第捌話 羊頭狗肉
「幾つか質問する。答えろ」
零は、屋根の上に押さえ付けた少女に向かって言い放つ。
「(押し倒された、男の子に……)」
「お前は何者だ、俺に何の用だ、さっきのは何だ、何故足止めしてまで逃げた、この四つがお前に問う内容だ」
少女は零から顔を背け、口を割るまいと沈黙する。
「さっきの珠、何等装備だ……? 効果を見るに、深層でも俺に使ったか……?」
相変わらず少女は口を開かない。
「珠の効果はそれを通して声を発すると、対象に命令を強いる事が出来ると言った所か……命令の使い過ぎか? さっき真っ二つに割れた様だが……まさかそんな代物を一つしか持っていない筈が無いよな……?」
その瞬間、少女の紙が風によって靡いた。
その下に微かに見えた口から舌を出し、いつの間にかその口に透明な水晶玉を咥えていた。
「やはりな――」
『失せろ!』
声を聞いた瞬間、零は少女を離し距離を開ける。
直前、二つ目の珠にも罅が入っていた。
「《破斬間》は返して貰うと、言っていた……」
少女の『失せろ』の所為か、零は少女から距離を離していく。
最後にそう言い残すと、罅の入った珠を持って少女は屋根の上を去って行った。
少しして零は命令から解放されたが、少女は取り逃がしてしまった。
「紫の和結び、弐等探索者か……準壱等以上の装備を調べる手間が省けるか……その分弐等以下は数も多いが……」
ぶつぶつと呟きながら、零は自宅へと戻って行く。
「(《ハザマ》……そんな装備は無い筈だ……まさか《断空》――いや、《空断チ鋏》の事か……?)」
一ヶ月程前。
「《空断チ鋏》を短刀に加工ですか?」
「今そう言っただろう……加工品は別の装備として扱われるからな、《断空》と名を変えて登録もする」
「今まで《空断チ鋏》だった物が《断空》になったらややこしくないですか?」
「短刀に鋏と付いている方がややこしいだろうが……飽く迄元は《空断チ鋏》だったという記録が資料として残るだけで、これから《空断チ鋏》に戻る事は無いから《断空》と呼べば良い。そもそも検証ばかりで鋏自体あまり長くは持っていないだろ……」
桜花は零の言葉に、「それもそうですね」と呟いて頷く。
「というか、奈落装備って加工しても平気なのですか?!」
「物によるな、《空断チ鋏》の場合は欠片に衝撃を加えても発動する事が確認出来た。詰まりは形を変えても発動すると言う事だ」
解説を終えた零と「成程」と呟き頷いた桜花は、鉄打の鍛冶屋へとやって来た。
「居るか鉄打、頼みたい事がある」
赤々と燃える火床の炎で作業場の中は真夏の様に暑い。
「暑い……今って夏でしたっけ……?」
「違うぞ馬鹿。俺達探索者の使う装備は深淵で見つかったそのままの物だけじゃない。地上で作り手に加工された品によっても賄われている。感謝するんだな」
「い、いつも有り難うございます」
桜花はそう言って何も無い所へ向かってお辞儀をする。
「おぉ、どうした? また《消失ス刀剣》が刃毀れしたのか?」
「今日は違う。加工を頼みたい装備があるんだが……少々取り扱いが難しくてな……」
「何だ? 見せてみろ」
零は大きな鋏、《空断チ鋏》を取り出し鉄打に手渡す。
「鋏か、これをどう加工するってんだ?」
鉄打は刃に巻かれた布を解き、その刃を開閉する。次の瞬間——。
「ぬおっ?!」
空間に小規模の亀裂が走った。
「こりゃどうすれば良いんだ?!」
「何か壊れても良いものを意識しろ……! 対象を破壊すれば亀裂は元に戻る……!」
「お、おう!」と言いながら、鉄打は作業場の壊れて良いものを探す。
適当に目に入った火床の炭を破壊すると、亀裂は元に戻っていった。
「骨が折れるなこれは……ってか、こいつ加工しても良い奴か?」
