第漆話 動き出すコト
桜花は目を覚ますと、障子越しの日の光に照らされた。
鶯の鳴き声が聞こえ、穏やかな日である事を知らせてくれる。
「何時から寝ていたんだっけ……」
体を起こし、乱れた髪を掻き上げる。
桜花は自分が寝ていた理由を思い出す。《百鬼夜行》が終わり、零と共に深淵に潜っていた。
「そうだ、零殿は?!」
桜花は慌てて部屋を見渡す。
部屋の中には桜花以外の誰かが居た形跡すら無い。此処には零は居なかった様だ。
「荻内殿に聞きに行かないと……」
布団と部屋を出て、屋敷の廊下を進む。
縁側を通ったり、池の縁を回ったり。探索者本部なのは理解していたが、あまりに広く何処が受付か分からない。
挙句、人も通らない所為で自分で辿り着く他無かった。
少しの間迷っていると、桜花の目の前の部屋の襖が開き、中から顔を紙で隠した黒髪の少女が出て来た。
少女は桜花に気付くが、何も言わずにすれ違う。
少女の不可思議な格好に唖然としていた桜花は我を取り戻し、受付の場所を聞こうと振り返った。
「あ、あの……!」
桜花の声に少女は足を止めて振り返る。相変わらず表情が見えない。
「何だ?」
「受付の場所を教えて欲しいのですが……」
「受付なら、逆方向だぞ。縁側を、あっちに進めば、入り口に着く筈だ。桜の木が、目印になる」
「有り難うございます!」
「本部はややこしくて、分かりにくいものな。僕は、失礼する」
「(僕……?)」
違和感は覚えたものの、桜花は少女の声色から、紙の下で微笑んでいる様に感じた。
去っていく少女の背を見送り、桜花は教えて貰った通りに縁側に出て桜の木を目指す。
普段なら歩きながら眺めているだろう庭を見る余裕も無く、桜花は走りたい程逸る気持ちを抑えて早足で縁側を歩いて行った。
少ししてようやく桜の木を見つけると、縁側まで散っている桜の花弁を踏みながら受付へと急ぐ。
「荻内殿!」
受付に入るなり、桜花は思わず大声で荻内を呼んだ。
「あ、桜花さん。起きたんですね、お体大丈夫ですか?」
「れ、零殿は……?!」
桜花は不安気な表情で荻内に問い掛ける。
「大丈夫ですよ。零さんは嘘みたいに元気です」
荻内の立っている番台にふらふらと駆け寄り、安堵の溜め息と共に突っ伏す。
「だ、大丈夫ですか……?! やっぱりまだ体が……」
「そうではないのですが……」
桜花はそう呟きながら体を起こす。
一度呼吸を整え、荻内に聞いた。
「零殿は今何処に?」
「深淵の深層に行っている筈です。二、三日で戻って来るみたいですよ」
「荻内殿、今日はあれから何日経ちましたか……?」
「大体丸一日くらいですね。零さんは半日程で起きましたよ」
荻内の言葉に、桜花は「零殿はまるでお化けですね……」と呟く。
「そうだ。桜花さん、朱印状を借りても宜しいですか?」
「階級が印されたあれですか?」
そう問い返しながら、桜花は地上に居る時だけ持ち歩いている朱印状を懐から取り出すと、荻内に手渡した。
「お預かりします」
そう言って荻内は二つ折りの朱印状を開き、「伍等探索者」という朱印の押された隣に空いた余白に判を押す。
判子が紙から退くと、そこには「肆等探索者」と印されていた。
「桜花さん、昇級おめでとう御座います。遅くなってしまいましたが、今日から桜花さんは肆等探索者です」
「…………ほほほ、本当ですか?!」
「本当ですよ。僕としては特等異形討伐の協力も見て参等でも良いと思ったんですが、美味しい所は零さんが持っていってしまいましたからね……」
荻内はそう言って苦笑を浮かべる。
伍等探索者は訓練期間という零の言葉通り、桜花は早くも肆等探索者へと昇級した。
荻内は、信じられないと言う様に呆然としている桜花を他所にてきぱきと作業を熟す。
「出来ました。朱印状を朱印帳にさせて頂きました。これからはここに階級が印されます」
桜花は荻内から渡された朱印状改め朱印帳と、松葉色の和結びを受け取る。
