第七話
佐々木家のリビングには、それなりの静寂がおりていた。
とりあえずその場から一時離脱した圭太郎は、キッチンで
簡単な昼食を作っている。
どうしてこんな事になっているのか。
事の発端は、あの喫茶店ジュテームでの、愛の言葉だった。
エンジェルレッスン 第七話
『皆で勉強会』
「勉強会をしましょう」
「ふへ?」
もぐもぐと(初めて食べるらしい)ケーキを口に頬張りながら、
きょとんと首を傾げるエリス。
だが、首を傾げたのは圭太郎達も同じ事。
「勉強会って……誰かの家にお邪魔して、勉強するのか?」
代表して尋ねる圭太郎に、満足そうに頷く愛。
「高校に入って、随分勉強も難しくなってきたわ。この
危機的状況を回避するには、皆で力を合わせなくては
いけないのよ」
「な、なんだって〜!?」
一人ノリ良く声をあげるのは修一である、さすが友人。
「というわけで、今度の土曜日、または日曜日に
ここにいるメンバーが集合しても大丈夫そうな人、挙手」
その言葉に、最初は誰も手をあげようとしなかった。
それはそうだろう、土日といえば休日であり、大抵の
親はそこで仕事が休みとなる。
そんなタイミングでこの人数で押し掛けてしまえば、
迷惑極まりないのは目に見えていた。
「まあ、普通挙手しないわよね。じゃあケイの家に決定」
「は?」
と、何故かいきなり圭太郎の顔を見つめながら、実に
楽しそうにそう告げる愛。
ちょっと待て、と抗議の声をあげようとする圭太郎だが。
「確かケイの家って、両親とも殆ど留守してるんでしょ?
この人数で勉強会する会場としては最適じゃない」
「ぐっ……そう言われればそうなんだが」
確かに、佐々木家の両親は不定期に家をあけるし、
しかもその期間は数か月とか、とんでもないものになる。
更に今回の留守に限っては『一年は戻れないかもしれない』
という謎の言葉と共に、両親は仕事に向かったのである。
「いいじゃないですか圭太郎さん。皆さんと一緒に
お勉強、しましょう」
最後にエリスが、満面の笑みで圭太郎に言う。
今更だろうがくどかろうが言わせてもらうと、エリスは
日本人離れした美人なわけであって。
「……わ、わかった」
その笑顔に負けて、頷いてしまう圭太郎なのだった。
そして日にちは過ぎて、あっという間に土曜日。
妹のミキは小学生なので重要なテストなんてものが
あるはずもなく、優雅に午後の休日を友達と楽しんで
いるようだった。
午前中だけの授業も終わり、いつものメンバーは
一路佐々木家を目指して歩き出した。
それから十分後。
リビングのソファに思い思いに陣取りながら、教科書と
ノートを広げて睨めっこをしているエリス達の姿が
出来上がったわけである。
ちなみにキッチンに逃げ込んだ圭太郎は昼食を作っている。
「片手間に食べられるもので、サンドイッチかな」
呟きながら冷蔵庫を見ると、具材は揃っている。
サンドイッチという料理はそれほど手間をかけるものでは
ないために、あっという間に出来あがってしまった。
「ほい、簡単なものだけど昼食」
「あ、ありがとうございます圭太郎さん」
ペコリと頭を下げるエリスに、いえいえと微笑みかける圭太郎。
テーブルの中央にサンドイッチの乗った大皿を乗せると、
くいくいとズボンの裾を引っ張られる感触があった。
何だろうと見降ろしてみると、そこには先程から一言も
言葉を発していないコジロウの姿が。
どうやら、コジロウもご飯が食べたいらしい。
「わかったわかった、ちょっと待ってろよ」
言いながら、再びキッチンへとコジロウを伴って戻って
行く圭太郎。
キッチンに辿り着いた途端、コジロウは口を開いた。
「今日は苦難だ……いつまで大人しくしてないと
いけないんですか、ご主人様?」
「皆が帰るまで……そうだな、六時か七時ってところだろう」
時計を見ると、あと四時間以上はありそうだった。
