意思あるコード
ep3 意思あるコード
NSA日本対策班・臨時分析ルーム(警視庁庁舎内)
暗く静かな室内で、複数のモニターがコードの流れを映し出していた。
その中央、カーラとジョシュアは黙々と“Ω-Dust”系列の暗号動態をチェックしていた。
「……やっぱり、おかしい」
ジョシュアが、モニターの一つを指差した。
「001DE、002KR、003JPはそれぞれ、事前にコード波形の“高まり”が記録されてる。ところが——」
「004JPでは、それが完全に“沈黙”したままだった」
カーラが続きを引き取った。
「まるで、発動直前に“誰か”がコードを止めたように。しかもごく自然に」
ジョシュアが唇を噛む。
「こんな“滑らかな不発”、今まで見たことない。何かが“意図的に”、しかも高度に“抑制”したとしか思えない」
カーラは隣の別画面を呼び出した。
過去3日間の公園周辺の電磁波ログ、Wi-Fiトラフィック、地下熱探知……すべて、異常なし。
「ハッキングの痕跡もゼロ。介入の“手”がどこにも見えない。だとすれば——」
「“コード遅延”。つまり、Ω-Dustは予定通り生成される“はずだった”が、直前で“躊躇”した」
「……“それ”が意思を持っているとしたら?」
カーラが静かに言った。
「意思あるコード……そんなもの、プログラムじゃない」
「もはや、意思ある“何か”がコードを使って動いている……そう考えるべきかもしれません」
ふたりの視線が、画面の左隅に点滅する「未確定コード波形ログ」の項目に注がれる。
そのラベルにはこう記されていた:
Status:Delay / Location: JP-E23 / Estimated Shift: +24~72h
「……かぎつけられたかもしれません」
ジョシュアの声は、冷静でありながら、どこか空気が乾くような響きを持っていた。
カーラが眉をひそめた。
「裏を取れる根拠は?」
「ありません。ですが、004JP地点の“沈黙”は自然すぎる。不発じゃない、“保留”です。つまり——」
「“誰か”が、こちらの監視を把握した上で、“あえて撃たなかった”」
ジョシュアは画面に映る南小春公園の俯瞰画像を見つめながら、静かに続けた。
「これまでのコード実行は、一切迷いがなかった。なのに今回は“見られている”ことを警戒した。……コードが自律的に判断したのか、それとも操る存在が察知したのかはわからない」
カーラが短くため息をつき、傍らの速水に目を向けた。
「公安側に、漏洩の可能性は?」
「ゼロとは言えません。監視ラインに関わった人間は計14名……だが、それ以前の問題かもしれない」
「以前?」
「003JP以降、LV-Ωは“こちらの動き”を監視していた。つまり我々だけでなく、NSA本体の動向までも」
ジョシュアが肩を落とした。
「……“かぎつけられた”ってのは、ただの比喩じゃなくて、本当に“見られてる”ってことですね」
カーラが言った。
「ならば、次の“発動”は、こちらの予測から“ずらされた場所”で起こされる可能性が高い」
「逆探知は……?」
「できません。“動かないことで発信源を隠す”——コードのレベルが違います。これは“次世代の亡霊”です」
会議室の奥で、速水が小さくつぶやいた。
「ならばこちらも、“見えない目”で探るしかないな」
その日、アメリカ東部時間 午前4時32分。
バージニア州アーリントン、通称“B線”と呼ばれる地下鉄区間で突如爆発が起きた。
「緊急! 全線ストップ、構内は封鎖。乗客多数負傷!」
通報を受け、現場に急行した地元警察とFBI現地支局は、即座に「テロの可能性」を含めた重大案件として対処を開始した。
現場に残されたのは、不自然なほど焼失を避けた一枚のステッカーだった。
焦げた壁にへばりつくように貼られていたそれには——
Ω-Dust-PX001US
という文字列。
コードの下には、英語でこう記されていた:
「REBOOT IS MERCY(リブートは救済である)」
NSA本部 地下第5分析フロア。
事件発生からわずか15分後、全システムが自動警戒レベルをレッドに引き上げた。
カーラの元に速報が入ったのは、東京での合同会議が終わった直後だった。
「……来たか」
ジョシュアが隣で呟く。
「しかもPX(特殊発動型)。これは、コードが“自発的に変異した”痕跡かもしれません」
カーラはすぐに東京の公安連絡チャンネルを開いた。
「速水、聞こえるか。アメリカで動きがあった。“004”をスキップして“PX001US”が動いた」
「スキップ……? それじゃ、004は“囮”だったのか?」
「可能性は高い。“004JP”を“発動するふり”で目を引き、その間にUS側で実行コードを通した」
速水が息を呑んだ。
「つまり我々は、最初から“かぎつけられただけ”じゃなく——“試されていた”」
NSA本部・国際対策指令室。
PX001USの爆発からわずか2時間後、世界の情報網は急速に“同じ暗号”に反応し始めていた。
「イギリス、GCHQ(政府通信本部)がレベル3警戒へ移行」
「ドイツ、BND(連邦情報局)もアーカイブ内の未解決案件を照合開始」
「韓国国家情報院、独自に“Ω-Dust-005”の可能性を想定した監視プロトコルを展開」
「ロシアSVR、逆探知不能な暗号通信を“文化コード”と分類し始めている」
国境を越えて、「名もなきコード」は一つの“敵性記号”として認識され始めた。
日本・警視庁地下ブリーフィングルーム。
NSA・公安・内閣情報調査室の三者合同会議が緊急招集されていた。
