婚約者と関係を深めたくて誘拐したら自死してしまって酷いことになった。
注意!!
ちょっときつい話になってしまいましたので読まないことをお勧め致します。
身じろぐとジャリッと音がなるけれど、真の闇で何も見えない。
どうしてこんなところにいるのか理解できない。
王城で開かれる夜会に出席していて、休憩室で一息ついていたはずだった。
背後から誰かに抱きつかれたような気がして、目が覚めたらここに居た。
何があってどうしてこんなところにいるのかさっぱり解らない。
目が覚めてどれくらい経ったのかしら?
膝を抱えて冷たい石畳のような床に座っていることだけは解る。
目が慣れたら薄っすらとでも何か見えると信じていたのに、何も見えないまま時は流れていく。
真っ暗すぎて動くことが出来ない。
四つん這いになって手探りで動こうかと考えるけれど、膝をつくと多分小石が落ちていて、膝に当たって痛くて動けない。
痛みを堪えてまで動く事に意味を見いだせなくて、動けなくしている理由になっていた。
「お腹が空いたわ・・・」
耳を澄ませても何の音もしない。
音が聞こえても怖くてたまらないだろうから何も音が聞こえないことに感謝すべきかもしれない。
「コンスウェル、私を探してくれているかしら?」
コンスウェルは私の婚約者で夜会に同じ馬車で来ていた。
帰りに私がいなくてきっと心配して探してくれるはず。
「もしかして私を探してくれないなんてことはないよね?」
それほど仲の良い婚約者ではない。
互いに義務は果たしているという関係でしかない。
犯人はお父様の政敵?
一番可能性が高そうな気がするけれど・・・。
だとしたら生きては帰れないかもしれない。
怖い・・・。
お母様、お父様・・・助けて・・・。
もしかしたら私を嫌っている人が意地悪をしている可能性だってあるわよね。
人間なんてどこで誰に恨みを買っているか解らないもの。
成績のことだったり、家柄のことだったり、他にも色々恨みを買いそうなことはたくさんあるわ。
意地悪なら、私はここから帰れるはず。
大丈夫、大丈夫。絶対帰れる。
でも、誰も探してくれていなかったらどうしよう?
お父様やお母様は私が帰ってこなかったら探してくれるわよね?
私が帰ってこないことに気付くのはいつだろう?
夜会から帰ってきたか、なんて確認を取ってはくれない。
でも、メイドのカリーナなら気がついてくれるわ。
そうよ。カリーナなら帰ってこない私を心配してお父様に伝えてくれるわ。
それからコンスウェルに確認と取ってくれるはず。
二十四時にはきっと捜索が開始されるはず。
大丈夫。きっと探してくれている。
あと少し待てばどこからか足音が聞こえて光が射すはず。
お父様がきっと見つけてくれる。騎士団だっているわ。
床から冷気が這い上がってくる。
体が冷え切っていて細かく震える。
まだ十月なのに・・・真冬でなくて良かった。
思考はループしてしまう・・・。
同じことを何度考えた?
目が覚めてから一体何時間経ったのか?
いいことは何も思いつかなくて、悪いことばかり想像してしまう。
大丈夫、大丈夫。コンスウェルかお父様が助けてくれる。
大丈夫、大丈夫。私には騎士団がついている。
手の届く範囲に何かないか探してみるけれど手に当たるのは小石ばかりで寒さをしのげるようなものは何もなかった。
上下左右に手を動かしてみるけれど、手は空を切るばかりで何にも当たらない。
手を頭より上にあげたままそっと立ち上がってみる。
今までは立ち上がることが怖くて立ち上がれなかった。
もしも天井が低くて横にも狭かったら、それだけでパニックを起こしてしまうかもしれない。
閉所恐怖症とまでは言わないけれど、狭い場所は呼吸がしにくくなる。
精神的によくない時に狭いと知ってしまうと自分でもどうなってしまうか解らない。
膝を伸ばしきる前に呼吸が浅く早くなっていく。
ゆっくり深呼吸しなければ過呼吸を起こしてしまう。
ゆっくり深く呼吸することに意識を向ける。
それでも呼吸はどんどん浅く速くなる。
駄目だわ。
諦めてその場にまた座り込んで膝を抱える。
その時になって衣装に乱れがないことに思い至って、体に残る違和感に意識が向いた。
口元が少しヒリヒリする。
猿ぐつわでもされていたのかもしれない。
それ以外は体が冷えているだけで、どこにも異常は感じられなかった。
人の気を失わせる方法を考えてみるけれど、思いついたのは魔法しか思いつかなかった。
水属性があれば、体内の血液の血流を少し減らすだけで脳貧血を起こさせて気絶させることが可能と聞いたことがある。
水属性と考えて、コンスウェルの顔が思い浮かんだ。
コンスウェルが私をこんなところに閉じ込める理由がないわ。
座っていられなくなって、体を横たえる。
なるべく小さく丸まる。
呼吸に意識を向け、ゆっくりと深く呼吸する。
大丈夫、大丈夫。コンスウェルの筈がない。
どれだけ時間が経ったのかしら?
