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見上げるだけの天文部  作者: こおりがし


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第5話 赤点回避と、深夜の共犯者

第5話 赤点回避と、深夜の共犯者

 七月。放課後の廊下にその「氷の声」は響いた。


「ーー待ちたまえ。そこを走っている金髪」


 廊下をダッシュしていた星野キキが急ブレーキをかけて転びそうになる。その行く手を阻むように立っていたのは、腕に『風紀』の腕章を巻いた黒髪の女子生徒――佐条ユキノだった。


「ゲッ!風紀委員長、、、」


「廊下は走らない。それと、そのスカート丈は校則違反です。減点1」


 ユキノは銀縁メガネの奥から絶対零度の視線を放ち、後ろから来た小日向あかりと深月あおいにもターゲットを移す。


「小日向さん、リボンが緩んでいます。深月さん、校内でのヘッドホン着用は推奨されていません」


「、、、音は流してない。これは耳栓」


あおいがボソッと反論するが、ユキノは手帳を取り出して淡々と告げた。


「口答えは減点2。いいですか、天文部の皆さん。今回のテストで赤点者が出た場合、部活動予算の削減も検討します。覚悟しておくように」


 嵐のように去っていくユキノ。残された三人は青ざめた顔を見合わせた。予算削減=お菓子代消滅。天文部にとってこれは死活問題だ。




「むーりー!むりむり!サインコサインタンジェント!呪文かよ!唱えたら爆発しろ!」


七夕の短冊に『テスト消滅』と書く暇もなく、期末考査一週間前がやってきた。天文部の部室は今、【地獄の補習所】と化していた。


 机に突っ伏した星野キキが断末魔のような叫び声を上げる。彼女の周りには数学の教科書、プリント、そして現実逃避用のポテトチップスが散乱している。


「、、、うるさい。あんたの叫び声で脳細胞が死滅する」


 向かいの席で、深月あおいがシャーペンを回しながら冷たく言い放つ。彼女は既に自分の範囲をあらかた終わらせ、今は優雅に『カメラのレンズカタログ』を読んでいる。


「あおいパイセン~!教えてよぉ~!このままだと私、夏休みが『補習』で埋め尽くされちゃう!」


「、、、自業自得。日頃の行い」


「そこをなんとか!ほら、肩揉むから!プレミアムなポテチあげるから!」


 キキが拝み倒す。小日向あかりは、その光景を横目に見ながら英単語帳をめくっていた。


(キキ、毎回こうなるんだから、、、)


