第12話 ペルセウス座流星群と、午前二時の屋上
第12話 ペルセウス座流星群と、午前二時の屋上
深夜一時半。カレーの匂いと、蚊取り線香の香りが混ざり合う家庭科室。そこにあかりの悲鳴が響き渡った。
「いやぁぁぁぁぁ!!やめてぇぇぇ!!」
「・・・でね、その理科室のガイコツ標本が、夜な夜な自分の『肋骨』を探して廊下を這いずり回るんだって、、、カト、カト、カトって乾いた音を立てて、、、」
懐中電灯を下から顔に当て、おどろおどろしい声を出しているのは星野キキだ。その影が天井に巨大な亡霊のように揺らめいている。
「そして、一番後ろを歩いている生徒の足首を掴んで、こう言うの。『・・・お前の骨、一本足りないよ』って」
「うわぁぁぁん!!無理無理!本当に無理です!!」
小日向あかりはミノムシのように寝袋のチャックを頭まで閉め、ブルブルと震えていた。天文部に入って数ヶ月。まさかこんな古典的な怪談でここまで追い詰められるとは思っていなかった。
「あはははははは、あかりんビビリすぎ~!天文部なら夜の学校くらい制覇しないと!お化けなんて物理攻撃で倒せるって!」
キキはケラケラと笑って懐中電灯を消した。昼間の元気さは深夜になっても衰えることを知らない。
「、、、うるさい。近所迷惑」
部屋の隅から、冷ややかな声が飛んできた。深月あおいはアイマスクと耳栓を装備し、微動だにせず仰向けに寝ている。どうやら仮眠を取っていたらしい。
「あらら、あかりちゃん泣きそうだよぉ。キキちゃんいじめちゃダメだよぉ」
夏目みどり部長が、昼間の高級肉の残りを焼いた「謎の夜食」を頬張りながら、のんびりと言った。
「だってぇ、流星群の極大時間まで暇なんだもん。トランプも飽きたし」
「、、、暇なら機材のチェックでもしてればいいのに」
あおいがアイマスクをずらし、不機嫌そうに時計を見た。
「一時四十分。。。そろそろ時間。『ペルセウス座流星群』のピークが来る」
その言葉に、寝袋のミノムシ(あかり)がモゾモゾと動いた。顔だけを恐る恐る出す。
「、、、ほ、本当ですか? もうお化けの話は終わりですか?」
「終わり。ここからは星の時間。屋上に移動するよ」
あおいは短く言い捨てると、重そうな三脚とカメラバッグを担いで立ち上がった。
「よし!いざ屋上へ!天体観測だー!」
キキが元気よく飛び出し、みどり部長も「お茶持ってくねぇ」と続く。あかりは慌てて寝袋から這い出し、懐中電灯を握りしめた。真っ暗な廊下。キキの言った「カト、カト」という幻聴が聞こえてきそうで、あかりは前を行くあおいのパーカーの裾を、こそっと摘んだ。
「、、、何?」
「い、いえ!なんでもないです!暗くて転ぶといけないので、安全確保です!」
「、、、はいはい」
あおいは呆れつつも、振り払わずに歩いてくれた。
屋上の重い鉄扉を開けると、生温かい夜風が吹き込んできた。視界が一気に開ける。街の灯りが地平線をぼんやりと照らしているが、頭上には都会にしては珍しく澄んだ暗闇が広がっていた。
「うわぁ、、、!!」
あかりは息を呑んだ。教室の窓から見る空とは、広さがまるで違う。三百六十度、遮るもののないプラネタリウム。
「よし、設営開始」
あおいの指示で、四人は屋上の真ん中にブルーシートと銀マットを敷いた。あおいは手際よく三脚を立て、北東の空へレンズを向ける。
「今回のペルセウス座流星群は条件がいい。月明かりもないし、雲も切れてる」
あおいはファインダーを覗きながら、いつになく饒舌だ。
「放射点はペルセウス座付近だけど、流星は全天に流れる。だから、、、」
「だから、寝転がって見るのが一番!ほらあかりん、こっち!」
キキに腕を引かれ、あかりはマットの上に仰向けになった。コンクリートの硬さがマット越しに背中に伝わる。四人で川の字、、、ではなく、頭を中心にして放射状に寝転がった。
視界いっぱいに、星が降ってくるような感覚。静寂。遠くを走る車の走行音だけが、波の音のように聞こえる。
「、、、あ」
誰かが声を上げた瞬間。夜空の真ん中を、鋭い光の線が切り裂いた。
「流れた!今見た!?めっちゃ速かった!」
キキが叫ぶ。
「うん、見た、、、! すごい、本当に降ってる」
あかりの胸が高鳴る。それは、想像していたよりもずっと儚く、そして力強い光だった。
カシャッ、と静かなシャッター音が響く。あおいがレリーズ(遠隔シャッター)を握っている音だ。
「、、、痕が残るタイプ。明るかった」
あおいの声も少しだけ弾んでいる。
そこからは、光のショータイムだった。数分おきに、ヒュッ、と光が走る。
「焼きそばパン!」
「学食無料券!」
「評定!」
キキが流れるたびに即物的な願いを叫ぶ。
「、、、キキちゃん、星が逃げていくよ」
みどり部長が笑いながら、「世界平和ぁ」と呟いた。規模がでかい。
「、、、あかりは?願い事、ないの?」
不意に、隣に寝ているあおいに聞かれた。あかりは夜空を見上げたまま考えた。
小説家になりたい。もっと自信を持ちたい。ポエムノートを誰にも見られませんように。
