第079語 決断
前世のアンネが死にます。
直接的な表現は避けたつもりですが、想像力が豊かな方は苦しいかもしれません。
話を読んでくださる際は、心が回復できる何かを持っていると安心だと思います。
※自殺を助長する意図は全くありません。
苦しい。八方美人なんて、辞めてしまいたい。
そう、何度も思うのに。わたしは辞められなかった。
もしかしたら、お母さんに評価が届くかもしれないから。
……もしかしたら、お母さんに認めてもらえるかもしれないから。
お母さんとお父さんの現場を目撃してから、数ヶ月。
どうやら二人は関係性を修復したらしい。というか、わたしに妹か弟が産まれるんだって。
喜ぶべきなんだと思う。新しい生命の誕生を。両親の仲が良くなったことを。
でもそれは、わたしのことを貶していた日にできた命。その後に、修復された仲。
お兄ちゃんみたいに、手放しで喜べなかった。
お父さんみたいに、超高齢出産になるお母さんを心配できなかった。
お母さんみたいに、新しい家族を迎えられなかった。
新しい家族が産まれるよりも、わたしを見てほしかったから。
わたしは、反抗することも迎合することもできなかった。
『家族』から爪弾きにされたわたしは、話さない方が良いと思った。双方、どちらのためにも。
お兄ちゃんもお父さんも、お手伝いさんもみんな、お母さんの身体を気遣っている。だから、全ての物事はお母さんの体調が優先。
実の娘であるはずのわたしに、普段はお手伝いさんがやっているような雑務が来ても、文句は言えなかった。
渡された、古紙回収の資源ゴミ。それを纏め、資源ゴミを回収する日に出す。
あぁ、そう。ゴミをわたしの部屋に置いておけってね。わかっているよ。身重のお母さんの活動範囲内にあったら危ないって。
……わたしの部屋は、ゴミ置き場じゃないけど。
「……ノート?」
資源ゴミを纏めようとしていたら、パサリと一冊のノートが落ちた。それは何てことはない、普通のノート。学生が授業で使っていそうな、どこにでもあるようなもの。
ノートはノートで纏めようと思ったけど、あったのはその一冊のみ。ついでにわたしが使い切ったノートも捨てるかと思って、引き出しの奥に置いておいたノートを引っ張り出す。
纏めたノートの一番上に、発見したノートがある。
何てことはない、普通のノートだ。表紙に何か書いてあるわけでもないし、ゴミならば捨てれば良い。
ただそれだけなのに、わたしはそのノートが気になって仕方なかった。
「も、もしかしたら? 使えるノートかもしれないし。一冊まるまるは無理でも、使える部分があるかもしれないし?」
お兄ちゃんと違って、わたしは望むまま物資を与えられたことはない。いつも、お兄ちゃんのついで。ノートの全てを余すことなく使い、それを見せて初めて新しいノートを買ってもらえていた。
だから、自然と物を大切にするようになっている。だから、このノートだって同じ。
たかがノート一冊を見るのに、どうしてこんなに言い訳を並べているんだろう。
そう、思ったけど、どうしてもノートの中身を見るという衝動を抑えられなかった。
「……そ、かぁ……」
わたしは、力なくぺたんと座る。
そのノートは、お母さんの日記だった。
お兄ちゃんが産まれた後の幸せな日々。
家に寄りつかなくなったお父さんへの恨みを綴り、そしてわたしが産まれた理由が書かれていた。
曰く、わたしが産まれたのはお父さんが不倫しまくり三昧のとき。男親だから、女児が産まれれば家に戻ってくるだろうと。
でもわたしが産まれてもお父さんは家に戻って来なくて。まだ小さかったお兄ちゃんをお父さんが連れて、不倫相手の所へ行っていたって。
「……ごめんなさい、お母さん。わたしは産まれたときから、ダメな子だったんだね」
お父さんと口論して、お父さんが家を出ていく。そんな中わたしがぐずって泣く。だからお母さんは、わたしを世話しないといけない。
わたしがいなければ。わたしが、ぐずらなければ。お母さんはお父さんを追いかけて、ケンカして、仲直りして。もしかしたら、円満な家族になっていたかもしれない。
だから、わたしはお母さんの期待を受けられなくなった。
男親のお父さんを引き留められるほど、かわいい子じゃなかったから。
例えば、お母さんの言葉に「もっと」とついていたら。もっと美人になると思った、なら、普通ってことになる。
でもお母さんは言った。美人になると思ったと。もっと、とかそんな希望的な言葉はつかなかった。
それはつまり、わたしが不美人だということ。
不美人で、お兄ちゃんよりも出来が悪くて。無邪気に両親からの愛情を受けられるような年齢でもなくて。
わたしだけ、いらない子。
「ぅっ……っ……」
誰も来ない、わたしの部屋で声を殺して泣く。目を閉じれば、ためられなくなった涙がボロボロと流れる。
拭っても拭ってもあふれてくる涙を止めるため、わたしはタンスからハンドタオルを出す。無駄にはできないし、ティッシュじゃ、間に合わない。
目に当てたハンドタオルが、じんわりと湿っていく。わたしはそのまま、涙が止まるまで泣き続けた。
どれくらいの時間が経ったんだろう。
涙が出なくなったわたしは、極論に達した。
「……死のう」
家族ではないわたし。必要とされていないわたし。
そんなわたしが、このまま生きていることすら烏滸がましい。わたしが死ねば、残るのは円満な家族だけ。
年の離れた下の子を可愛がる兄。超高齢出産の妻を気遣う夫。そんな夫の愛を取り戻した妻。
ほら、わたしが入る余地なんてない。
わたしは、いない方が良いんだ。
極論に達したわたしは、早速死ぬ準備をする。
死のうと開き直れたわたしは、これまでとは真逆の考えになっていた。
今までは、どうにかお母さんの笑顔を見るために努力していた。お兄ちゃんのように特別になりたかったから、様々なことをしてきた。
でも、今はそんなことどうでも良い。というより、お母さんを困らせたかった。困らせて困らせて、自分がしてきた報いを知ってほしいと思ってしまった。
だから、死ぬ準備は念入りに。
わたしがなぜ死ぬのかを書いた遺書を用意し、通学鞄から学生証を取り出す。万が一風に吹かれて飛ばされちゃったらダメだから、リュックの中に硯や重しになりそうなものを入れる。
リュックの中に遺書と学生証を入れて、準備は整った。
わたしは部屋を出る。玄関は共通だったけど、誰もわたしの外出を気にしない。
ふふふ。そんな状態でいられるのも、残り僅かだ。わたしの行動を気にしてこなかった、ツケを払うと良い。
わたしは、明確に意思を持って家を出た。
向かう先は、少し離れているけど人気のある駅。いや、踏切の方が良いかも。
きちんと、わたしがどこの誰だという証拠が、他人に渡るように。
踏切の近くにリュックを置いて、それからわたしは自由になるんだ。
カンカンカンと、わたしの人生が終わる音が聞こえてきた。