「はぁ……僕もあのちび牛妖精みたいに自由に喋りたい」
「まあ我慢してくれ、今日は特別に缶詰もつけるから」
その言葉に、嬉しそうに尻尾を振るコジロウ。
所詮は犬といったところか、三代欲求にとても素直だった。
コジロウの餌を用意したところで、ようやく圭太郎も
自分のいたソファに座り込むと、目の前に放置された
ままになっていた教科書とノートを見つめる。
今やっている教科は、数学だった。
見るとエリス以外、全員数学の勉強をしているようで、
皆苦手教科は一緒なのかと思わず苦笑する圭太郎だった。
「あ、あの圭太郎さん」
「ん? どうしたエリス?」
圭太郎が問い返すと、おずおずと英語の教科書を
広げて見せるエリス。
「ここの問題の、この文法なんですけど……まったくわかりません」
「ああ、ここのはね……」
言いながら、自分で作ったサンドイッチに手を着ける圭太郎。
サラサラと文法の日本語訳を、エリスのノートの片隅に書き付けた。
「こういう風になるんだ。わかった?」
「はい……あの、もしかして圭太郎さんって、英語得意なんですか?」
「英語だけじゃないわよ」
そう言葉でエリスに返したのは、圭太郎ではなく愛である。
「ケイってば、暗記系のものはかなり強いんだから。数学みたいに
応用とか引っかけがあるのは、逆に苦手みたいだけどね」
「そういう高峰だって、暗記ものばっかり得意じゃないか」
「失礼ね、ケイほど凄くないわよ」
それはもしかしなくても、自分を卑下しているのではなかろうか。
やれやれと溜息をついた圭太郎は、改めて自分の教科書に
視線を戻す。
「……ええっと」
早速、一問目からつまづいていた。
応用問題でもないものに、何故に数学という教科はこんなに
複雑怪奇な数字と記号の羅列で成り立つのだろう。
そう思いながら、今度は逆に圭太郎がエリスに声をかける。
「なあ、エリス……この問題なんだけど」
「はい?」
「スマン、わからない」
「そんな問題でつまづくなんて、重症だよ圭太郎」
修一のそんな言葉は無視して、教科書を見せる圭太郎。
暫くじっと見ていたエリスは、笑顔で圭太郎に一言。
「わかりません」
『え?』
その場にいた全員(キッチンのコジロウ含む)が
表情を固まらせていた。
「だって私、こんなかっことかXとかが出てくる問題、
やったことすらありませんから」
「わ〜わぁ〜!」
人間としての問題発言をサラリとしてのけたエリスの
声にかぶるように、慌てて大声をあげる圭太郎。
「ど、どうしたのよケイ?」
「何大きな声出してるわけ?」
そんな圭太郎の様子に、首をかしげる愛と修一。
「あ……い、いやなんでもない、なんでもないから
ちょっとトイレ」
言いながら、エリスの近くにいた『そいつ』を
摘み上げると、さっさとリビングを出て廊下へと
やってくる圭太郎。
声がもれないように、小声で『そいつ』早い話が
ムサシに問いかけていた。
「なあ、エリスの学力ってどのくらいのものなんだ?」
「いきなり摘み上げておいて、第一声がそれかよ」
悪かったから、と謝りながら先を促す圭太郎。
やれやれと溜息をつきながら、空中に浮かびあがった
ムサシが考え込む仕草をする。
「確か、人間界で言う中学? の学力ぐらいは
あった……はずだったんだけどな」
「……はずだった、というと?」
「いや、エンジェルレッスンの時、エリスはいっつも
寝てたからさ」
「は?」
知らない単語が出てきて、首を傾げる圭太郎。
それに気付いたムサシが説明してくれた。
「エンジェルレッスンっていうのは、人間界で
いうところの学校の授業みたいなもんだよ。
で、エリスはその授業中、ずっと居眠りしてたから」
「……だから、中学生並みの学力は持ってる『はず』と」
「まあ、そういうことだ」
あははと、お互いに笑うしかない状況だった。
なるほど、ムサシの言いたい事は大体わかった圭太郎。
