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第5話:大型犬の待ち時間

デート前日の金曜日の夜。

彼は自室のベッドに、持っている限りの「マシな私服」を放り出し、深刻な顔で腕を組んでいた。


(……わかんねぇ)


ダサいと思われたくない。でも、気合が入りすぎているのも痛い。

散々悩んだ末、彼はスマホの画面を伏せ、意を決して廊下に出た。そして、向かいの部屋のドアを乱暴にノックする。


「……姉ちゃん、起きてるか」

「んー? なに」

ドアが開くと、パックをしながらスマホをいじっている大学生の姉が顔を出した。


「……ちょっと、服、見立ててほしくて。年上の人だから、ガキっぽく見えないやつがいいんだけど」


耳まで真っ赤にしてそっぽを向く弟を見て、姉はニヤァッと意地悪い笑みを浮かべた。

「ふーん。なるほどねぇ。背伸びしたいお年頃ってわけだ」

姉はズカズカと彼の部屋に入り込み、クローゼットの奥からシンプルな白いパーカーと、黒の細身のパンツを引っ張り出した。

「これでいいの。大人の女はね、隣を歩く男の子に奇抜なファッションなんか求めてないの。安心感と清潔感があればそれで100点なの!」

姉の力説に押され、彼は渋々その服を受け取った。


***


そして、土曜日の朝。

雲ひとつない快晴。肌を撫でる風が柔らかい、絶好の休日日和だった。


待ち合わせの10分前、駅前の広場。

クローゼットの前で散々悩んだ末に選んだ、いつもより少しだけ柔らかい印象のワンピース。

(いけない、ただのカフェに行くのに浮かれてるって思われたら恥ずかしい)


そんな一抹の気恥ずかしさを抱えながら、私は「大人の余裕」の仮面を被り直して広場に近づいた。

すると、時計台の下の植え込みで、見覚えのある白いパーカーの背中がしゃがみ込んでいるのを見つけた。

何をしているのかと近づいて覗き込むと、彼は広場に住み着いている人懐っこい茶トラの野良猫を、とても優しい手つきで撫でていた。


ふわりとした猫の毛並みに触れる彼の手つきは、いつも満員電車で見せる涼しい顔からは想像もつかないほど、柔らかくて無防備だった。


(……ずるい。あんな顔、するんだ)


私は少しだけドギマギするのを隠して、努めて明るく声をかけた。


「おはよう。待った?」


「わっ!?」

彼はビクッと肩を跳ねさせ、猫に別れを告げる間もなく慌てて立ち上がった。

「お、おはようございます。いや、全然。俺も今来たとこなんで……」


平然を装っているけれど、彼が両手でギュッと握りしめているテイクアウトの紙カップからは、湯気が一切出ていない。


「ふふっ、嘘だ。そのコーヒー、もうすっかり冷めてるよ? もしかして、ずいぶん前から待っててくれた?」


私が少し意地悪く笑いかけると、彼は観念したように視線を泳がせ、頭をガシガシと掻いた。


「……1時間前、です」

「えっ!? 1時間!? なんでそんな早く……家、遠いの?」

「いや、ここから自転車で10分くらいなんですけど……」

「10分!?」

「なんか、落ち着かなくて。遅刻するよりマシかなって思って家を出たら、早く着きすぎました……」


バツが悪そうにうつむく彼を見て、私の中の「大人の余裕」なんてものは一瞬で消え去った。

家がすぐそこなのに、楽しみで、あるいは緊張して1時間も前からこの広場で待っていてくれた不器用な男の子。

その間の彼のソワソワした気持ちを想像すると、愛おしさで胸がいっぱいになった。


私が必死に口元が緩むのをこらえていると、彼は私の私服姿をチラッと見て、さらに顔を赤くした。


「……その、いつもと雰囲気違うんで、一瞬わかんなかったです。……すごく、綺麗です」


モゴモゴと絞り出したような不器用な褒め言葉に、今度は私の方が顔に熱を集める番だった。


「あ、ありがとう。……それじゃあ、コラボカフェ行こっか」

「はい!」


しっぽを振る大型犬のような元気な返事に、二人で歩き出す。

いつもは満員電車の息苦しい距離でしか会っていなかったから、こうして明るい日差しの下で隣に並んで歩くのは、なんだか不思議な感覚だった。

少しだけよそよそしい距離感を保ちながらも、私たちの歩幅は自然と同じリズムを刻み始めていた。

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