第三話
見た目は牛……でおそらく間違いないだろう。
二本脚でしっかりと立つが、特徴的な鼻といい角といい、
おそらく牛に違いなかった。
どうして断定できないかというと、その存在がまるで
デフォルメされたみたいに可愛らしかったから。
ぬいぐるみのような、手の平サイズの牛っぽいそいつ。
それはどうやら、天使達の間で言うところの、妖精という
存在らしかった。
エンジェルレッスン 第三話
『エリスとムサシと今後』
今日の夕食は、家にあったあり合わせの野菜や肉を炒めた
簡単なものをメインに、冷奴や青物など、適当なものにおさまった。
とりあえず食事にしてから、会話をすることにした圭太郎。
「いただきます」
圭太郎のその言葉に、ゴールデンレトリバーのコジロウも
合わせるようにいただきますを言い、飯皿に盛られたドッグフードに
口をつけた。
「それでお兄ちゃん、この人だれ?」
思えば、食事の時まで我慢しろと言われただけで、よくこの
妹は我慢していたものである。
圭太郎の妹、佐々木ミキは何も話を聞いてなかったので、エリスが
何者なのか、どうしてコジロウが喋るのかなどの事情は全く
聞かされていないのだ。
よく出来た子とは、こういう子の事を言うのだろう。
「ああ、俺から説明する……って言っても、信じられないだろうけど」
「大丈夫だよ。お兄ちゃんウソついたりしないもん」
ミキのその言葉は当然として、純粋な笑顔がそこにはあった。
信じて疑わない妹の眼差し。
こういう人種は失わないようにしたいなと心の中で思った圭太郎は、
ようやく口を開く。
「実は……そこにいる人はエリスって言って、人間じゃないんだ」
「人間じゃない?」
「そう、らしい……天使なんだと」
瞬間、ぱぁっと花が開いたみたいに嬉しそうな顔になるミキ。
「お姉さん、天使なの?」
「はい、そうですよミキちゃん」
本当に、たったこれだけの会話で信じ込んでしまったらしい。
ミキは隣に座るエリスにきゃっきゃと騒ぎ始めて、食事どころでは
なくなってしまった。
「こら、話は終わってない。あんまり騒ぐな」
「う……ごめんなさい」
だが、兄である圭太郎がそう一喝いれると、大人しく食事に
戻るミキだった。
「へぇ……ミキちゃん、圭太郎さんの言うこと聞いて、良い子ですね」
「えへへ」
嬉しそうにしているミキは無視して、話を続ける圭太郎。
「それでコジロウについてだが、エリスが天使である証明のために
喋れるようになってしまった」
「改めてよろしくね、ミキ様」
「うん、よろしく〜コジロウ」
この事実もまた、すんなりと受け入れるミキ。
最近の小学生は皆こうなのかと、詐欺には気をつけるように
考えた圭太郎だったが、今言うべきことはそれではない。
「でな、ここからが本題なんだが……エリス、暫くうちに
泊まることになったんだが」
「ホント!?」
ぐいっと身を乗り出して、テーブルを挟んで真正面にいる
圭太郎の顔を覗き込むミキ。
「顔近いって、食事時はお行儀良く」
「あ、ごめんなさい……でも、本当にお姉さん、うちに
お泊りするの?」
「はい、よろしくお願いしますね」
エリスのその言葉に、更に笑顔が増すミキ。
「うん! あ、じゃあお部屋はあたしと一緒がいい」
「ミキちゃんのお部屋ですか? でもそれじゃあお邪魔に……」
「い〜のい〜のっ、一緒の方が嬉しいもん」
と、現時点では最高権力者であるはずの圭太郎を差し置いて、
女の子二人で勝手に話が盛り上がって行く。
溜息をついた圭太郎が、視線を横でドックフードを
食べているコジロウへと向ける。
「女って、三人よらなくても姦しいんだな」
「仕方ないよ。ミキ様は年上の人間が大好きだからね。
良い例があなたですよ、圭太郎様」
「俺? 別にミキには普通に接してると思うが」
「それを素直に受け止めることが、ミキ様にはできる。
ミキ様はそういう人間ですから」
