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見上げるだけの天文部  作者: こおりがし


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第10話 進路調査票と、見えない明日

第10話 進路調査票と、見えない明日

 夏休み目前。浮き足立つ生徒たちの心をへし折るようにそのイベントはやってきた。『三者面談』である。


 放課後の廊下にはパイプ椅子に座る親子連れの列。教室からは担任の低い声と、母親の「すいません」という声が漏れてくる。まさに処刑場への順番待ちだ。


「、、、終わった。私の人生、詰んだ」


 廊下の隅で、星野キキが壁と同化するように項垂うなだれていた。隣には少し疲れた顔をした女性、キキのお母さんがいる。弟をおんぶし買い物袋を提げた、いかにも『肝っ玉母ちゃん』という雰囲気だ。


「あんたねぇ!『将来の夢:石油王の妻』って何よ! 先生困ってたじゃない!」


「だってぇ! 楽して稼ぎたいんだもん! バイト疲れたんだもん!」 「稼ぐなら勉強しなさい! 赤点取ったらバイト禁止だからね!」


 キキの家は相変わらず賑やか(修羅場)らしい。小日向あかりは、その様子を苦笑いで見つめながら自分の順番を待っていた。 隣にはあかりの母が座っている。


「、、、あの子、元気なお友達ね」


母が小声で言う。


「うん、まあ、、、部活の仲間」


「そう。あかりが楽しそうで良かったわ。高校入ってから少し明るくなったんじゃない?」


 母の言葉にあかりは少し驚いた。自分では変わっていないつもりだったけれど、周りからはそう見えているらしい。


「次は、小日向さん。どうぞ」


ドアが開き、担任の声がした。


     


 面談の内容は至って平凡だった。成績は中の上。生活態度は良好。文系か理系かの選択について。


「あかりさんは、何かやりたいことはあるのかな?」


担任に聞かれ、あかりは手元の『進路調査票』を見た。


第一志望:【 未定 】


真っ白な空欄が自分の中身のなさを証明しているようで恥ずかしい。


「、、、まだ特に。とりあえず大学には行きたいと思ってますけど」


あかりが答えると、母が横から口を挟んだ。


「この子、昔から本ばかり読んでて。文学部とか向いてるんじゃないですか?」


「お母さん、勝手に決めないでよ」


「あら、だって貴女あなた、ポエムとか……」


「わあああ!ストップ!お母さんストップ!」


あかりは顔を真っ赤にして母を止めた。


家で隠していた『空色ノート』がまさか親バレしていたとは。担任は「ははは」と乾いた笑いを浮かべていた。


     


 地獄の面談を終え、逃げ込むように辿り着いた天文部部室。そこには既に死体が二つ転がっていた。


「、、、石油王、、、どこ、、、」


灰になったキキ。


「、、、偏差値、、、数値化される人間の尊厳、、、」


ブツブツと呪詛じゅそを吐く深月あおい。


 あおいは成績優秀なはずだが、どうやら担任と「進路の方針」で揉めたらしい。(恐らく『写真の専門学校に行きたい』vs『国立大学に行け』のバトルだろう)。


「みんなお疲れ様だねぇ」


 唯一、通常運転なのが夏目みどり部長だ。彼女は窓際で西日に透けるカーテンを眺めていた。3年生の彼女にとって、今回の面談はあかりたちより遥かに重いはずだ。『志望校決定』のデッドラインなのだから。


「部長は、、、どうだったんですか?」


あかりが恐る恐る聞くと、みどり先輩は「ん~」と首を傾げた。


「先生にねぇ、『夏目ならどこでも行けるぞ、東大でも京大でも』って言われちゃった」


 部室に衝撃が走る。やはりこの人、ガチの天才だった。


「で、部長は何て答えたんですか?」


あおいが身を乗り出す。


「、、、まさか、天文学科?」


 みどり先輩は、ふわりと笑って首を横に振った。


「ううん。近くの国立大学の教育学部にするつもり」


「えっ、、、先生になるんですか?」


意外な答えに、キキが顔を上げた。


「うん。。。私ね、星を見るのは好きだけど、星を『研究』したいわけじゃないんだぁ」


先輩は窓の外の空を指差した。


「星はただそこにあって、見上げるだけでいいの。解明しちゃったら魔法が解けちゃう気がしてねぇ」


 その言葉はとてもみどり先輩らしかった。そして同時にあかりの胸に小さな寂しさを残した。先輩は、もう自分の「明日」を決めている。このゆるい部室で、いつまでも一緒にいられるわけじゃないのだ。


