六、海鮮料理と釣行計画
「お母さん、ただいま!」
そう言ってちゆるは木造の古民家カフェの戸を引いた。土間があり、そこに一段高くなっている木目の床に、テーブルと座布団が敷かれている。店は二階建てで、一階は主に食事処、二階はお茶や菓子などの喫茶スペースになっていた。
「あら、おかえりなさい。樹希ちゃん、海咲ちゃん、いらっしゃい!」
「こんにちは!」
「お邪魔します!」
奥のキッチンに続く暖簾をまくり上げ、ちゆるの母――綾音が顔を覗かせた。短く切った髪がふんわりと顔の輪郭を撫で、目じりの垂れた優しそうな雰囲気の女性だ。
「あら、ちゆるちゃんおかえり~」
「おお、古賀さんのとこの娘さんも一緒か。釣りに行ってたのか……今日は何が釣れた?」
「海咲ちゃんじゃない。大きくなったねぇ……」
店に来て昼食を食べていた人たちから、挨拶の声があちこちから上がる。
「こんにちは! 今日はアジが釣れたんだぁ~。あと樹希ちゃんと海咲ちゃんがクロを一尾ずつ釣って、私はハオコゼを釣り上げちゃって……そしたら海咲ちゃんが――」
ちゆるが笑顔で、店を訪れた地元の客人にも釣果報告している。ちゆるの物怖じしない性格やその和やかな雰囲気もあってか、彼女は引っ越してきてすぐに近所の人たちと仲良くなった。綾音の人当りの良さをそのまま引き継いだのだろう。
ちゆるの様子を微笑ましく眺めている樹希の横で、海咲は背負っていたクーラーボックスを綾音に手渡す。
「大漁ね。二階の席で待ってて、すぐに調理して持って行くから」
「忙しい時間なのに、いつもすみません」
いいのよ、と微笑み、綾音がちゆるに振り向く。
「ちゆる、樹希ちゃんと海咲ちゃんを二階に案内して」
「あ、は~い! 二人とも、こっち!」
ちゆるを先頭に、三人は靴を脱いで、下駄箱に靴を仕舞う。そのまま、店の二階へ続く階段を上った。
大きめの窓ガラスに、冬の陽光が柔らかく入り込む。綺麗に活けられた白と薄桃色の花がテーブルの中央でそっと色を添えていた。
「いつ見ても、ちゆるんのお母さんのお店はおしゃれだよねぇ」
「ん、清潔感あるし、なんか落ち着く」
「えへへ、ありがとう」
三人は席につくと、さっそく携帯電話を取り出した。携帯電話のフォルダーには今日、三人で撮った写真がたくさん入っている。写真を眺めながら、ちゆるはにやにやと笑っていた。
「楽しかったね! 次はどこにしようか!」
「近所もいいけど、少し遠出して釣りに行くのもありだよね~。外津大橋の辺りなんてどう?」
「あそこは確かにいい釣り場だけど、道路のすぐ脇だし……何より、狭いからなぁ」
「それなら、いっそ離島に渡る? 私、みさきんの家に一度泊ってみたかったんだぁっ!」
「別に構わないけど……何故に宿泊前提?」
そうしてしばらく次の釣行予定について話し合っていると、盆を手に綾音が二階へ上がって来た。
「お待たせ。まずはアジとクロの刺身の付け合わせと、アジを使ったトマトスープ、それとカルパッチョよ。ご飯は刺身と一緒にどうぞ」
「わぁ! 待ってました!」
樹希がすぐさま食いついた。まずはスープの器を手に取ると、満面に笑みを浮かべる。
「いただきます!」
「どうぞ召し上がれ」
ニコニコと微笑み、綾音はまたキッチンへ戻っていった。
「おいしい……アジってトマトとも合うんだね!」
「カルパッチョもさっぱりしてていいね。レモンをかけると身がさらに引き締まって……たまらん!」
海咲はレモンをふんだんにかけると、ほくほくと野菜とアジの切り身を頬張っている。
ちゆるはワサビを醤油に混ぜ、刺身を一口頬張る。
「ん~! 最高!」
顔を綻ばせ、そのおいしさに舌鼓を打つ。
「やっぱこういう楽しみがあるから、釣りはやめられないねぇ」
「樹希、なんかおやじくさい」
箸を進めながらも、言い合う二人にちゆるは笑みを深めた。樹希も海咲も、今にもとろけそうな笑顔で食事をしている。とても幸せそうな顔だ。
二人のこういう顔、大好きだなぁ……。
ちゆるは二人の笑顔をじっと眺めながら、グッと拳を固めた。
「よし、決めた!」
唐突に言ったちゆるを、樹希と海咲が同時に振り向く。
「ん? 何が?」
「……?」
首を傾げる二人に、ちゆるはブイサインを示す。
「私、やっぱり将来は料理人になって、自分の店を持つよ! そんでもって、釣り人さんが持ち込んだ魚をさばいて料理して提供するの!」
ちゆるは満面に太陽のような晴れやかな笑みを浮かべた。
「私、釣りがすごく楽しい! でも、同じだけ色んな人が嬉しそうにしている様子が好きなんだ! だからこの町でとれた食材を使って、色んな人を幸せにしたい!」
「あはは、ちゆるんはいつも唐突だなぁ」
「……いいんじゃない? ちゆるならきっとやれる気がする」
そう言って微笑んでくれる二人に、ちゆるは満面に笑みを浮かべた。
「そうと決まれば、来年の年明けにも釣り、行こう!」
「あはは、単に釣りに行きたいだけじゃん!」
「……さすがに年明けは、寝正月したいなぁ」
楽しそうに笑い合う三人の様子を、料理を運んできた綾音が微笑みながら見守っていた。
「三人ともお待たせ! アジとナス、トマトのハーブ入りパン粉焼きとクロと野菜のあんかけよ」
「待ってました!」
三人が目を輝かせて一斉に振り向いた。
冬の佐賀県玄海町。
塩の香に混ざって、魚の焼けるほんのりと香ばしいにおいが空気の中に溶けて消えていった。
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