シッポのないネコ
学校から帰ると、いつものように台所から、お母さんのあいさつがわりの声がとんできた。
「宿題、早くすませなさいよー」
「わかってるよ」
恵太もいつもの返事を返す。
五時から毎週みているアニメがあるので、それまでに宿題を終わらせるつもりだった。
恵太はさっそく居間のコタツで宿題を始めた。
「テレビみながらじゃ、ダメよー」
いつものようにお母さんの追いうちがきた。
「わかってるって」
いつもの返事をする。
と、そのとき。
タマが居間にやってきて、テレビのリモコンでじゃれ始めた。
これもいつものことである。そしてこれまたいつものように、テレビが大声でしゃべり始める。
すぐさま、お母さんが居間にやってきた。
「どうしていつもこうなの。約束でしょ! 勉強しながらテレビはみないって」
「テレビ、タマがつけたんだよ」
「なにバカなこと言ってんのよ。タマがテレビみるわけないでしょ」
「だって、ほんとのことなんだからね」
「いいわけばかりして。さっさと自分の部屋でやんなさい」
お母さんは信じてくれない。
テレビを消して、さっさと台所にもどっていった。
――ほんとにみるんだから……。
これまで何度も、そんなタマを見ている。だからタマのことを、まったくネコらしくないヤツだと思っていた。
そのタマはコタツの横で丸くなっている。知らんふりを決めこんでいるようだ。
――眠ったふりをしやがって。
けりとばしたい気持ちをこらえ、恵太は二階の自分の部屋に行った。
勉強をやる気がまったくしない。
恵太は宿題をほうってベッドに寝転がった。
三カ月ほど前のことだった。
「ほら、見て! 買い物の帰りに、ネコがついてきちゃったの」
お母さんの足にまとわりつくネコ……タマに、恵太はそのとき初めて出会った。
タマは白と黒のまだらもよう。そこらのネコに比べると頭がずいぶん大きい。
で、どうしてだかシッポがなかった。
「ねえ、お母さん。このネコ、シッポがないよ」
「あら、ほんとだわ」
シッポのないネコは、お母さんの足にじゃれついていた。どことなくいやに人なつっこい。
お母さんは大のネコ好きときている。
さっそく家で飼うことになり、タマという名前をつけた。すごいかわいがりようである。
ところがだ。
タマはかげでいたずらばかりする。そのせいで恵太に、いつもとばっちりがかかった。
まったく気にくわないネコだったのだ。
――タマのヤツめ。
思い出すほど腹が立ってくる。
――とっちめる方法はないもんかな。
あれこれ考えていると、そのタマがのこのこ部屋に入ってきた。
――なにをする気だろう?
恵太は眠ったふりをしていた。
タマは壁のカレンダーに向かって座った。なぜだか今日はみょうにおとなしい。
と、そのとき、
「買い物に行ってくるんで、留守番、お願いねー」
玄関からお母さんの声がした。
お母さんがいなくなる。
タマをとっちめてやる絶好のチャンスだ。
――じっとしてろよ。
恵太はそうっとベッドからおりた。
それからお道具箱の袋をつかんで口を大きく広げると、うしろからタマの頭めがけて一気にかぶせた。
タマがすっぽり袋の中に入る。
――やったぞ!
恵太は袋を下げて庭に出た。
倉庫に閉じ込めてやるのだ。
袋の中では、タマがニャーニャー鳴いている。
倉庫の戸を開けようとしたときだった。
なにかが背中に飛びかかってきて、恵太はおもわず前につんのめった。そしてそのまま、倉庫のかどにしこたま頭をぶつけた。
――いたっ!
意識がうすらぐなか、恵太はタマとはちがうネコを見た。
その猫もやはりシッポがなかった。
恵太はなにやら話し声のようなもので気がついた。
「おっ、いま動いたぞ」
また声が聞こえる。
恵太が目を開けると、まわりに十匹ほどのネコの姿が見えた。
どのネコもシッポがなく、しかも二本足で立っている。そして、そこにはタマもいた。
タマが顔をのぞきこんでくる。
「おお、やっと気がついたな」
タマがしゃべった。
ネコのタマが口をきいた。
恵太はあわてて起き上がろうとしたが、ベルトでベッドにしばりつけられていて、手も足もまったく動かせない。
なぜか声も出ない。
――夢なんだ。
恵太は夢を見ているのだと思った。
「目をさましたようです」
タマが振り向いて言った。
「そのようだな」
まっ黒なネコがうなずく。
黒ネコは恵太のそばにやってきて、タマに向かって命令した。
「ジュン、起こしてやりたまえ」
ジュンと呼ばれたタマがうなずき、それからベッドについたスイッチを押した。
恵太はベッドごと起き上がった。
黒ネコが恵太に向かって言う。
「ここは君のいる時代から、三百万年もあとの地球なんだよ。君にとっては未来になる」
いきなりそんなことを言われたって……しかも、そう言ったのはネコなのだ。
――夢だ、これは夢なんだ。
恵太はあいかわらず夢の中だと思っていた。
正面の壁が明るくなり、そこに山や海の風景が映し出された。
「これは今の地球だよ。どうだい、君らの時代とそっくりだろう。ちがうのはこれからだ」
風景が町に変わった。