「問題無い、欠けた欠片でも効果があった。恐らく合金もいけるだろう。短刀に出来れば有り難い」
「よりによって短刀かよ……叩く度にあれが出そうだぜ……」
溜め息を吐く鉄打とは反対に、零は「かもな」と冷たく答える。
「相応の金は払ってやる、死なない様にやってくれ」
「あいよ……ったく、これで払わなかったら亀裂に巻き込んでやる……!」
「鉄打のかねは金か……? がめつい奴だ……」
桜花は二人が話している中、ずっと汗を拭いながら静かに話を聞いていたのだった……。
顔を紙で隠した少女、弐等探索者兒玉音々は、探索者本部の京弥の部屋の戸を開ける。
「た、只今、戻った……」
「大丈夫かい……? 随分と息を切らしているが……」
「す、硯石零に、見つかってしまった……《言珠》の、効果まで……」
音々の報告に、京弥は「そうか……」と呟き顎に手を添える。
「そろそろ本格的に動き出さなきゃ不味いね……手荒な真似もしなくては」
「勝てるのか……あの化け物に……」
「化け物なんて言わないで欲しいね、彼と私は同じなんだから」
そう言うと京弥は一瞬視線を落とし、未だ寝ている女を見る。
「零君が補佐の、荻内と言ったかな……? 彼から心臓の無い者や此処の事を知るのも遅くはないだろうね」
京弥は立ち上がり、薄暗い部屋を出ようする。
「他の二人の事も考え始めなくては……」
部屋から出て行く直前、京弥はそう呟いた。
部屋に一人――いや、二人で残された音々は、呆然と紙の下から虚空を眺めた。
「……ろ」
微かにそう声が聞こえる。
「……きろ」
「んん……?」
「起きろ馬鹿たれ……! ったく、こんな時に呑気に熟睡しやがって……」
朝から零の罵声を浴び、桜花は目を覚ます。
桜花は、何故か《晦冥ノ羽織リ》を着て寝ていた。
「元はと言えばお前が泊まると言ったんだ……どういう風の吹き回しかは知らんが、囮としては役に立った」
音々の観察に気付いた零は、何故か家に泊まると言ってきた桜花に《晦冥ノ羽織リ》を着させ、夜闇の中の一人で家に上がらせた。
家から出て来ていない筈の零が外に居たのには理由があったのだ。が――。
「それがお前、家に入って早々寝やがって……せめて布団くらい敷いてからにしろ……」
零が帰ってきた時、桜花は居間と廊下の間で寝ていたのだった。
「だって、深層から上がって来るまでに沢山の異形と遭遇したじゃないですか……何かいつもよりも怖くなってしまって、零殿の家だと思ったら安心感が……ふぁぁ……」
話しながら欠伸をする桜花の頭を、零は軽く引っ叩く。
「俺はお前の緊張感の無さが嫌いだ、とっとと帰れ」
まるで、動かなくなった動物を小屋に入れるかの様に、零は桜花を家の外へと押し出した。
溜め息混じりの一息を吐くと、零は湯を沸かし出汁を取り、切った豆腐と乾燥した若布を鍋に入れた後、味噌を溶かし味噌汁を作った。
出来上がった味噌汁をお椀に移して啜る。
「ふぅ…………」
温かい味噌汁に零は一息吐き、思考を巡らせ始めた。
「(彼奴は何だったんだ……荻内なら何か分かるだろうか。いや、そもそも本部に行かなければ何も分からない……先ずは本部で装備と探索者について調べなければ……)」
零は味噌汁を飲み切り、装備を持って家を出ようとする。
その時、《晦冥ノ羽織リ》が無い事に気付いた。
「しまった…彼奴に着せたまま行かせてしまった……」
零は溜め息を吐きながらも、羽織以外を身に着けて本部へと向かった。
「ありましたよ零さん!」
そう言って荻内は、幾つかの書類を持って来た。
机の上に置かれた書類には、探索者の情報が記されていた。
「此奴か、昨日の餓鬼は……」
「あはは……(零さんより歳上だなんて言えない……)彼女は弐等探索者、兒玉音々さんです。探索の実績はあまりありませんが、異形討伐の補助実績で弐等まで上がっています」
