第一話
事故や事件に始まる、人々のトラブルの数々。
それらは日々増大の道を歩んでおり、ある意味裏から見れば
人間社会は混沌としているのかもしれないだろう。
だが、それを阻止する存在がいるとしたら。
現に少年の目の前には、それを自称する少女がいるのである。
……何故かダンボールの中にすっぽりおさまっていたが。
エンジェルレッスン 第一話
『佐々木圭太郎』
私立麗翼高等学校、略してレイコウ。
妙に規則や規律に厳しく、だけどそれ以外はごくごく普通な
どこにでもある高校の一つ。
「いただきます」
そんな高校の六月中旬の、昼休みのことである。
「へぇ、相変わらず圭太郎の弁当って美味しそう」
と、圭太郎と呼ばれた男子生徒の目の前に、人懐っこそうな
男の子の顔がずいっと現れる。
その様子は、今にも尻尾を振らんばかりに目を輝かせているが、
生憎とその手は圭太郎にはもう通用しない。
「やらないからな」
「けち〜。卵焼きぐらい良いじゃないか」
「だったら修一も弁当作ってくればいいじゃないかよ」
修一、本名黒場修一。
圭太郎とは中学時代からの付き合いの友人で、高校も同じ
このレイコウを選び、見事にクラスメイトにまでなった、
どこまでも圭太郎についてきそうな男子生徒はなおも文句を言う。
「だって僕、料理ってできないし」
「そうよ、男の子ってのは非常時にならないと力を発揮しない
生き物なんだから」
と、圭太郎と修一の横から楽しそうに会話に紛れ込んでくる
女生徒の声。
二人が振り向くと、そこにはやっぱり、二人のよく知る
馴染みの女の子がいた。
「非常時って何さ、愛?」
修一の言葉に、愛と呼ばれた少女はピッと圭太郎を指差す。
「親が海外出張ばっかりの生活環境とか」
あぁ、と納得顔になる修一に、満足そうに頷いてみせる愛、
本名高峰愛。
最後の紹介になってしまったが、そこに先程から自作の
弁当をつついている佐々木圭太郎を含めた三人が、
おなじみのメンバーだった。
「今回は圭太郎の両親、どこ行ったんだっけ?」
「さぁ?」
修一の問いかけに、圭太郎は即答してみせる。
「相変わらずよねぇ、ケイの両親……一体どんな仕事を
してるのやら」
愛の言う通り、圭太郎の両親の職業は、家族である
圭太郎やその妹ですらもわからないものだった。
ただ時折海外へ飛んでは、いきなり何ヶ月もの間留守に
することがある。
ヤバイ仕事ではない事を心の中で改めて祈りながら、
圭太郎は目の前の修一に声をかける。
「ところで、俺の弁当がダメだとわかったんだったら、
修一は購買だろ? 急がなくていいのか?」
「大丈夫、こんな事もあろうかと購買のおばちゃんに
取り置き頼んでおいたから」
「そんな事できるの、ウチの購買?」
きょとんと首を傾げる愛に、修一はニヤリと
童顔には似つかわしくない怪しい笑みを浮かべると言った。
「人間、脅迫には弱いものだよ」
「また弱み握ったのか、お前」
ポツリと圭太郎が呟いた瞬間、愛が動いた。
見えない程素早い動きでは無かったものの、完全に
油断していた修一ではその動きについていけない。
ガシッと掴まれたのは、修一の頭部。
その頭部から、今にもギリギリという嫌な擬音が
聞こえそうだった。
「あ、あだだだだだ!?」
「アンタねぇ……情報収集は勝手だけど、それで
脅迫なんて事のために使っちゃダメって毎回
言ってるでしょうが」
修一の頭部をミシミシと握り潰さんとしながら、
怒りの顔を現しているのは愛。
そんな様子は、それはもう背後に気迫やら殺気の
オーラでも出さんばかりのものだった。
結果、教室に残っていた数人のクラスメイト達が、
あまりの場に漂う空気の鋭さと愛の放つ恐怖から
金縛りにあったように動けなくなってしまった。
「……やれやれ」
と、中学時代からそんな光景を何度も見てきて
唯一耐性をつけていた圭太郎は、溜息混じりに
卵焼きを頬張る。
毎回、こんな光景がある度に圭太郎が思うことがある。
「(これさえ無ければ、高峰だってモテるだろうに)」
高峰愛という女の子は、一見するとショートヘアが
似合う快濶な雰囲気を纏っており、健康的な
