第2話 コンビニ肉まんと、冬の大三角
第2話 コンビニ肉まんと、冬の大三角
女子校の放課後は、独特の匂いがする。制汗スプレーと甘いお菓子の匂い。そして、男子の目を気にしなくていいという圧倒的な弛緩した空気。
「ねえあかりー、ホントに天文部なの? 地味じゃない?」
隣を歩く星野キキが、廊下の真ん中を大股で歩きながら不満げに声を上げた。彼女は「軽音部でガールズバンドを組む」か「ダンス部でK-POPを踊る」かで悩んでいたはずだ。
「面白そうな先輩がいたからちょっと見るだけ」
「ふーん。まあ、この学校じゃ彼氏なんて都市伝説だし?『麗しの先輩』的な出会いがあるならワンチャンありだけどさー」
キキは「あーあ、共学行けばよかったー」と嘆きつつ、あかりの後をついてくる。特別棟の最上階。重たい鉄の扉を押し開ける。途端に強風が吹き抜けて、二人のスカートがバサリと大きく捲れ上がった。
「うわ!パンツ見えそ!」
「誰も見てないって」
あかりが髪を押さえながら笑う。これぞ女子校。校舎の屋上でスカートを気にする生徒なんていない。視界が開けるとコンクリートが剥き出しの広い屋上の真ん中に、ポツンと青いレジャーシートが敷かれているのが見えた。
その端に、一人の女子生徒が座り込んでいた。膝を抱えて大きなヘッドホンをしている。ネクタイの色は青色、二年生だ。ショートカットの髪が風になびいても彼女は微動だにせず、ただ暮れなずむ空を睨んでいた。
「、、、え、あの人が部長?」
キキが小声で聞く。
「ううん、違うはず、、、」
あかりたちが近づくと、ヘッドホンの少女がゆっくりと顔を向けた。切れ長の涼しい目。整った顔立ちだが人を寄せ付けない鋭さがある。彼女はあかりたちを一瞥すると、興味なさそうにまた空へ視線を戻してしまった。
「、、、クール系イケメン女子発見」
キキがボソッと呟く。声をかけづらい。帰ろうか、とあかりが迷ったその時。
「あー! あかりちゃん! 来てくれたんだー!」
貯水タンクの影から、見覚えのある緑ネクタイ――三年生の夏目みどり先輩が飛び出してきた。手にはコンビニの白いビニール袋を提げている。
「よかったぁ、誰も来なかったら一人でピクニックするところだったよー。あ、そっちの子は友達?」
「あ、はい。星野キキです。付き添いっていうか、、、」
「ウェルカムだよー! ささ!座って座ってー」
みどり先輩はレジャーシートをポンポンと叩いた。キキは「え、地べた?」と引き気味だったが、みどり先輩が袋からガサゴソと何かを取り出した瞬間目の色を変えた。
「はい、これ入部祝い」
「、、、『井村屋』の肉まん?」
「正解。あとピザまんもあるよー」
湯気を立てるほかほかの肉まんだった。四月の夕方はまだ肌寒い。女子高生にとって放課後の買い食いは正義だ。
「いただきまーす!! 先輩!一生ついていきます!!」
キキの掌返しは早かった。彼女はローファーを脱ぎ捨ててシートに上がり込み、肉まんを頬張った。
「んまー!」
あかりも恐る恐る靴を脱いで座る。
「あ、紹介するねー。こっちの地蔵みたいに動かないのが二年の深月あおいちゃん」
みどり先輩に指差され、ヘッドホンの少女――あおいが片耳だけヘッドホンをずらした。
「、、、どうも」
短く挨拶してまたヘッドホンを戻す。
「あの子、ああ見えていい子だから。今は『マジックアワー』の撮影に集中してるの。邪魔すると噛み付くから気をつけてねー」
「噛みつきません」
あおいがボソッと訂正した。
「さて、お腹も落ち着いたし」
みどり先輩は肉まんの最後の一口を飲み込むと、行儀悪くゴロンと仰向けに寝転がった。スカートの中が見えそうだが気にする様子もない。
「始めようか!」
「えっ、もうですか!? 望遠鏡とか出さないんですか?」
キキが口の周りに肉まんの皮をつけたまま聞いた。
「うん。だって、もう出てるもん」
「え?」
「ほら、あそこ」
みどり先輩が真上より少し西寄りの空を指差す。そこには、一つだけ桁外れに明るく輝く星があった。
「あれはシリウスっていうの。全天で一番明るい星。おおいぬ座の鼻の頭だね」
「へぇー、あれが!」
「で、その右上にあるオレンジっぽいのがベテルギウス。左上にあるのがプロキオン。この三つを繋ぐと、、、」
あかりは目を凝らした。街明かりのせいで空は明るいグレーだ。でも、みどり先輩に言われて見ると確かに三つの明るい点が正三角形を作っているのがわかった。
「三角形、、、ですね」
「正解! あれが『冬の大三角』。もう四月だから、西に沈みかけてるけどねー。冬の星たちが『また来年会おうねー』って手を振ってるの」
冬の大三角。教科書で名前だけは知っていた。でもこんな東京の空で、しかもコンビニの肉まんを食べながら女子だけでダラダラと見られるなんて思わなかった。
「なんか、星を見るのってもっとすごい機械がないとダメだと思ってました」
あかりが言うと、横で黙っていたあおいが不意に口を開いた。
「、、、機械を通すと、世界は切り取られる」
「え?」
「カメラは明るい空か、暗い街か、、、どちらかしか綺麗に写せない。でも人間の目は、残ってる夕焼けも、沈んだ路地裏の影も、同時に全部拾える」
あおいは静かに自分の目を指差した。
「、、、一番優秀なレンズは、自分の目」
あおいはスマホの画面をあかりたちに見せた。そこには今まさに沈もうとする夕日と、学校のフェンス、そして空に浮かぶ三つの星が一枚の絵画のように切り取られていた。肉眼で見たままの少し切ない春の夕暮れ。
「わ、すご、、、エモっ!」
キキが身を乗り出す。
「ねえあおい先輩!この写真ちょうだい!インスタあげる!」
「、、、いいけど」
あおいは少し面倒くさそうにしつつも、あからさまに『先輩』と呼ばれて悪い気はしなかったのか、エアドロップの準備を始めた。
「ね? 意外と見えるでしょ?」
みどり先輩があかりの隣で空を見上げながら笑った。三年生らしい、どこか達観した優しい笑顔だ。
「この学校からでも見える、私たちの宇宙。遠くに行かなくても、見上げればそこにあるんだよ」
あかりはもう一度、冬の大三角を見上げた。冷え始めた夜風が少しだけ心地よく感じる。肉まんの匂いと、友達の騒ぐ声と、沈みゆく冬の星座。気取らない放課後。そんな高校生活も思ったより悪くないかもしれない。
「、、、先輩」
「ん?」
「、、、入部届って、どこに出せばいいんですか?」
あかりの言葉に、みどり先輩は星空のような満面の笑みを浮かべた。その横でキキが「えっ、あかりが入るなら私も入る! お菓子出るし!」と叫び、あおいが小さくシャッターを切る音がした。
こうして、【見上げるだけの天文部】に、新しい季節がやってきた。