いろんな願いが頭をよぎったけれど、どれも言葉にする前に星は消えてしまう。
「、、、速すぎて、無理です。私、どんくさいから」
「、、、ふーん。ま、願いなんて自分で叶えるものだしね」
あおいは憎まれ口を叩きながらも、撮れたばかりの写真をモニターで見せてくれた。小さな画面の中、夜空を斜めに横切る光の筋が鮮やかに切り取られている。
「、、、綺麗」
「、、、でしょ。肉眼で見るより、カメラは光を集められるから」
あおいは少し誇らしげにレンズを磨いた。普段は無愛想でレンズ越しにしか世界を見ていないようなあおい。でも、彼女がファインダー越しに見ている世界は、こんなにも美しいのだ。
「、、、あおい先輩って、ロマンチストですよね」
「はぁ?どこが。これは記録。科学的なデータ収集」
「ふふ、そういうことにしておきます」
あかりはクスクスと笑った。
夜風が少し冷たくなってきた。四人は毛布を分け合い、身を寄せ合うようにして空を見上げ続けた。言葉数は次第に減り、やがてキキの寝息だけが聞こえるようになった。
宇宙の広さと自分たちのちっぽけさ。でも今、ここで同じ空を見上げているという確かな温度。
あかりは心の中のノートにそっと書き留めた。『星は、空にある時よりも誰かの瞳に映っている時の方が、眩しいのかもしれない』
これがポエムなのか、それとも小説の書き出しになるのかは分からないけれど。この夜のことは、きっと忘れないだろうと思った。
空が白み始めた頃。東の空に明けの明星が輝き、流星群の宴は幕を閉じた。
「、、、ふわぁ。朝だぁ」
キキがむくりと起き上がる。みどり部長も伸びをし、あおいは最後のシャッターを切って機材を片付け始めた。
「さ、撤収だよぉ。先生に見つかる前に片付けないと」
「了解! ・・・あーあ、合宿終わっちゃうのかぁ」
キキが名残惜しそうに空を見上げる。
「楽しかったねぇ。。。さて、それじゃあ部室に戻って」
みどり部長が、朝日に照らされた爽やかな笑顔で言った。
「今回の合宿の『レシート精算会』でもしようかぁ?」
その言葉にあかりの背筋に冷たいものが走った。美しい思い出の後に待っているのは、いつだって世知辛い現実だ。
「まず、メインの『お肉』。これは商店街の奥さんからの頂き物だから、0円」
「「「おぉー!」」」
全員が拍手する。
「次に、お米と野菜。これはみんなが家から持ち寄ってくれたから、0円」
「優秀ですね」
あかりがホッとしたのも束の間、キキが元気よく手を挙げた。
「はいはい部長!私は昨日、コンビニで『ポテチ5袋』と『コーラ2リットル』、あと『花火セット』を買ってきました! レシートあります! 合計3,250円です!」
キキがくしゃくしゃのレシートを突き出す。 しかし、部長はニコニコしたまま首を傾げた。
「ん~? キキちゃん。合宿のしおりの3ページ目、読んでみてくれる?」
「え? 『おやつは300円まで・・・?」
「そう。金額オーバーでルール違反だねぇ。それに・・・」
部長は優しく、しかし残酷な事実を告げた。
「そもそも、おやつは『私物』扱いだから全額自腹だよぉ。常識だねぇ」
「えええええ!? う、嘘でしょ!? そ、そんなぁ!?」
「しかも花火は校内火気厳禁だから、これまた個人的な持ち込み扱い。、、、よって、経費では落ちません」
あおいの非情な追撃に、キキが「鬼だ! あんたたち鬼だ!」と芝生に突っ伏して泣き崩れた。
「、、、で、部長。一番肝心な『カレールー』はどうしたんですか? あれは家からの持ち込みじゃなかったはず」
あおいの鋭い質問に、部長はポケットから小銭入れを取り出した。チャラ、と寂しい音が鳴る。
「うん。実はねぇ、部費が『211円』だけ残ってたの。それで特売のルー(208円)を買ったんだよぉ」
「……え、211円?」
あかりが目を丸くする。
「というか、ちゃんと部費あったんですね・・・『ゼロ』だと思ってました」(まあ、それでもほとんど無いようなものだけど、、、)
「あるよぉ、もちろん。大切なお金だからねぇ」
「、、、で、211引く208ってことは・・・」
あかりが指折り計算し、顔を引きつらせた。
「、、、部費の残金、あと『3円』ってことですか?」
「正解!ギリギリ足りてよかったねぇ~」
部長はのんきに笑っているが、事態は深刻だ。うまい棒どころか、5円チョコすら買えない。それが現在の天文部の全財産なのだ。
「、、、終わった。私の機材メンテナンス費・・・」
あおいががっくりと肩を落とす。キキは芝生で「3千円、、、私の3千円、、、」とうわ言を繰り返している。
「、、、部長。現実に戻るの早すぎませんか?」
「現実はいつも厳しいものだよぉ、あかりちゃん」
朝日に照らされた部長の笑顔は、神々しいほどに邪悪だった。
こうして、天文部の『予算ゼロ(だと思っていたら、本当にゼロに近づいた)合宿』は幕を閉じた。残高3円という代償はあまりにも大きかったけれど──。 その対価として手に入れた『プライスレス』な星空は、間違いなく彼女たちの胸の中で、この夏一番の輝きを放っていた。