「階級が上がっても何か特別な事がある訳では無いですが、これからも頑張って下さいね」
そう言い残すと、荻内は受付の奥へと引っ込んで行く。
その時、桜花の腹の虫が鳴き出した。
「お腹減ったなぁ……何か食べに行こう……」
そう言うと桜花は銭を持ち、食事を摂る為に探索者本部を後にした。
《苑神》の街には色々な店が点在する。
鍛冶屋、呉服屋、紺屋、食事処等、都に多く存在するものは大抵が《苑神》には在るだろう。
——しかし、何処も他所の店と同じだと思ったら間違いだ。
此処に在る多くの店が、深淵特有の特色を持って店を開いている。呉服屋は深淵で採取できる糸を、紺屋は深淵由来の染料でより色取り取りに。
正に今桜花が向かっている煮売り屋も、深淵で取れる食材を使っているのだ。
「大将! いつもの定食を!」
席に着くと、桜花は店の大将に注文をする。
暫くして運ばれてきた料理を、桜花は勢いよく掻き込む。零が居れば間違いなく落ち着けと言うだろう。
「(一日振りのご飯……やっぱり美味しい……!)」
丁度近くの鐘楼で鐘が撞かれ始め、今が八ツ時である事を告げる。
鐘が鳴り終わると略同時に桜花は食べ終わり、食器を鳴らしながら盆に置く。
「あれ、桜花君。こんな所で奇遇だね」
桜花に声を掛けた主は京弥だった。
「京弥殿! どうしたのですか?」
「遅めのお昼をと思ってね。深淵に潜っていたら遅くなってしまったんだ」
そう言って京弥は桜花の前に座り注文を済ませる。
「今日は零君は居ないのかい? もう起きているだろう?」
「零殿は既に深淵に潜っているそうです……」
苦笑を浮かべながらそう言う桜花に、京弥も「あはは……」を苦笑する。
「零君らしいと言えば零君らしいね」
「そうだ、京弥殿はどうして私達に構ってくれるんですか?」
「構う……というと?」
「ほら、私達と関わるのは《百鬼夜行》の時だけで良かったじゃないですか。なのに京弥殿は今私と話してくれている。その理由が気になったんです」
桜花の言葉に、京弥は少し考えるような仕草を取る。しかし直ぐに口を開いた。
「正直に言うと、私が興味を持っているのは零君なんだ。彼には気になる所が幾らかあるからね」
「気になる所?」
「彼の類稀な身体能力が特にね。ある程度は鍛錬でどうにかなるけど、彼のは鍛錬や才能ではどうにもならない域まで達している。どうやってそんな身体能力を得ているのか、気にならないかい?」
突拍子も無い京弥の言葉に、桜花は沈黙し唾を呑む。
「済まないね突然こんな事……でもまぁ、彼の事は信じて良いと思うよ。彼は信頼に足る人間さ、私と違って……」
桜花は京弥の言葉に、思わず「え……?」と問い返す。しかし京弥は何も言わず、運ばれてきた食事を食べ始めた。
「(異形は何処に居る……? 何も聞こえない癖に《逆鱗石》は反応する……)」
異形に反応して仄かに輝く《逆鱗石》は、依然として辺りを照らしている。
零は反応の原因である異形を殺そうと探して回っていた。
「可笑しい……此処まで探して見つからない筈が無い……」
零はそう呟いて足を止める。
ふと振り返ると、零が通り過ぎた箇所の《逆鱗石》は光が消えていた。
「……何故だ……? そんな筈は無いが、まさかおれ――」
「零殿!」
突然ここ最近聞き慣れた声が聞こえ、零はその方向へと振り返る。
「何でお前が此処に居る……四月朔日……!」
その言葉通り、零の視線の先には此方へ向かって駆けて来る桜花の姿があった。
同時に、零の背後から何かが落ちる様な音が聞こえ、強烈な殺気を放った。
「くっ……!?」
零は即座に振り返り、《消失ス刀剣》で背後の何かに対し一閃を繰り出す。
刀は何かの胸元を掠めるが、絶命させるには至らなかった。
「零君!」
「鏑木まで……?! 丁度良いか……話は後でゆっくり聞いてやる。今は目の前の深淵に集中するぞ……!」
零はそう言って、その意識の矛先を突然現れた深淵様へと向ける。