「今、各国がそれぞれ“Ω-Dust-005”の予測座標を洗い出しています。が……」
ジョシュアがスクリーンに映された世界地図を指さす。
「005の候補地は、もはや“すべての大都市”に広がっています。桜も、川も、公園も、都市境界も……“パターン”が分解され始めている」
速水が呟く。
「つまり、“どこでも発動可能”になった、ということか」
カーラが頷いた。
「はい。しかも“見られている”ことに順応したコードは、さらにその出現方法を変えてくるでしょう」
「つまり——005は、“もはや読み切れない”」
室内が沈黙に包まれる。
その中で木村が、小さく手を挙げた。
「でも、だからって手を止めるわけにはいかない。
……日本でまた起きる可能性も、ゼロじゃないんですよね?」
「むしろ、東京は今、“実績がある”という理由で、再び狙われる確率が上がっている」
カーラがきっぱりと答える。
場所:警視庁サイバー対策課・観測第2室(通称「ブラックルーム」)
「……今、なんて言った?」
速水が振り返る。モニター前のオペレーターが顔を上げ、緊張した声で繰り返した。
「都内8区、主に江戸川・葛飾・墨田エリアを中心に、特定周波数帯におけるノイズ干渉が急増しています」
「ノイズ?」
「はい。通常の通信障害では説明がつかない、極めて一時的で断続的な“干渉パターン”です。しかも——」
別の端末で、NSAの技術班と接続されていたカーラが続きを引き取る。
「その干渉の周波数が、003JPの発動直前に観測された“微弱同期ノイズ”と酷似しています」
ジョシュアもスクリーンを見つめながら口を開いた。
「この干渉、人工的です。しかも“対外発信”ではなく、“地中への反響”を意図したもの……いわば“逆通信”」
「通信じゃない、“呼び出し”だ……」
速水が低く呟いた。
その直後——警視庁庁舎全体に一瞬、わずかな“電圧の揺れ”が走った。
「……非常用回線に、独立したPing信号を検知。宛先不明。
内容は——“Phase005:Ready?”」
全員の背筋に冷たい汗がにじむ。
「これは……005の“確認通信”だ」
「もう準備はできてる、と言っているのか……」
「……この信号、外部からじゃない」
NSA技術官ジョシュアの声が、観測室に緊張を走らせた。
「どういうことだ?」
速水が低く問いかける。
「送信ログが逆トレースできません。ループバックで処理されていて、まるで“警視庁内”から反応が返されたように見える」
「内部に……?」
ジョシュアは指を止めずに画面を操作し、信号の最初の反応点を表示する。
「最初に跳ね返った位置、庁舎地下4階、旧暗号保管庫跡地——現在は封鎖済みの設備です」
カーラが即座に反応した。
「そこには通常、電源もネット回線も通っていないはずよね?」
「ええ。そのはずです」
と、速水が答えた。だがすぐに後ろにいる部下に目を向ける。
「公安施設部に確認を。地下4階、旧暗号庫。過去3年で出入りした技術者・作業業者すべて洗ってくれ」
「了解!」
ジョシュアが指を止めた。
「ありました。非常に小規模ですが、地磁気センサーにごく軽微な“振動記録”があります。……何かが、物理的に“開いた”ようです」
カーラの顔が固まった。
「これは……“観測装置”じゃない。おそらく“トリガー装置”だわ」
「庁舎内に、“起爆の合図”が仕込まれていた可能性がある——ということか」
速水の声が低く沈む。
静かに鳴った警報音が、薄暗い室内に警戒色を落とした。
庁舎内のすべての地下区画に対し、封鎖・検索が開始される。
速水はすぐさま上層フロアに戻り、カーラとジョシュアに報告する。
「問題は、設置された“時期”です。封鎖されてから誰も入っていないことになっていたが……」
ジョシュアが応じる。
「熱変性の程度から見て、設置は“1ヶ月前以内”。しかも、装置の中には“日本製パーツ”が含まれていた」
カーラが即座に言った。
「つまり、外部の特殊工作員が持ち込んだのではなく——“中にいた誰か”が関わっていた可能性がある」
速水が顔をしかめた。
「庁舎内部の出入り記録は不完全。暗号庫は封鎖扱いだから、監視カメラも停止中……つまり、監視されないことを“知っていた人間”だけが、これを設置できる」
「内部協力者がいる、ということか……」
ジョシュアが言いかけたそのとき、突如としてモニターの一つに警告が走る。
「副回線にログイン痕跡:ユーザーID不明 ログ認証:NSA-EXPIRED-KEY」
カーラが目を見開いた。
「これは……NSA内部でもすでに“削除されたID”が使われてる。……外部と内部、両方が繋がっている」
「“やられてる”のは日本だけじゃない……」
速水のつぶやきに、誰も反論できなかった。
警視庁・地下3階・公安内部監察室
モニターに映るのは、庁舎内部の入退室ログ。
速水とNSAのカーラ、そして捜査一課の矢島課長が、静かにその数字の羅列を睨んでいた。
「ここです」
公安の若手職員がカーソルを止める。
「暗号庫が封鎖された以後、“形式上は”誰も出入りしていません。ですが——このID」
ログに残されていたのは、3週間前に退庁済みの元・公安技術管理官の認証キー。
「すでに退職済みの人間が……?」
速水が眉をひそめると、カーラがデータを即時照合にかける。
「NSAでも確認されました。……同一人物の認証キーが、昨年1月まで本庁にアクセスしていました。ですが、このログの直後——」
「完全に姿を消している」
ジョシュアが端末越しに続ける。
「退職というより、“消された”のか、“協力したうえで消えた”のか……」