よくはわからないが、とにかくミキは素直らしいと
コジロウは言っているようである。
一応納得しておくことにした圭太郎は、黙って
食事を再開させた。
食事も終えて、食器も洗い終えて食後のお茶を飲んでいる頃。
「それで、試験っていうのは具体的に何をするんだ?」
ようやく現実を受け止めてきたようで、圭太郎がそんな
積極的な質問を、目の前のエリスに投げかけていた。
ちなみにエリスはといえば、ちゃっかりとミキと打ち解けた
らしくテレビを見ながら一喜一憂している。
「はい?」
だから、圭太郎のその言葉は最初、聞こえてなかったらしい。
やれやれと溜息をつきながら、同じ質問をする圭太郎。
「だから、天使になるための試験っていうのは、具体的には
一体何をするものなんだ?」
「あ、それで思い出しました」
言うなり、先程からずっと会話に参加していなかった、
部屋の隅にうずくまっている物体の元へと向かうエリス。
そして、優しく言葉を投げかけた。
「忘れていたわけじゃないのよ、本当に。ただ、最初の
試験だったから緊張してて、とにかく第一段階が成功したから、
それで嬉しくてつい……」
「……ぐすっ」
その物体、エリス曰く妖精はそれでも機嫌が直らないらしく、
部屋の隅で拗ねていた。
「ねえねえお兄ちゃん、あの可愛いのは?」
「ああ、話によるとムサシ……って名前の妖精?」
「へぇ……牛のぬいぐるみさんみたい」
言われてみれば確かに、牛をイメージしたぬいぐるみに
見えなくもないだろう。
やれやれと溜息をついた圭太郎は、ソファから立ち上がると
エリスの傍までやってくる。
「おい、ムサシとかいう妖精」
「……な、なんだよぅ」
拗ねてますと言葉で表現している、そんな仕草だった。
「いつまでもいじけてないで、お前からも何か教えてくれ、
そうじゃないと普通人間の俺達がついていけない」
「そんなの、エリスに聞けばいいじゃないかよぅ」
「このエリスが、しっかり説明できると思うか?」
その言葉に、押し黙ってしまうムサシと呼ばれている妖精。
「ちょ、ちょっとムサシ、どうしてそこで黙っちゃうんですか?」
「だってエリスって、昔から口下手だったじゃない」
どうやらこのエリスとムサシは、昔からの縁があるらしい。
言われて口籠ったエリスを見て、やれやれと溜息をつくムサシ。
「しょうがない、なんか一人でグレてるのもバカらしく
なってきたし、オレから説明してやるよ」
と、羽もないくせにピューと空中に浮かびあがるムサシの身体。
「うお、飛んだ!?」
「ホントに妖精さんみた〜い!」
そんな様子を見て驚く圭太郎と、素直に喜ぶミキ。
リビングのテーブルに着地したムサシは、まず圭太郎に視線を向けた。
「で、正式な天使になるためにどんな試験をするか、って話だったよな」
どうやらあんな状態でも、圭太郎の話は聞いていたようである。
コホンと咳払いをしたムサシが、説明に入った。
「試験内容は至ってシンプル。この町に限らず、様々な人間と交流を
深めて仲良くなること、だな」
「それと天使になれる事と、何の関係があるんだい?」
口を挟んだのは、犬のコジロウ。
「天使になると、事故や事件を未然に防ぐことを大前提にした
仕事をしなくちゃいけない。そのためには、まず人間を好きに
ならなくちゃダメなんだよ」
「なるほど……ただのいじけるだけのチビだと思ってたのに、
案外頭いいんだね」
「……お前、オレにケンカ売ってるだろ犬?」
何やら険悪になりかける、コジロウとムサシの間の空気。
まあまあとエリスと圭太郎でお互いを落ち着けると、どうやら
その場はこれでおさまったようだった。
「フンッ、つまりはこういうこと。それでオレは、エリスの
監視役としてついてきたわけだ」
「なるほど〜」
わかってるのかわかってないのか、物凄く大袈裟に納得の
表情を作るミキ。
こういう場合、絶対に妹はわかっていないと、兄として