大丈夫、大丈夫。お父様が探してくれている。
お腹が空いた・・・。大丈夫、大丈夫。
誘拐された令嬢の末路はどんなものになるのかしら?
婚約破棄は間違いなくされるわよね?
何もされていなくても、何かされたと思われるのに違いない。
色々な噂がきっと流れる。それを抑える方法はない。
そう考えたらここで死んだほうがいいのだと気がついた。
生きて帰るほうがよほど精神的苦痛は酷いだろう。
そうよ。私が侯爵家の娘であっても、人の口に戸は立てられない。
生きて帰るほうが生き恥をさらすことになるわ。
お父様も私が生きて帰ることをきっと望まないわ・・・。
私は死ぬべきなんだ。いいえ、死ななければならないんだわ。
そう思った途端、楽になった。
震えていた体が収まる。
たとえお父様が見つけてくださっても、私は死ななければならないんだわ。
「ふふふふふっ・・・アハッハハハハッ!!そうよ。私は侯爵家の令嬢ですもの。生き恥をさらす訳にはいかないわ。アッハハハハハハッ!!」
笑いの衝動が暫く続いて収まったとき、私は手足を伸ばして仰向けになった。
どこにもぶつからなかった。
最後に夜会で並んでいた料理を口にしておけば良かった。
そんな事を考えながら私はまた小さく丸まって、意識が遠のいていくのに身を委ねた。
誰かに抱き起こされて目が覚めた。
「だれ?」
「ミルティアス!!気がついたのか?!」
「・・・コンス、ウェル?」
「そうだ!!無事で良かった!!」
ギュッと抱きしめられ、コンスウェルの背後に何人もの騎士がいることに気がついた。
こんな姿を晒すなんて・・・!!
どこかの屋敷の地下なのか、上階から明かりが射している。
あぁ、そうだ。私は死ななくてはならないと考えていたことを思い出す。
私はコンスウェルの腕の中から逃れて立ち上がる。
私がいた空間はとても広かった。
あんなに恐れたのに。馬鹿みたいだわ。
「ここはどこ?」
コンスウェルが口を開く。
「バリスター伯爵家の地下だ」
「バリスター伯爵?・・・どうして私を攫うの?」
「まだ調べはついていない」
「そう・・・」
私はコンスウェルが腰に下げている剣を引き抜いて、長くて自分を刺せないことに気がついて、刃の部分を握りしめた。
「ミルティアス!!何をしているんだ?!」
「ふっふふっ。せっかく見つけてもらったけれど、一度攫われた私は死ぬべきなのよ。生き恥をさらすわけにはいかないから。侯爵家の娘として成すべきことを成すだけよ」
「馬鹿なことを言うなっ!!」
私は心の臓をめがけて剣を突き刺した。
指と手のひらが切れて痛みが走った。これ以上は自分の力で刺せないことが解って、私は前へ倒れ込んだ。
剣は私の重さを受けて体内へと侵入して、心臓を突き刺して背中へと抜けていった。
私は二度と目覚めない眠りについた。
コンスウェルはミルティアスの自死を何も出来ずに見ているしかなかった。
まさか自死するなんて考えもしなかった。
助けて私に感謝させるつもりだったのに、何を間違ったのか?
ミルティアスは生き恥と言った。
そうだ、ちょっと考えれば解ることだった。
貴族の令嬢が拐かされてのうのうと生きていられるわけがないのだ。
私はなんて馬鹿なことをしたのか!