美少女ともとれるのだ。
だが中身、性格がそれに伴っていなかった。
快濶なのは間違いないのだが度が過ぎてやりすぎてしまい、
ある意味トラブルメーカーでもある。
ついでに、今回のように修一絡みの事となると
途端に暴力に訴え、怒りのオーラを周囲に撒き散らす。
そんな事を続けていれば、自然と容姿にばかり目が
いっていた男子生徒が恐れをなしてしまうのも仕方が
ないというもので。
「そろそろ離してやらないと、修一の頭が粉々だぞ」
「ふんっ、シュウってば」
圭太郎の言葉に、ようやく修一を解放する愛。
修一はドサリとその場に倒れこむと、動かなくなった。
「あ、その唐揚げもらいっと」
「っておい」
素早く圭太郎の弁当箱から唐揚げを一つ摘むと、
圭太郎が注意する前にそれを口の中に放り込む愛。
阻止できなかった事に軽く溜息をつく圭太郎だったが、
もう次の瞬間には特に気にする事無く弁当を再び
つつきはじめていた。
こんな事も、日常の一つだからである。
「でも、あたしも時々思うわぁ……なんで男子のくせに、
ケイのお弁当ってこんなに美味しいんだろう」
等と言いながら、いつの間に入手してきたのか購買の
サラダサンドイッチを頬張る愛。
深く考えることはやめにした圭太郎が口を開く。
「別に料理なんて、慣れればこのぐらいは誰だってできるだろ?」
「ふぅ〜ん……あたしも今度やってみようかしら」
そんなこんなで、昼休みの時間もいつも通りに過ごす圭太郎達。
結局修一は、購買の取り置きパンをゲットは出来たものの
完食はできなかったが、本当にいつも通りの光景だった。
それから時間は流れてロングホームルームも終わった放課後。
「じゃあな」
野生的勘が働いた圭太郎は、礼をするなりいきなり教室の
外へと飛び出す。
え、と圭太郎の目の前の席にいた修一が首を傾げて、
かれこれ三秒後。
「あら、ケイってば帰ったのね。だったらシュウ、一緒に
ケーキ食べに行かない?」
「あ……に、逃げたな〜圭太郎〜!」
そう、逃げたのである。
廊下で修一の叫び声を聞いた圭太郎は、それでも後は
決して振り返らずに走り続ける。
「こらっ、廊下で走ってはいけません」
途中、風紀委員に怒られたりしつつ、圭太郎は無事に
昇降口へと辿り着き、靴に履き替えると学校を出た。
「え〜っと、今日は夕飯何にしようかな」
確か食材は思ったよりも余裕があったはずなので、買い出しは
今度の日曜日で良かったはず。
そんな事を考えながら、佐々木圭太郎は商店街ではなく、
自宅へと向かっていた。
普通、両親不在の男子の一人暮らしとなれば、小汚くて
掃除の行き届いていない部屋にインスタント尽くしの食卓と
なるのだが、この圭太郎については例外だった。
何しろ、そもそも一人暮らしではないのである。
とっくに帰っている頃だろうが、家には小学五年生になる
妹が、今日の夕食を楽しみにして待っているのだ。
インスタントばかりに走ったら、妹があまりにも可哀想である。
というわけで、圭太郎が料理を覚える事となり、洗濯や家事など、
あらゆるスキルを身につけた彼は将来有望な学生だった。
もっとも、本人がその事に一切気付いていないのが、やはり
まだ子供ということだろう。
「……ん?」
そして、家までの最後の曲がり角を曲がって、暫く歩いた圭太郎。
そこで、不審なものを発見した。
距離的にはまだ断定はできないが、圭太郎の家、佐々木家のすぐ
近くに何かがある。
一瞬躊躇したものの、無理矢理足を持ち上げて近づいてみる圭太郎。
近づくにつれて、その正体がハッキリしてきた。
まず、得体の知れなかったそれは、どうやらダンボールらしい。
道端にダンボールとくれば、可哀想な仔猫や仔犬が鳴いていて
拾い主をじっと待っているのが相場だろう。
……だが、そのダンボールの中身こそが不審だった。
「うるうる……窮屈ですよ〜」
まず、そのダンボールの中身は人間の言葉、しかも日本語を
喋れるらしい。
体形も猫や犬とは程遠い、サラサラと流れるような金髪のロングヘア。
まだ日が残っているこの時間帯だからこそわかる、まるで太陽の
