結露していて、外の景色は見えず、叩きつけるような雨の音だけが響いている。
ギューギューに詰め込まれた中で、俺は加齢による腰の痛みにじっと耐えていた。いつになったら次の駅につくのだろう。45歳の身体には、この湿気と圧迫感はただの拷問でしかなかった。その時だった。
グンッ、と電車が不自然に急ブレーキをかけた。
「あっ……」
人波に大きく押された前方から、小さな悲鳴が上がる。
見ると、目の前に立っていた女子高生が、ローファーの足首を限界まで曲げて倒れそうになっていた。
助けなければ。
だが、その瞬間、長年の社会人生活で培われた俺の生存本能が、致死レベルの警告を鳴らした。
(下手に触れれば、即座に「事案」として俺の人生が終了(物理削除)する……!)
俺は決死の覚悟で、両手を高く頭上へと掲げた。それは、己の潔白を証明するための、現代社会における絶対の防衛姿勢だった。
そして無言のまま彼女の前に立ちふさがり、ドアの縁にドンッと片手をついた。背負っていた強靭なビジネスリュックと己の背中を壁にして、背後から押し寄せる満員電車の圧力をガッチリと受け止める。
彼女の細い肩にだけは、決して指一本触れてはならない。俺は己のパーソナルスペースを犠牲にし、彼女のための安全圏を作り出した。
至近距離に確保された空間で、俺は決して下を向かなかった。
視線は一点、中吊り広告の『週刊文春』の見出しだけを、血走った目で見つめ続ける。
(……息が苦しい。腰が痛い。早く、早く着いてくれ……!)
俺の背中で、彼女が「助かった」というように小さく息をついたのを感じた。
しかし、俺のワイシャツはすでに、雨の湿気ではなく、冷や汗でぐっしょりと濡れそぼっていたのだった。