進展しない二人の関係を進めたかっただけなのに、失うことになってしまうなんて。
こんな結末を望んではいなかった。
上階から幾人もの足音が聞こえて、ハッとしてミルティアスに名を呼びながら縋りついた。
「嘘だ!ミルティアス!!」
ミルティアスの父親、ナイステリーア侯爵がミルティアスを見て、一つ頷いて「自死を選んだか」と地を這うような低い声で言った。
侯爵はミルティアスを抱き起こし、剣を引き抜く。
血が吹き出してもミルティアスが苦痛に顔を歪めることがなかったことで死んでいるのだと再認識した。
侯爵はそのままミルティアスを抱き上げて地下牢から上階へと上がっていった。
侯爵が歩いた後には血が流れ落ちている。
転がる剣を眺めて私の剣だったと思い出す。
剣を拾ってミルティアスの血が付いたまま鞘へと収める。
のろのろと階段を上がって侯爵の後を追う。
侯爵はミルティアスを抱えたままソファーに座り込んでいた。
その床には血溜まりが出来ている。
侯爵のその顔には何の感情もない無表情だった。
騎士の一人が呼びに来て侯爵が立ち上がり馬車へと乗り込んでいく。
騎士達に何か指示を出して馬車の戸は閉められ、ゆっくりと走り去った。
私も侯爵の後を追いかけようと馬車に乗りこんだ。
馬車の中で頭を抱えて嗚咽を漏らす。
「ミルティアス・・・」
馬車の揺れに無気力に体を任せている間にナイステリーア邸に着いた。
のろのろと馬車から降りてナイステリーア邸に挨拶もなく入っていく。
誰も私を出迎えず、嗚咽と悲鳴が聞こえる。
ナイステリーア夫人は侯爵が抱いているミルティアスに縋り付く。
血液を失ったミルティアスはどれほど軽くなったのだろうとぼんやり思った。
ミルティアスの傍にいつもいるメイドも、ミルティアスの足元に縋りついている。
その周りに使用人達が座り込んでいたり、立ち尽くしていたりする。
家令も直ぐ傍でミルティアスの死に顔を眺めている。
家令が私に気がついて私の下へやってくる。
「申し訳ありません。今日はどうか家族だけにさせていただきたく思います」
「私は婚約者だっ!!」
「ミルティアス様が亡くなられてはその婚約にも意味がありません。どうかご家族の心中を察していただきたく」
私が家族ではないと言われて激昂しかけたが、まだ結婚していないのだから家族ではないと自分に言い聞かせた。
私が扉から出ていくと鍵がかけられる音が聞こえた。
その音が私を拒絶しているように聞こえて無性に腹がたった。
ミルティアスが自死した光景が脳裏で何度も繰り返される。
なんて愚かなことを私はしたのか。
ミルティアスが死んだことを嘆いていたのに、いつの間にか自己保身をしなければならないことに思考の大半を持っていかれていた。
侯爵やその周りの者達は私を疑っているはずだ。
なんとかここを切り抜けなければならない。
ミルティアスが死ななければこんな大事にはならなかったのに!!
いや、私が令嬢が誘拐されたらどうなるかまで考えなかったのが悪いのだ。
どうしたらいい?
バリスター伯爵家へ戻って私とのつながりを消さなければならない!!
「バリスター伯爵家へ行ってくれ!!」
バリスター伯爵家はナイステリーア侯爵家の騎士達に取り囲まれていた。
その中を入っていこうとしたら騎士達に止められた。
「私を誰だと思っているんだ!」
「申し訳ありません。ですが、誰も入れるなと王家からの命令が出ております」
「王家が?」
「はい。この事件の裏にいる犯人を必ず捕まえよと言われております」
「コンスウェル様も一度家に戻られて着替えられたほうがいいのではありませんか?衣装が血で汚れていらっしゃいます。そのうち匂うようになりますよ」
自分の衣装を見て、その助言に従うしかないのだと握った手に力が入った。
自宅に帰り着くと父が私を待ち構えていた。
着替えることも許されずに父の執務室へと呼びつけられる。
そして昨晩からあったことを一から話せと言われた。
ミルティアスが誘拐されるところまで話すと父が私に問うた。
「で、お前が誘拐の指示を出したのか?」
「・・・はい」
「なんて愚かなんだっ!!」
父の手近にあったクリスタルの灰皿を投げつけられる。
私の胸に当たり、膝の上に落ちる。
カッとなった私は衝動的に灰皿を投げ返す。
父には当たらず後ろの本棚に当たって灰皿は床に落ちて砕けた。
あの灰皿高いんだろうな・・・。
「証拠を残しているのか?!」
「バリスター伯爵が生きています。私が送った指示書が残っているかどうかも解りません。指示書を探そうと思ってバリスター家へと引き返しましたがナイステリーアの騎士達に阻まれました」
「愚かなことの上書きをしたのだな・・・」
父は激昂せず淡々とそう言って家令のカウスを呼び私を地下牢へと入れろと指示を出した。
私は自分の護衛に連れられて地下牢へと閉じ込められた。