圭太郎は知っていた。
「期間はどのくらいなんだ、ムサシ?」
「半年。だから今から数えると、12月だな」
ふむ、と考え込む圭太郎。
佐々木家の両親がいつ帰ってくるかわからない状況だが、
例えあの両親がエリス達と遭遇したとしても、笑って
流してくれると思う。
そのぐらい、現実というものにいい加減な親だと、
圭太郎は熟知していた。
それを踏まえての、半年間のエリス……厳密な言い方を
すれば、女の子と一緒の生活。
「(って何を考えてるんだ! 女の子って、ミキだって
そうだったし、別に問題無いじゃないか!)」
エリス自身も、環境が良かったから佐々木家に
お世話になると言っているのだ。
ここで圭太郎がそういう意味の異議を申し立てても、
今更だと思われる。
咳払いをして思考していた事を誤魔化すと、再びテレビに
興味を持っていかれそうになっていたエリスに言う。
「えっと、エリス」
「はい?」
「今日から半年、ってことらしいから……その、よろしく」
後半の声は、ボソッとした聞き取りづらいものになっていた。
そんな圭太郎の言葉に、嬉しそうな表情を作ったエリスが
片手を差し出す。
「よろしくお願いしますね、圭太郎さん」
「……え?」
片手を差し出された事の意味がわからず、困惑顔に
なってしまう圭太郎。
「握手でしょ、ご主人様」
コジロウの言葉に、ようやくその意味を飲み込んだ圭太郎が
おずおずと片手を出す。
「えいっ」
「うわぁっ?」
その手を半ば無理矢理に掴むと、楽しそうに手をブンブン
振り回しながら握手をするエリス。
突然の事に驚いてエリスの顔を見て……そして暫く、
圭太郎の思考回路は停止していた。
改めて言う事になるが、見習い天使と自称するエリスは
とびっきりの美少女なのである。
そんな女の子の無邪気な笑顔が目の前にあって、しかも
最後には自分に視線を向けてくれて、また最高の笑顔を
向けてくれる。
男の子として、こういう仕草にドキドキしないわけには
いかなかった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「男なんざ、皆オオカミっていう実例だよ」
「チビ妖精、ミキ様に妙な事を吹き込まないでください。
あと、ご主人様を悪く言う事も許しません」
「なんだと〜ただの犬のくせに」
「いいえ、僕にはゴールデンレトリバーという由緒正しい
血統があるのです。そこいらの野良犬と同じに
してもらっては困りますよ」
「ま、まあまあムサシ、コジロウもケンカしちゃダメだよ」
一生懸命に二匹の仲裁をしているミキだが、彼女には
ちょっと荷が重い役割のようだった。
徐々に険悪になるムサシとコジロウの事など目もくれずに、
一人は無邪気な笑顔を、もう一人は見惚れた表情を
している二人。
そして、二人の握手をしていた手が離れる。
「さてと、それじゃあ私お風呂に入りたいんですけど」
「あ……う、うん、もう入れるようにしてあるから。
ってしまった、替えの服が無い」
「それなら問題無いんじゃね?」
圭太郎達のやりとりに、ムサシが口を挟む。
「ムサシ、問題無いってどうしてですか?」
「いや、この圭太郎のワイシャツとか拝借すれば、
パジャマにもなるし一石二鳥だろ」
「えっ!?」
驚きの声は、当然圭太郎のもの。
「あ、それは良いアイディアですね。では早速」
「お風呂はこっちだよ、お姉さん」
「ちょ、ちょっとエリス!」
圭太郎の言葉が聞こえた様子も無く、さっさと風呂場へと
ミキと一緒に行ってしまったエリス。
呆然と立ち尽くす圭太郎に向って、残された二匹が口を開く。
「男の夢ってやつだな。このこの」
「ご主人様に限ってそんなことはありません。着替えの件は
今度の日曜日の買い物でなんとかしましょう」
そんな妖精と犬の会話を、どこか遠くで聞いていた
圭太郎だった。