要するにエリスという見習い天使は、ある意味
落第寸前の成績の見習い天使なのだろう。
「ちなみに、実際のエリスの学力がどれくらいかは、
いっつも通知表を見せてくれなかったからオレにはわからない」
「もういい、ありがとうムサシ」
「いやいや、お役に立てたようでなによりさ、オレは」
嫌な方向にだけどな、と心の中で付け足す圭太郎とムサシ。
ようやくリビングに戻ってきた圭太郎を見て、きょとんと
首を傾げる修一と愛。
「どうしたの圭太郎? なんか顔色悪いよ?」
「もしかして、普通のサンドイッチの中に紛れてシュウ用に
作っておいた毒入りサンドイッチを食べちゃったとか?」
「いや、それ人としておかしいからな高峰」
そんな事を言いあいながら、ソファに座る圭太郎。
「ん?」
横を見ると、不思議そうな顔でエリスが圭太郎を見ていた。
そして、六時を回る頃。
「それじゃ、また学校でね、ケイ、エリス、ミキちゃん」
「ばいば〜い」
五時過ぎには帰ってきていたミキも一緒に、修一と
愛を玄関で見送る。
それから玄関の扉を閉めて施錠すると、未だに
ソファに座ってうんうん唸っている人物のところへと
歩いてゆく圭太郎。
ミキもその後をついてきていた。
「なあ、エリス」
「はい?」
英単語と格闘を続けていたエリスの視線が、
圭太郎へと向けられる。
覚悟を決めて、圭太郎は口を開いた。
「お前……エンジェルレッスンの時は殆ど
居眠りしてたそうだな」
「どっ、どうしてそれを!?」
ガガーンと、背景に文字でも走っていそうなほどに
うろたえた様子を見せるエリス。
どうやらムサシの言っていた事は間違いないらしい。
「エリス、お前の得意教科って何だ?」
前に苦手教科は英語であると、麗翼高校に転校して
きた時には聞いていた圭太郎。
ならば、得意教科は何だろう。
「……え、えぇ〜っと」
視線を宙空へと彷徨わせながら、気まずそうに
声をもらすエリス。
これはもう確定してもいいだろう。
内心で溜息をついた圭太郎が口を開く。
「それじゃあ、今からする俺の質問に、イエスかノーで
答えてくれ」
「は、はいぃ」
最早諦めの境地なのか、情けない声でそう答えるエリス。
「じゃあ質問だ……得意教科は無い?」
「…………イエス」
たっぷりと間をあけて、そう答えてくれるエリス。
「はぁ……やっぱりな」
「エリスお姉ちゃん、お勉強苦手なの?」
純粋無垢な小学生の瞳、つまりミキの視線と問いかけを
受けて、うっと言葉につまるエリス。
「これじゃあ天使の試験以前に、今度の期末試験で
赤点確定だな」
「あ、赤点というものになると、どうなるんですか?」
「追試、つまり追加の試験の嵐」
はぅ、と言葉を詰まらせて驚愕のポーズをとるエリス。
わざとポーズしているわけではないだろうが、
エリスがそうしている姿はとても見ていて面白かった。
だが、今は面白がっている余裕などない。
「いいかエリス、今日から日曜日まで、俺が教えられる
範囲でみっちり勉強を教えてやる」
「え……みっちり?」
「覚悟しておけよ」
言いながら、じりじりとエリスの傍へと
近づいてくる圭太郎。
「あ、あの、圭太郎さん……目が怖い」
「お兄ちゃんね、授業中に寝る不真面目な人が
何よりも嫌いなんだって」
ミキの言う通り、学生の本分を居眠りで過ごす存在を
圭太郎は許さない主義である。
なので、圭太郎にとって不真面目に該当するエリスは、
そりゃあもうこれでもかってくらいぴったりと
矯正の道を歩まされるわけで。
「い、いやああぁ〜!?」
それから日曜日まで、圭太郎の教授によるエリスの
猛勉強の時間が始まるのだった。
ちなみに、その現場を見ていた二匹の犬と妖精は
こんな事を言っている。
「ご主人様、やっぱり立派です」
「だな。さっすがリーナ様がエリスの試験会場として
選んだ生活環境なだけある」