桜花は《爆ゼル刀剣》を使い、刹那の閃光と破裂音を発した。
「(《消失ス刀剣》……!)」
零は刀を振り被り、眼前の深淵様に向かって振り抜く。
刃は、爪で零を切り裂こうとした深淵様の濃色の腕に傷を付けた。
深淵様の動きが一瞬止まった様にも感じた。
「……興醒めだな、遅過ぎる。一丁前に気配だけ消しやがって」
その刹那、深淵様の四肢と首が刎ね飛んだ。
桜花の目にも追えない、正に刹那の斬撃。
零は、倒れ動けなくなった深淵様の胸を刀で貫いた。
「こんなにあっさり……」
桜花は零が単独で異形を葬った事に対しそう呟く。
「やっぱり君の実力は計り知れないよ、零君」
「何の事だか。それよりも、何故お前達が此処に居る……?!」
零はそう言って二人を―特に京弥を―睨む。
「そんな怖い顔はしないでくれ。私は桜花君が零君に会いたいって言うから連れて来ただけだよ」
「伍等探索者を深層まで連れて来るなんて何を考えてるんだ……」
呆れた様に溜め息を吐きながら、零は桜花の方を向く。
「……お化け……」
桜花が微かにそう呟いたのを、零は聞き逃さなかった。
「何がお化けだ……?」
「え? いえ! 何でも……」
「で、何で来た、四月朔日」
「れ、零殿が心配で……お怪我はもう大丈夫なのですか……?」
「問題無い。心配する必要も無かったな」
そう言うと零は踵を返し去ろうとする。
「何処へ行くのですか?」
「元々一人で探索する予定だったんだ。食糧も然程持って来ていない。お前達は帰れ」
零の言葉に桜花は落胆する。
京弥は零に歩み寄り、耳打ちした。
「桜花君を心配しているのかい……? 案外過保護なんだね、零君は……」
「五月蠅い……さっさと帰れ……」
『……くな……』
桜花でも京弥でも無い声が、突然零の耳に聞こえる。その瞬間、僅かに零の動きが止まった。
「——っ……?! 何だ、今のは……」
「どうかしたのかい?」
「いや、何でも……仕方無い、予定を切り上げて地上に戻るぞ……」
そう言って零は、二人を先導する様に地上への帰途についた。
人が寝静まった後の夜。まだ深淵には探索中の探索者が居るかも知れないが。
そんな《苑神》のとある家屋の屋根の上、通りを挟んだ反対側の、普段零が暮らしている家屋を見張る少女の姿があった。
その顔を隠す様な紙が、夜の冷たい風に揺蕩う。
「何をしている、家に何か用か……?」
「っ……?!」
少女は驚き振り返る。
そこには、家から出てきていない筈の零の姿があった。
『離れろ……!』
少女はそう言う直前きらりと輝く透明の珠を放り投げ、一瞬見えた口を開け歯で咥えた。
「くっ……?!」
零は少女の声を聞いた瞬間、自分の意思とは関係無く飛び退いた。
「何をした……?」
名も知れぬ少女に、零は睨みを利かせて問う。
『動くな……!』
その瞬間、零の身体がはっきりと動かなくなった。
その隙に少女は踵を返し、屋根の上を駆けて逃げて行く。
「(目的は飽く迄戦闘では無いのか、ならば……)」
相手の装備の効力が切れたのか動ける様になった零は、距離の開いた少女目掛けて駆け出した。
――尋常では無い速度で……。
「(速い……! あれが本当に、同じ人間……?!)」
少女は走りながら大きく息を吸うと叫んだ。
『止まれ!』
その声を聞いた零は足を止め、少女を追う事を止めさせられる。
しかし少しすると効果が切れ、零は再び少女を追う。
『止まれ、止まれ止まれ止まれ!』
少女が唱える度に零は足を止め、暫くしてまた追い駆けるの繰り返し。
しかし、限りが無いと思われていた争いに、突然終止符が打たれる。
『止まれ!』
何十回目かのその言葉と同時に、少女の珠が音を立てて割れた。
「(しまった――)」
少女の背後に零が飛び出す。
遂に零は少女を捕らえる事に成功したのだった。
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