「ま、先のことはわかんないけどねぇ!」


しんみりした空気を察したのか、先輩がパンと手を叩いた。


「それよりみんな!面談が終わったってことは、明日から何だかわかる?」


「、、、あ」


キキの目に生気が戻る。あおいの目が少しだけ開く。あかりも顔を上げた。


「「「夏休み!!」」」


「正解!テストも面談も忘れて、遊ぶよぉ~!」


「よっしゃあぁぁ!海!プール!合宿!」


キキが復活して机の上で踊り出す。


 進路のことは、とりあえず棚上げだ。見えない未来あしたよりも、確実に来る楽しい夏休みの方が大事だ。あかりは鞄から『空色ノート』を取り出し、新しいページを開いた。そこにはまだ何も書いていない。でも、この夏できっと何か素敵な言葉で埋まる予感がした。


「、、、あ、部長。合宿の計画、まだ白紙ですよね?」


あおいの冷静なツッコミが、夕暮れの部室に響いた。一瞬の静寂。キキが「はっ!」と息を呑む。


「そ、そうじゃん!来週から夏休みだよ!?宿は!?チケットは!?私、パスポート持ってないよ!?」


「ん~、落ち着いてキキちゃん。パスポートはいらないよぉ」


 みどり部長は机の引き出しから一枚のプリントを取り出した。そこには『部活動・夏季校内合宿許可願』と書かれている。


「行き先は、ここ。『学校の屋上』だよぉ」


「、、、は?」


 キキが口をあんぐりと開けた。


「え、学校?マジで?沖縄とか北海道じゃなくて?」


「予算ゼロだもん。飛行機なんて乗れるわけないでしょ」


 あおいが呆れ顔で指摘する。


「ええーっ!そんなのただの『お泊まり会』じゃん!リゾート感ゼロじゃん!」


「でもねぇ、キキちゃん。屋上ならいつでも空が見放題だよぉ。それに、、、」


 部長は悪戯っぽく笑って、声を潜めた。


「夜の学校って、ちょっとワクワクしない?」


 その言葉に、キキの単純な脳細胞が反応した。


「、、、た、確かに!夜の理科室とか!肝試しし放題じゃん!」


「あ、私、絶対やりませんからね」


 あかりが即座に拒否権を発動するが、キキはもう乗り気だ。


「よし決定!じゃあご飯はどうする!?合宿といえばバーベキューっしょ!」


「、、、校内で火気厳禁。家庭科室で調理するのが現実的」


 あおいがルールブックのように却下する。


「じゃあカレー!カレーなら文句ないでしょ!私、隠し味に『板チョコ』入れるのが夢だったんだー!」


「、、、却下。あんたの味覚で毒物を生成しないで」


「毒物じゃないもん!コクが出るんだもん!」


「ふふ、カレーいいねぇ。じゃあ私は『お肉』を調達してこようかなぁ」


 部長がポンと手を打った。


「え、お肉ってスーパーの?」


「ううん。商店街のお肉屋さんの奥さんと仲良しでねぇ。『いいお肉』が余ったら譲ってくれるって約束してるの」


「、、、部長、そのコミュ力、そろそろ怖いです」


 あかりが戦慄する。この人は笑顔一つで世界を渡り歩いていけそうだ。


「宿泊許可もこの『ペルセウス座流星群の観測実習』っていう名目で教頭先生に出せば、ハンコくれるはずだよぉ」


 部長は書きかけの申請書をヒラヒラとさせた。字は丸文字だが、書いてある内容は妙に学術的で説得力がある。これも彼女の計算なのだろうか。


「やったー!合宿だー!お泊まりだー!枕投げだー!」


 キキが机の周りをぐるぐると回り始めた。あおいも「、、、ま、機材のメンテナンスを集中的にできるなら悪くない」と、まんざらでもない様子だ。


 進路だなんだと悩んでいた空気が一気に「夏」の色に塗り替えられていく。あかりは窓の外を見た。梅雨明けの空に入道雲がモクモクと湧き上がっている。


「、、、楽しみですね、合宿」


「うん。最高の夏にしようねぇ」


 みどり部長があかりを見てふんわりと笑った。その笑顔の裏に、「最後の夏」という少し寂しい意味が含まれていることに、あかりはまだ気づかないふりをした。


 こうして天文部の『予算ゼロ・屋上キャンプ』計画が始動した。カレーのスパイスと、夜の学校の匂い。そして満天の星空が、彼女たちを待っている。

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