第4話 湿気る前髪と、バケツの中の銀河
第4話 湿気る前髪と、バケツの中の銀河
6月。日本の空は、分厚い灰色のカーテンに閉ざされていた。
「、、、あー、もう無理。前髪終わった。これじゃただの海藻じゃん」
放課後の部室(空き教室)。窓の外はシトシトと降り続く雨。室内は不快な湿度で満ちている。星野キキが手鏡を見ながら絶望の声を上げた。自慢の金髪ポニーテールは湿気で重くなり、こだわりの「オン眉」前髪がうねって額に張り付いている。
「ねぇあかりー! ヘアアイロン持ってない!? 私の『命の前髪』が死んじゃう!」
「持ってないよ。ていうか学校に持ってきちゃダメでしょ、、、」
向かいの席で英単語帳を開いていた小日向あかりが、呆れたように答える。あかりの赤い髪も少し広がっているが、キキほど深刻ではないようだ。
「、、、うるさい。湿気で空気の振動が伝わりやすくなってるの? 声のボリューム下げて」
部屋の隅から低い声が飛んできた。深月あおいだ。首にゴツいヘッドホンをかけ、手元には重厚な黒い塊(フィルム一眼レフカメラ)がある。彼女は愛おしそうにレンズを布で磨いていた。
「なんだよぅ、あおい先輩だって髪ペタンコじゃん! カッパみたいだよ!」
「……はぁ(溜息)。私のこれは『重力に従順なヘアスタイル』。あんたの無駄な抵抗とは違う」
「むぅ! 理屈っぽい!」
キキが地団駄を踏む。いつもの光景だ。雨が続いて星が見えないため、天文部の活動はここ一週間ただの「放課後の暇つぶし」と化していた。
「まぁまぁ、二人とも落ち着いてぇ。湿気でイライラすると、カルシウムが溶けちゃうよぉ?」
窓際の一番いい席から、間延びした声が響く。部長の夏目みどりだ。彼女のフワフワした緑の髪は湿気を吸ってさらに膨張し、まるで巨大なわたあめのようになっている。
「先輩、それ科学的根拠あるんですか?」
あかりがツッコミを入れる。
「ん~、ないかなぁ。でも、イライラするより雨の音を聞いてる方がお得だよぉ。天然の環境音楽(BGM)だもん」
みどり先輩は萌え袖のカーディガンに手を隠したまま、とろんとした目で雨粒を眺めている。この人はどんな状況でも楽しむ天才だ。
「でもさー部長!星見えないし、お菓子もないし、暇すぎて私、、、干からびそう!」
「お菓子ならあるよぉ」
「えっ!? マジ!? どこどこ!?」
キキが「待て」を解除された犬のように目を輝かせる。みどり先輩は足元の紙袋からゴソゴソと何かを取り出した。
「はい、これ」
「、、、部長。それ、食べ物じゃない」
あおいが即座に指摘した。
先輩の手にあるのは細長いパッケージ。『国産・線香花火』と書かれている。
「去年の夏合宿の余りが出てきたんだよぉ。湿気っちゃう前に使ってあげないとねー」
「えー! 花火!? 学校でやっていいの!?」
「ん~、バレなきゃセーフかなぁ」
先輩は悪戯っぽく笑うと、バケツを持って立ち上がった。
渡り廊下の端。屋根があり、雨が吹き込まないコンクリートの上。四人はバケツを囲んでしゃがみ込んでいた。
「いくよー! 着火!」
キキがライターで火をつける(なぜ持っているのか、あかりは深く追求しないことにした)。チリチリ、という音と共に、小さな火の玉が膨らむ。
パチッ、パチパチッ。
オレンジ色の火花が四人の手元で弾けた。薄暗い雨の日に、そこだけ小さな太陽が生まれたようだ。
「、、、ん。悪くない」
あおいが片手で重たいカメラを構える。ファインダーは覗かず、感覚だけでシャッターを切る。カシャッ、という重たい機械音が雨音に混じった。
「わー! キレイ! ねぇ見てあかり、私の火花、超元気!」
「はいはい。あ、あんまり振り回さないでよ。落ちちゃうから」
「あかりちゃんのは上品だねぇ。性格が出るのかなぁ」
みどり先輩の言葉通り、四人の花火はそれぞれ違った。激しく散るキキ、静かに燃えるあおい、長持ちするみどり、そして今にも落ちそうなあかり。
「、、、これ、星の一生みたいだねぇ」
みどり先輩が、燃え尽きそうになる火の玉を見つめて呟いた。その横顔が火花の明かりで少しだけ大人びて見える。
「ガスが集まって、輝いて、散って。宇宙で起きてることが今、バケツの上にあるんだよぉ」
「、、、スケールでかいですね」
あかりが言うと、先輩は「ふふっ」と笑った。
「遠くに行かなくても。見上げなくても。ここにも宇宙はあるんだよ」
その言葉に、あかりは少しだけ胸が熱くなった。どこにも行けない雨の日。テストも近いし、悩みもある。でも、こうして四人で小さな火花を囲んでいる時間はなんだかとても「贅沢」な気がした。
(、、、なんか、ポエムっぽいこと考えちゃった。危ない危ない)
あかりが心の中で首を振ったその時。
「あーっ! 落ちた! 私のが一番最初に落ちたー!」
キキの絶叫が響く。
「、、、ふっ。日頃の行い」
あおいが鼻で笑う。
「なんだとー! あおい先輩のそれ、絶対もうすぐ落ちる呪いかけたる!」
「、、、小学生か、あんたは」
騒がしい声が湿った空気を震わせる。バケツの水に四つの燃えかすがジュッと音を立てて沈んだ。
雨はまだ止まない。けれど、部室に戻る彼女たちの足取りは、来る時よりも少しだけ軽かった。
「ねぇ部長、次のお菓子は?」
「ん~、職員室に行けば誰かくれるかもねぇ」
「よし、突撃だー!」
「、、、私はパス。フィルム現像しなきゃいけないから」
「えー、あかりも行くでしょ?」
「え、私? 、、、まあ、付き合うけどさ」
廊下に、四色の個性が溶け込んでいく。天文部の「星を見ない一日」がこうして暮れていった。