 あかり自身も余裕があるわけではない。ただ、キキがあまりにも壊滅的なので相対的にまともに見えているだけだ。


「あらら、キキちゃん大ピンチだねぇ」


 窓際で夏目みどり部長がのんびりと紅茶をすすっていた。三年生の彼女は受験生のはずだが、手元にあるのは古典の教科書一冊だけ。しかもほとんど開かれていない。


「部長はいいですよねぇ!頭いいから!」


「ん~、そうでもないよぉ?私も古典の『係り結び』がなかなか覚えられなくてねぇ、、、」


「ダウトッッ!さっき先生と『万葉集の恋歌』について対等に議論してたの見たもん!」


 みどり先輩は「あはは」と笑って誤魔化した。この「ゆるふわ天才」に勉強を教わろうとすると、感覚的すぎて余計に混乱するのを部員たちは経験上知っていた。


「、、、はぁ。貸して」


見かねたあおいがキキのノートをひったくった。


「えっ!あおいちゃん!?」


 みどりがびっくりしている中、あおいのスパルタ指導が始まった。


「、、、ここ。公式の適用が逆。あと計算ミスが三箇所。、、、小学生からやり直す?」


「ううっ、毒舌だけど優しい!好き!結婚して!」


「、、、却下。」


「じゃあポテチあげる!」


「いらない。あと、ポテチの粉ついた手で触らないで」


「えー、遠慮しなくていいのにー。」


あおいに断られてむすぅとした顔のままキキが窓の外、東の空を見上げた。


「あーあ。私があの星だったらなー」


時刻は十九時。下校時刻ギリギリだ。東の低い空にクリーム色をした明るい星が一つ、のんびりと光っている。


「土星、かぁ」


みどり先輩も窓の外を見る。


「英語で『Saturnサターン』。農耕の神様だねぇ」


「土星って、あの輪っかのやつですよね?」


あかりが聞くと、あおいがシャーペンを回しながら頷いた。


「うん。氷や岩の粒がぐるぐる回ってる」


「いいなー土星。輪っかでフラフープして遊んでるんでしょ?呑気のんきでいいなぁ」


キキが頬杖をつく。


「、、、あれは遊んでるんじゃない。捕まってるの」


あおいがボソッと言った。


「土星の重力に捕まって逃げ出せない星のかけらたち。永遠に同じ場所をぐるぐる回ってるだけ」


 その言葉に、教室に妙な沈黙が落ちた。重力に捕まって、逃げ出せない。同じ場所を、ぐるぐる回っている。


「、、、なんか、今のわたしたちみたいですね」


あかりがポツリと言うと、全員の視線が手元のプリント――「テスト範囲」という名の重力圏――に集まった。


「やめてあかりちゃん!そのリアルな例えやめて!」


キキが頭を抱える。


「私たちは土星の輪っかなの!?テストから逃げられないチリなの!?」


「でもさ、」


みどり先輩がいちごミルクの空箱をゴミ箱へ投げ入れた。ストローが空を切って美しい放物線を描く。コトン、と小気味いい音がした。


「いつかは外に飛び出せるよ。『脱出速度』さえ出せばね」


「だっしゅつそくど?」


「重力を振り切るためのスピード。今の私たちで言うなら、、、」


先輩はニカリと笑い、キキの前に新しいプリントの束を置いた。


「これとこれを丸暗記すること。そしたら赤点引力圏からは脱出できる」


「うわあああん!鬼!部長が鬼になった!」


 キキの悲鳴が夜の校舎にこだまする。遠くの空で、土星が「頑張れ」と言うように、チカっとまたたいた気がした。

     



 ――時刻は二十二時。  勉強会の帰り、あかりは気分転換にコンビニへ立ち寄った。


「、、、さすがに夜風はぬるいか」


 自動ドアをくぐる。冷房の効いた店内は天国だ。雑誌コーナーで立ち読みをしてドリンクコーナーへ。夜食に新作のスイーツでも買おうか迷っていた、その時。


「、、、!」


 スイーツコーナーの棚の前に、見覚えのある背中があった。艶やかな黒髪ロングヘア。  制服ではなく、少しフリルのついた清楚な私服ワンピース。  でも、あの真面目そうな雰囲気は間違いない。


(佐条先輩、、、?)


 生徒会役員兼風紀委員長『佐条ユキノ』だ。彼女は真剣な眼差しで棚に並んだ商品を凝視している。その手には買い物カゴ。中身は、、、


 『濃厚ショコラシュー』  『とろけるダブルプリン』  『マカロン5個入り』  『板チョコ(ブラック)』×3


(、、、買いすぎじゃない!?)


 あかりが心の中でツッコミを入れた瞬間、ユキノが振り返った。視線がかち合う。


「あ」


「あ」


 一瞬の静寂。店内の有線放送だけが陽気に流れている。ユキノの顔がみるみるうちに赤く染まっていく。


「こ、これは!その!違います!」


「え、あ、はい。・・・何がですか?」


「これは生徒会の、、、そう、差し入れです!私が食べるわけじゃありません!断じて!」


 早口でまくし立てるユキノ。しかし、その買い物カゴのラインナップはどう見ても「ストレス発散のドカ食いセット」だ。あかりは部室でみどり先輩が言っていたことを思い出した。


『サジョちゃんは甘いものがないと生きていけないんだよぉ』


「、、、勉強、大変ですよね」


あかりはあえてカゴの中身には触れず、苦笑いした。


「私たちも今、部室で死にそうになってて」


「、、、ふん。天文部の方々はいつも楽しそうで結構ですね」


ユキノは咳払いを一つして、少しだけ表情を緩めた。


「、、、今回のテスト、風紀委員としても負けられませんので。糖分補給は脳の効率化に必要な措置です」


「はい、わかります。私も買おうと思ってたので」


あかりは隣にあった『もっちりイチゴ大福』を手に取った。


 レジに並ぶ二人。会計を終え店の外に出る。夜の駐車場。街灯に照らされたユキノは昼間の「鉄壁の委員長」とは少し違って、普通の女子高生に見えた。


「、、、小日向さん」


帰り際、ユキノがボソッと言った。


「このこと、他言無用でお願いします」


「え?」


「私がこんなに、、、大量のスイーツを買っていたこと。特に、深月さんには絶対に」


 あおいとユキノは犬猿の仲だ。知られたら一生イジられるだろう。あかりはクスッと笑って頷いた。


「わかりました。共犯者、ですね」


「、、、共犯者。ふふっ、悪くない響きですね」


 ユキノは少しだけ悪戯っぽく笑うと、「それでは」と軽く会釈して夜道へ消えていった。その足取りは心なしか軽やかだ。


 あかりは袋の中の大福を見つめ、夜空を見上げた。雲の切れ間に、明るい星が一つ。


「、、、頑張ろ」


 あかりもまた、少しだけ軽くなった足取りで家路についた。天文部と生徒会。立場は違うけれど今夜は同じ星の下で同じようにテストと戦っている。そんな当たり前のことが、なんだか少し嬉しかった。

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