光を吸い込んだかのように輝く白くて滑らかそうな肌。
そして見上げる顔は、人形のように綺麗に形作られた、まるで
人間のような存在だったのだから。
「……いや、現実逃避はよそう」
事実、何故か白いワンピースを着た人間の女の子がダンボールの中で寂しそうに
体育座りをしていた。
トドメに、そのダンボールは道の隅に置いてあったのではなく、
道のど真ん中に堂々と置かれている。
更にオーバーアタックとばかりに、そのダンボールの側面(圭太郎から見て正面)
には、こう書かれていた。
『佐々木様、拾ってください』。
これは一体どういう悪戯だろうか。
近づいて見てわかったことだが、どうやらダンボールは佐々木家の玄関の
目の前に置かれているようである。
気がついたら、そんなダンボール少女の目の前までやってきてしまった圭太郎。
「あ、あのっ……佐々木圭太郎さん、ですよね?」
おずおずと、でも確かにその女の子は圭太郎に問いかけてきた。
怪しさマックスなので、首を縦に振るだけにした圭太郎。
いきなり襲いかかってこられたら、相手が女の子だという手前反撃も
出来ないので逃げる準備をしていた。
そんな圭太郎の内心を知ってか知らずか、女の子は言葉を続ける。
「あ、あの、私を拾ってほしいんです……ほら、ここに書いてあるように」
言いながら『佐々木様、拾ってください』と書かれたダンボールの
側面を指差す女の子。
言われなくても、そのぐらいはわかっている。
だが、その拾う理由が全くわからない。
「……あのさ、キミ」
「は、はいっ!?」
圭太郎の言葉に過剰に反応し、ガチガチに固まった状態になる女の子。
「……ええっと、取りあえずヤバイ薬とか、やってないよな?」
「くすり? いえ、私は生れてこの方、そういうものは飲んだこと
ありませんよ」
信じていいのか激しく疑問だが、取りあえず質問を続ける圭太郎。
「それで、その……なんで、俺の家の目の前にいるわけ、キミ?」
「で、ですから、私を拾ってほしいんです」
言いながら、尚も拾ってくださいの文字があるダンボール側面を
指差す女の子。
「何かのドッキリ?」
「ちがいます〜! そりゃ、普通の人間がこんなことしていましたら、
ドッキリだ〜って思うかもしれませんけど」
「じゃあ、何なんだよ?」
「……え〜っと」
圭太郎の問いかけに、暫く考え込む女の子。
やがて結論に達した……わけではないようだが、うるうるとした
瞳で圭太郎を見上げた女の子は言う。
「とにかく私を拾ってください、拾ってくれないと私、失格に
なっちゃうんですよ〜!」
「は? しっかく?」
なんだそりゃ、と首を傾げる圭太郎。
「とにかくっ、拾ってくださいったら拾ってください。さもないと
恐ろしいことが起こってしまうんですよ」
「恐ろしいこと……ねぇ」
逆に拾って持ち帰った方が恐ろしい事になりそうだ、なんて
圭太郎が考えたのは正常な判断だろう。
何しろ、ダンボールの中に女の子とか、一体どういうシチュエーション
なのかサッパリである。
と、その時である。
圭太郎にある一つの閃きがが浮かんだ。
「……なるほど、そう考えれば納得できるな」
「はい?」
うんうんと、一人頷く圭太郎にきょとんと首を傾げる女の子。
ようやく状況を理解したとばかりに、圭太郎は笑顔で女の子に言った。
「まあ、一晩くらいなら構わないよ」
「本当ですかっ!?」
うん、と笑顔で頷く圭太郎に、満面の笑みをみせる女の子。
ようやくダンボールの中から出てくると圭太郎に道を譲るように
一歩下がった。
「それじゃ、おうちにあがらせてもらいますね」
「いいよ」
そして、そのまま玄関まで歩いて行く圭太郎と女の子。
ドアを開けざまに、圭太郎はこんなことを女の子に言っていた。
「しっかし、最近の家出少女はこんな手段も使うんだね」
「……はい?」
きょとんと首を傾げる女の子。
「だってキミ、家出してきて泊まるところを探してたんでしょ?」
「ち、違いますよ〜!」
あわあわと慌てながら叫ぶ、そんな女の子。
これが、佐々木圭太郎と、不思議な女の子、はては日常が
少々狂い始めた初めての出会いだった。