入浴をしたいと伝えたが着替えが一式届いただけだった。
ドルヴァンディース家としてコンスウェルをナイステリーア侯爵に引き渡すしかないと冷静な判断を下した。
婿養子に出す予定だったコンスウェル一人居なくなっても困ることはない。
ドルヴァンディースを守ることを考えなければならない。
コンスウェルの兄、エオリアキートを呼びミルティアス嬢誘拐事件の犯人がコンスウェルだと伝える。
エオリアキートがソファーに腰を落として頭を抱えた。
エオリアキートもまだまだだ。もっと鍛えないとならない。
コンスウェルがミルティアス嬢にした責任をどう取らなければならないかカウスも含めて話し合う。
コンスウェルを引き渡すことにエオリアキートが難色を示したが、引き渡さずに収める方法があるのなら教えて欲しいくらいだと言うと、エオリアキートも納得した。
直ぐにナイステリーア侯爵に手紙を認め届けさせた。
手紙の返事よりナイステリーアの騎士団が先にやって来た。
コンスウェルを引き渡し、騎士団に「愚息がご迷惑をおかけして申し訳ありません」と謝罪した。
騎士達は拳を握りしめて「伝えます」と言ってコンスウェルを連れて帰っていった。
その際のコンスウェルのみっともないことに腹を立てた。
ミルティアス嬢ですら自死するほどの覚悟を示したというのに、地下牢で死んでいればよかったのに愚かなことだと思った。
コンスウェルは父に売られたことに衝撃を受けていた。
何をしていても親子の情はあると信じていた。
だから守られると思っていた。
兄にも裏切られた。仲のいい兄弟だと思っていたのは私だけだったのだ。
母上は?母上ならきっと助けてくれるはずだ。
自分の行いは棚に上げて、父を呪い、兄を呪ってミルティアスをも呪った。
ナイステリーアの騎士団の手荒な扱いに腹が立ってしかたがなかった。
ナイステリーア家について侯爵に引き合わされた瞬間に「自死したミルティアスが悪いのだ」と自己弁護をした。
「せっかく助けたのに自死するなど愚かなことをしたミルティアスが・・・」
「口を閉じろ。私がいいと言うまで何も喋るな」
震え上がるほど侯爵と騎士団が怖かった。
「誘拐などしなくても後一年か二年で婚姻する事に決まっていたのに、どうしてミルティアスを誘拐なんかしたんだ?!」
恐ろしさのあまり声も出ない。何も返答できずにいると侯爵が続けて呪いの言葉を吐く。
「お前が死んだほうがマシだと思うほどの恐怖を味わわせてやる!!」
地下牢に父上から届けられた短剣は自死しろということだったのか!
地下牢から出る時に取り上げられたことに不思議に思っていたのだ。
身を守るために今から必要なのになぜ取り上げるのか不思議でならなかった。
父上は私に死ねと言っていたのか!
親だというのになんて酷い事をっ!
しばし父への怒りで侯爵の恐ろしさから目がそれていた。
右腕を捕まれ手を横に伸ばされる。
腕を引っ張る騎士達を見ている間に剣が私の二の腕の真ん中あたりに振り下ろされた。
意識しない叫び声が上がり痛い、痛いとしか考えられない。
すぐさま治癒魔法ではない治療を施され、私はそれから失った腕の痛みと戦うことになった。
地下牢で死なないように丁寧な治療がされ、腕を失ったことにようやくなれた頃、左腕も二の腕の真ん中で切り落とされた。
今回も丁寧な治癒魔法ではない治療を施され、私は一人でトイレもすることができなくなった。
落とされた左腕の治療が必要なくなった頃、侯爵家の地下室から放り出された。
ほぼ二年地下室に閉じ込められていた私には昔のような筋力はなく、転んだら立ち上がることもできなくなった。
道端で転んだ私は起き上がれなくてひっくり返った虫のように手足をウゴウゴと動かしているだけだった。
ようやく座る姿勢になれた時、陽が沈むオレンジ色の夕日が綺麗だった。
私はその夕日を眺めて涙がこぼれ、何としても母がいる家へと帰るんだと必死で立ち上がった。
何度も転んで立ち上がってボロボロになりながら家に帰り着いたのは翌日の昼すぎだった。
喉は渇いているし、お腹も空いた。
門番に「コンスウェルだ。中に入れてくれ」と頼んだが「入れてはならないと言われています」と断られた。
母に取り次いでくれと伝えると門番は屋敷の中に入り、父と兄を連れて来てくれた。
「父上!兄上!!」
二人に聞こえているか解らなかったが私は必死で呼びかけた。
「喉が渇きました。お腹も空いています。助けてください」
父上に抱きつこうとしたら避けられて私はその場で転んだ。
「迷惑だ。我が家の前で騒ぐのは止めていただきたい」
父がそう言うと二人は私に背を向け、門がゆっくりと閉じられた。
「父上、兄上、どうして・・・母上助けて・・・」
私は自分の家を見ながらたった二日で枯渇死した。
糞尿にまみれた私は、それは汚らしい死に様だった。