「補助か……此奴の装備、《言珠》か。厄介だな……」
「零さんは耳が良いですから、その分効果の範囲が広がってしまいますしね」
零は資料と睨めっこする。が、特に目ぼしい情報は無く、所持装備と過去の実績が書かれているだけだった。
「情報は無いか……仕方無い、荻内、例の装備については何か分かったか?」
「恐らく準壱等以上の装備だと言う事くらいしか……簡単に調べられる弐等以下の装備に記載が無かったので、上に報告して調べてもらっています」
荻内の言葉に、零は「そうか……」と呟き天井を仰ぐ。
「仕方無い、また出直す。桜花は戻ってるか?」
「桜花さんならさっき宿の方に居ましたよ」
荻内の返答を聞き頷くと、探索者本部を後にした。
「硯石零、だな……?」
零は本部を出た途端、突然声を掛けられた。
振り向いた零の視線の先には、見知らぬ男が立っていた。
「誰だお前。松葉……肆等探索者が何の用だ……?」
「君と《破斬間》は回収させてもらう」
「《ハザマ》……! お前が――」
零が言い終わらない内に男は刀を引き抜く。
「(《祓イ刀》……?! 此奴っ……!)」
零は咄嗟に《消失ス刀剣》を抜刀し、男の剣撃を防ぐ。
「お前、何処でその大太刀を……!?」
「何処でも何も、私の物さっ……!」
途轍もない速度で振り回される両者の刀に怯えながらも、何事かと野次馬が集まって来る。
突如始まった人同士の争いに熱狂する者も居れば、不安を募らせ怯える者も多い。
だが、皆が等しく感じている事がある。
彼らの動きが異常だと……。
刀身が空気を切り裂く音が鳴り、刀と刀が互いにぶつかる度に火花が散る。
「何が目的だ……!? 兒玉音々とも関係が有るのか……?!」
「もう彼女の事まで……早々に決着をつけなければ不味そうだ」
そう言うと男は《呪詛針》を取り出し、零目掛けて正確に投げつける。
「ますます彼奴にそっくりだ……!」
零は飛んで来る針を華麗に捌きながらそう呟く。
《祓イ刀》に《呪詛針》、恐らく針には《七歩雫》が塗ってあるだろう。
持っている装備全てが、肆等探索者と天と地程の差が開いた特等探索者、鏑木京弥と全く同じだった。
「鏑木をやったのか……? いや、肆等探索者如きが彼奴に勝てる訳が……」
ぶつぶつと呟きながら零は男の攻撃を凌ぐ。
お互いに擦り傷を付けながら、人と人との戦いは続く。
「君は深淵に何を求める……?」
互いに距離を開け、睨み合う。
零が次の一手を打って来ない事を確認すると、男はそう言った。
「何が言いたい……?」
「君は深淵に、何を求めて潜っている?」
「さぁな、今の所は目的など無い」
「そうか……私はね、命を求めて潜っているんだ」
『命』を求めて潜っていると言う男の言葉に、零はある種の引っ掛かりを覚える。
「気味が悪いな……段々と口調まで彼奴に似てきたな……」
「そうかい……駄目だね、癖というものは直らないよ……」
そう言うと男は、《祓イ刀》を左手に持った鞘に納める。
「信じてもらえないだろうけどね。私だよ、鏑木京弥だ、零君」
「——は?」
流石の零も何が何だか分からないのか、口を大きく開けて立ち尽くしている。
「私は深淵に命を求めている。それを手にする為には君の力が必要なんだ、力を貸してくれないかい……?」
「……さっきから何を言っているのかさっぱりだ。具体的に要件を言え」
「分かった……」
そう言うと男、元い京弥は小さな袋から小さな石を取り出す。
それは弐等装備《逆鱗石》で、異形との反応で起こす微かな光を放っていた。
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