五、三島の釣果
ちゆるが釣ったアジを皮切りに、そこからは奇跡的なアタリの連続だった。
網を手にした樹希が、海咲を振り返る。
「すごい、みゆきん! 立派なクロだよ!」
「んっ! いいね!」
興奮で顔を赤らめる海咲と、嬉しそうに歯を見せながら笑う樹希。その横で、樹希の釣り竿を託されたちゆるが目を白黒させている。
「樹希ちゃん、竿! 引いてるよ!」
「え、わわわ……ありがとう、ちゆるん!」
「ちゆるも、引いてる! 巻いて巻いて!」
「え? ひえぇええぇ……っ!?」
二人が慌ててリールを巻いていき、魚を釣り上げることに集中する。
海咲は釣り上げた魚を、あらかじめ氷と海水を入れておいたクーラーボックスへ放り込む。氷締めと呼ばれる方法で、これで小魚を即死させ、身の鮮度を保つ。
「樹希、ナイフ借りるよ!」
「どうぞー!」
先程釣ったクロは大きいので、海咲は魚の口をフィッシュグリップで挟んで固定する。樹希が持参したナイフを手に、海咲はクロのエラの横にざっくりと切り込みを入れた。クロが痙攣したように全身を小刻みに震わせる。
「よし……」
そのままナイフでエラを取り出し、魚の身を傷つけないようウェットティッシュで尾を包む。そこを手で掴んで魚の頭を下に向けるようにして持ち上げた。こうすることで、魚の血が身の中へ入るのを防ぐ。あらかた血が抜けると、海咲はあらかじめ用意しておいた海水入りのバケツにクロを浸した。
「うわぁ、小さい魚! これ、カサゴ? なんか可愛い……」
ちゆるの歓声に、海咲と樹希が同時に振り返った。
ちゆるが釣り上げた魚は小さいが、全身が赤く、背に立派な棘がある。
サッと海咲と樹希の顔から血の気が引いた。
「ちゆる、その魚に触らないで!」
海咲の鋭い声に、魚へ手を伸ばしかけたちゆるがビクリと全身を震わせる。
「海咲ちゃん? どうし――」
「ちゆるん、それはカサゴじゃなくてハオコゼって言うの。その背中にある棘に毒がある、危険な魚なんだよ」
戸惑うちゆるに、樹希が説明した。その間に、海咲は手にグローブをはめてフィッシュグリップを掴む。フィッシュグリップでハオコゼの胴体をしっかりと挟み、慎重にハオコゼを釣り針から外していく。
「そのハオコゼって魚、毒があるなら食べられないの?」
残念そうにしているちゆるに、海咲は少しだけ困った顔になった。
「毒針の処置をしっかりすれば、から揚げとかにして食べられる。けど、締めるときに背びれの毒針を切り落としたりする必要もあるし、万が一その時に魚が暴れて毒針に刺さったら大変だから、大人が傍にいないときは海に帰すようにってお父さんに言われてるんだ」
「そっか……うん、わかった。海咲ちゃん、ありがとう!」
すぐに気持ちを切り替えて笑うちゆるに、海咲はホッと表情を和らげた。フィッシュグリップでつかんだハオコゼをそのまま海へと放り投げる。
「ハオコゼは堤防や湾内での釣りではよく釣れる魚だから、覚えておいてね」
「うん!」
「みさきん、こっちにも網ー」
「はいはい」
樹希が釣り上げたクロを見せながら嬉しそうに笑う。海咲もフィッシュグリップを手に、樹希が釣り上げたクロを締めにかかった。
「ふわぁ……なんか急に静かになったね」
波が過ぎるように再び静けさが戻って来る。地面にへたりこんだちゆるが大きく息を吸った。
「釣り堀とは違って、魚が食いついてくるタイミングが読みづらいからね」
海咲も樹希を手伝って、釣った魚を締めていく。
「どれくらい釣れた?」
ちゆるが作業中の二人の脇から覗き込む。クーラーボックスにはアジが十尾、クロが二尾だ。どれも締めた後に、ビニール袋に丁寧に包まれて氷の上に乗せられていた。
「なかなかの釣果だね」
「ま、冬場でこれならいい方か!」
海咲が満足そうに頷いている。樹希も小さく息をつくと、軽く肩をすくめた。
「この辺、けっこうアジが釣れるんだね」
「ああ、それは最近の水温が例年より高めだったからだよ」
「え、アジって普段から湾内にいるんじゃないの?」
目を丸くしたちゆるに、海咲は小さく笑いながら首を振った。
「アジは四季に合わせて、外洋から湾内を旅する回遊魚なんだよ。アジって一般的にはマアジのことを差していて、その中でも黒っぽい身体の『黒アジ』と黄色味がかかった『黄アジ』の二種類がいる」
黒アジも黄アジも、マアジには変わりないが、黒アジは黄アジよりも回遊性が強く、アジ釣りの主なシーズンである初夏から晩秋を逃すと豊富な動物プランクトンを追い求めて、東シナ海から北上を続けてしまう。対して黄アジは岩礁帯付近に身を潜め、餌を活発に捕食する時間帯にのみ、ごく狭い範囲の水域をゆっくり回遊する性質を持っている。海藻の色に近い体色は、外敵から身を守るために藻に身を隠すことに適しているためだ。
「アジは水温が十八度以上になる季節で産卵をするから、シーズンオフでもアジを釣りたいなら水温が比較的高い地域で、さらに時間帯も日の出か日の入りの時間を狙って釣るといいね」
「へー、アジって簡単に釣れるイメージあったけど……そうじゃないんだ!」
「海中環境の変化に敏感な魚だから、釣り場の環境や時間帯、また潮汐や年周期などをこまめに分析して、釣り人同士の情報交換も欠かせない。なかなか手強い魚なんだよ。地域によって黄アジが定着している釣り場もあるから、そういうところに釣り人は集まる。そういった場所を狙って行けば、ソロで釣り場を探し回るより、ずっといい釣果が見込めるよ」
海咲はクーラーボックスの底にある栓を抜き、海水を流し出す。クーラーボックス内の海水が全て抜けると、再び栓をはめて自分の釣り具の片付けに入った。すでに釣り具を片付けたちゆると樹希は手分けしてバケツで波止に海水をかけて回り、血抜きした箇所を重点的にブラシでこすっていた。
「さ、二人とも、ゴミ袋は持った?」
「うん!」
樹希の確認に、ちゆるがはりきってゴミ袋を広げる。海咲はクーラーボックスを背負ってくれているので、ゴミを拾うためのトングだけを手に持っていた。先程からカチカチ鳴らしている。
「さ、ゴミ拾いしながら帰るよ! 美しい海の環境は一日にしてならず!」
「ならず~!」
三人はゴミ袋を片手に、ちゆるの家を目指して波止を後にした。
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