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第077語 アンネの前世①


 ――わたしは、ずっと特別になりたかった。


 でも、特別になんてなれなかった。わたしは、たった一人に認めてもらえたら、それで良かったのに。

 そのたった一人にすら、大切にしてもらえなかった。

 だから、わたしは諦めたんだ。誰かの特別な存在になることを――。




「ねぇ、おかあさん。おとうさんは?」

「知らないわよ。私に聞かないで」


 そういって、お母さんはわたしに背を向けてお兄ちゃんの所へ行く。

 大きくて広い家には、わたしが一人。耳をすませばお手伝いさんがいるってわかるけど、誰もわたしを気にしない。

 お母さんは、忙しい。出張と言って月の半分くらいは家にいないお父さんの代わりに、――家を切り盛りしていかないといけないから。

 庭には灯籠と、池と、大きな松。隅々まで手入れが行き届いていて、いつでも誰でも庭が観賞できるようになっている。


 わたし、以外は。


 わたしは、自分の生活圏以外は自由行動を禁止されていた。いや、厳密に言うと違うかもしれない。わたしが、勝手に禁じているだけ。わたしは、気にされていないから。


 話しかければ、答えてくれる。でもわたしには、お母さんは笑いかけてくれない。お兄ちゃんには、ずっと笑顔を見せているのに。


 お兄ちゃんは、跡取りなんだって。だからお母さんが尽くしているみたい。

 でもそれだけじゃなくて、お兄ちゃんは成績も優秀。二つしか離れていないわたしは、常にお兄ちゃんと比べられてきた。


「さすがは――家の跡取りの妹だ」

「――家? まあ、比べないであげようか。兄と妹じゃ、期待されるものも違うだろうから」


 お兄ちゃんと比べられることは、嫌だった。

 でもそれ以上に、期待されないことは悲しかった。

 だから、わたしは努力したと思う。かけられる言葉が、「さすが――君の妹さんね」に変わっても。


 幼稚園の頃から、ずっと。

 わたしは、ただ特別になりたかった。お兄ちゃんのように、お母さんに笑ってほしかったんだ。

 お兄ちゃんのようになりたくて、でもなれなくて。




 小学校の五年生だったか、六年生だったか。ある日、わたしは気づいたんだ。

 お兄ちゃんの後を追うばかりじゃ、結局お兄ちゃんと比較されるだけ。お兄ちゃんが挑戦しなかったことをやらないとって。


 玄関から居間に至るまで、廊下の壁や棚にはびっしりとお兄ちゃんの功績が飾られている。賞状、トロフィー、メダル。どれもこれも金色の輝きで、功績の一覧を見るだけでお兄ちゃんが優秀だとわかった。


 その一覧の中に、わたしの功績はない。

 ずっとお兄ちゃんの後を追っていたから、成績を残そうとすると意識しちゃっていた。失敗することは許されないって、緊張しちゃう。

 だからいつも、功績を残せない成績。




「やった! これで、わたしも飾ってもらえる!!」


 小学生のお正月の宿題。何てことはない、書き初め。それは自動的に何かの賞に応募するような感じのやつ。

 提出したやつが、銀賞を取った。一番じゃないけど、わたしが初めて勝ち取った賞だった。

 お兄ちゃんは何でもできたけど、字だけは自信なかったみたい。書き初めで賞を取ったことはなかった。まぁ、書き初め以外の賞で金賞だとか特別賞だとかで話題をかっさらっていったんだけど。


「ふふ。お母さん、喜んでくれるかなぁ」


 すごいじゃないと褒めてもらえるかな。

 お兄ちゃんの功績がある箇所に、わたしの賞状も飾ってくれるかな。


 小学校から帰るわたしの足は弾んでいて、手に持ったままの賞状を、何度も見直した。


「銀賞。――殿。ふふっ。わたしの名前だ」


 何度見ても、そこにはわたしの名前が書かれている。

 早く、お母さんに見せて褒められたい。笑顔を見たい。

 わたしは逸る気持ちで帰宅の足が早足になった。


「お母さん、ただいま! あのね」

「ごめんね、今は忙しいの。後にしてくれるかしら」

「あ、うん……わかった。ごめんなさい」


 今日は木曜日。そうか、お母さんが開いているお花の教室の日だ。それなら忙しいよね。

 わたしはシュンと肩を落として、自分の部屋に行く。

 わたしの部屋に行くときは、広い家の中で隔離されているような感覚になる。

 わたしの部屋にいくためだけの廊下。この場所を通るのは、わたしに用事がある人だけしか来ない。


 わたしに用事のある人なんて、この家には存在しない。

 お父さんは月の半分くらいは家にいなくて。お兄ちゃんは『跡取り』として色々な習い事をしている。お母さんは家の切り盛りと、お兄ちゃんのお世話で忙しい。

 お手伝いさんは指示されたことしかやらないみたいだし、おじいちゃんやおばあちゃんも見たことがない。


 耳をすまさなくても、お母さんがお花の指導をする声が聞こえる。そこには、生徒さんもたくさんいると思う。

 違う廊下を忙しそうに動いているお手伝いさんが見える。そろそろ、晩ご飯の準備が始まっているのかな。

 お母さんは、お花の指導をした後に必ず、生徒さん達を夕食に誘う。お手伝いさん達はその支度で忙しいんだよね。


 わかってる。わかっているんだ。

 わたしを気にかける時間が、お母さんには物理的にないんだって。




 わたしは、考えられる努力を続けた。

 字はいつも綺麗に。

 誰かから頼まれたら笑顔で引き受ける。

 誰かが困っていたら助けたり、自分の手に及ばないと判断したら迅速に助けを求めたり。

 あえて忙しくすることで、お母さんから「あのとき何を言おうとしたの?」と聞かれない寂しさを埋めようとした。




 八方美人と称されても、それがわたしだと思って信じていた。

 いつか、誰からも良い評価がもらえる素晴らしい娘さんねと、お母さんに伝わったら良いと思って。

 誰かを手伝うことが当たり前とされたけど、それがわたしの生きる道だと、信じて疑わなかった。


 でも、高校生になってから、わたしの心は打ち砕かれた。








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