人間の姿がまったく見られない。かわりに二本足で歩く、シッポのないたくさんのネコがいる。
そこは人間とネコがそっくり入れかわった、ネコの町のようだった。
「どうしてここにいるのか、知りたいだろう。ただその前に見てもらいたいものがある」
黒ネコが手を上げた。
四匹のネコが部屋から出ていき、それからすぐに大きなガラスケースが運びこまれる。
それには人間の骨の標本が入っていた。
――あんなのにされてしまうんだ。
恵太はおもわず息をのんだ。
手足がかってにブルブルふるえてくる。
「こわがることはない。これは化石だよ」
黒ネコがスティックを使い、骨の標本をさしながら説明を始めた。
「これと同じ化石が、三百万年前の地層から大量に発見されたんだ。ところがね、この化石にはシッポの骨がないんだよ。このことは当時の地球に、われわれ同様、シッポのない動物がいたということになる」
黒ネコはここまで話すと、ふたたび部下たちに向かって指示を出した。
ガラスケースが片付けられ、銀色の丸い物体が運びこまれてきた。それは車のようにも飛行機のようにも見えた。
黒ネコが話の続きを始める。
「そこでね、このタイムマシンを使って調査をすることにしたんだよ。ただしこの場合、非常に注意をしなければならないことがある。それは過去があってこそ現在があるということだ。ヘタをすれば、今のわたしたちを滅ぼしかねないことになるからね」
黒ネコはここまで話すとひと息ついた。
――たぶんタマをいじめたんで、こんなへんてこな夢を見るんだ。
恵太は夢のせいにしたかった。
けれど、夢にしてはあまりになまなましい。黒ネコの声もしっかり耳にひびく。
――夢じゃないんだろうか?
目でタマを探した。
タマは銀色の物体のそばに立って、こちらをじっと見ていた。
「われわれは、ここにいるジュン、いや失礼。君にとってはタマという名前だったな」
黒ネコがタマを見やる。
それにこたえるようにタマは小さくうなずいた。
「かれを調査団の代表として、三百万年前の地球に送りこんだんだよ。この続きは、実際に調査に行ったジュンから話してもらおう」
黒ネコはここまでしゃべると、長いひげをゆっくりとなでた。
タマが前に進み出る。
「おどろいたよ。ボクらと君たちがそっくり入れかわっていたからね。そしてすぐに、化石の正体が君たちだってわかったんだ。君たちにもシッポがなかったからね。
ボクは町の中を歩いているうちに、もっとおどろくことに出あったよ。それは三百万年前にも、ボクらの祖先がいたことだ。
調査を始めると、ボクらの祖先は君たちのペットになっていた。で、それを利用して、ボクは君の家に入りこんだというわけだ。
たいそう都合がよかったよ。
なんといっても食べ物にこまらない。それにいろんなことがテレビでわかるからね。
ところがボクは、ひとつ大きなミスをおかしてしまったんだ。君をまだ子供だと思って、あまく見すぎていたんだよ。そしてそのことが、君をひどくおこらせることになってしまった。
でもまさか、あんなことをするとは思いもしなかったけど……。
あの日、君はボクを袋に入れて、倉庫に閉じこめようとしたね。
ところがあの日は、仲間がボクを迎えに来る日だったんだ。だから君に、最後の別れをしようと……」
タマは一気にここまで話すと、淋しそうな表情を浮かべた。
「それがあんなことになって。仲間は姿を見られてしまうし、ボクは以前から君に疑われていた。ヘタをすれば、正体を知った君が過去を変えないともかぎらないだろ。
そこでね。やむなくここへ連れてきて、君の記憶の一部を消すことにしたんだ。君にはとてもすまないと思ってるよ」
話し終わると、タマは深いため息をついた。
――夢じゃないんだ。
タマを袋に入れる。
それは恵太が現実にしたことである。
目の前で起きていること。
それが恵太には、ここにきて本当のことに思えてきた。さらに記憶が消されるという。
「心配しなくていい。記憶はほんの一部を消すだけだからね。それが終われば、君は三百万年前にもどることになる」
だから安心したまえと言って、黒ネコは部下に向かって手を上げた。
部下のネコたちが、あわただしくベッドのまわりを動き始める。
「最後にひとつ。今の地球に、どうして人間がいないかということだがね。実を言うと、まだわれわれにもわかっていないんだよ。ただ三百万年前、地球上からとつぜん消えたということだ。おそらく君たち人間に、なにか良くないことが起きたんだろうな」
ベッドが倒れる。
恵太はふたたび横になった。
「スイッチ、オン」
黒ネコの声が聞こえる。
「さようなら。元気で!」
タマの声を聞きながら、恵太の意識は少しずつうすれていった。
恵太はお母さんの声で気がついた。
「ねえ。タマ、見なかった?」
お母さんが部屋をのぞいている。
「知らないよ」
「そう、どこに行ったのかしら?」
首をかしげ、お母さんは階段を降りていった。
もうすぐ五時。
いつもみているアニメが始まる。
外では……。
タマを呼ぶお母さんの声がしていた。