第肆話 特等と特等と特等
零は《苑神》を深淵に向かって駆ける。
空を見ると月が段々と陰り、月蝕が始まっていた。
「思っていたよりも早いな……」
大通りには《百鬼夜行》を警戒する探索者が多い。ただ急ぐだけでは間に合いそうに無かった。
「(面倒だが仕方が無いか……)」
そう考え、零は跳躍した。たかが一尺半程度の跳躍では無く、平屋を優に超す程の。
屋根に上った零は、下駄で屋根瓦を鳴らしながら駆ける。
《火垂ル石》を掲げて灯りにしなければならない程暗くなると、ようやく視界の奥に深淵が見えた。
それと同時に、《苑神》に異形が上がって来ている事に気付いた。
「遅いか……!」
深淵から上がって来る最初の一体。階級は参等程度の深淵様。
零は《消失ス刀剣》を抜き、投げ槍の様に構えた。
「ふっ……!」
投げた。零は《消失ス刀剣》を投げたのだ。
高速で飛んで行く刀は、狙い通り遠方に居る深淵様の胸部を貫いた。
零が深淵様の死体の元へと降り立つと、何事かと見に来た探索者達が声を上げる。
「即刻構えろ。《百鬼夜行》の始まりだ……!」
《消失ス刀剣》を深淵様の胸部から引き抜き、零は周りの探索者にそう告げる。
深淵の方へと振り返ると、既に何体もの異形が上がっていた。
桜花は走り、異形を薙ぎ倒す。
どれも肆、伍等の異形ばかりだが。
「流石は皆が恐れている《百鬼夜行》……異形が際限無く上がって来る……!」
そう呟きながらも桜花は、鉄打から借りた刀のお陰で滞りなく異形を討伐出来ている。やはりあの刀は上物だった。
「はぁっ!」
雄叫びと共に、桜花は伍等の終焉様の胸部を貫き倒す。
桜花が一息を吐いた次の瞬間、突然傍にあった家屋が吹き飛んだ。同時に中から何かが大通りの真ん中へと飛んで来る。
「何?!」
新手の異形かと桜花は身構える。
しかし、飛んで来たのは人間だった。土煙の向こうに、茅色の髪がちらりと見えた。
「京弥殿!」
桜花は叫び駆け寄る。京弥はゆっくりと立ち上がり、壊れた家屋の方を向く。
家屋の向こう側に、異様な雰囲気を放つ大きな深淵様が立って居た。
「まさか――家屋を貫いて来たのですか?!」
「ははは……駄目だよ桜花君、君じゃ相手にならない……」
京弥はそう言って、身の丈程の《祓イ刀》を引き抜く。
五斤はあるのではないかと言う刀を、京弥は片手で持って見せる。
「あれ……遂に空間の吸収だけじゃなくて、放出まで覚えたよ……」
空間の放出。それが何を意味するのか、桜花はまだ理解していなかった。
「《祓イ刀》は間合いが広いから下がっててくれ……」
「は、はい……」
桜花は言われた通りに京弥から離れる。
京弥は一度《祓イ刀》を振ると、深淵様に肉薄した。
尋常では無い速度で振られる刀は、空を切る音を鳴らしながら深淵様に傷を付ける。
「(あんな大太刀を軽々と……これが特等探索者……)」
刀の先端が高速に達する度に、弾ける様な音が聞こえる。
深淵様に浅い傷は付いているものの、致命傷や決定打になる様な攻撃は与えられていない。
突然、深淵様は京弥が《祓イ刀》を振り上げた瞬間を狙って掌を前に翳した。
「不味いね――」
京弥が言い終わらない内に、途轍も無い衝撃波が深淵様の掌から放たれた。
京弥はおろか、桜花すらも吹き飛ばされ体が宙に浮く。
身動ぎ一つ出来ない状況の中、深淵様は京弥では無く桜花に凄まじい速度で肉薄して来た。
桜花は全力で刀を振り深淵様の腕を弾き返すが、壊れはしなかったものの得物が弾き飛ばされた。
「(《呪詛針》……!)」
京弥は桜花に迫る深淵様の背後に、細長い針を投げ付ける。針は何故か真っ直ぐに飛び、深淵様の背に突き刺さる。
針には《七歩雫》が塗ってあり、《七歩雫》は異形にも効く事が確認されている。
「早く抜いた方が良いよ、直ぐに毒が――」
またも京弥が言い終わらない内に、深淵様は人間では在り得ない関節の曲げ方をし、己の爪で背中ごと抉った。
「随分と決断が早いね……」
あっさりと自傷した事に、京弥は驚いて肩を落とす。
「動けるかい、桜花君。零君に特等の深淵様が現れたって伝えて欲しい」
「と、特等……?!」
桜花は薄々感じていた。伍等や肆等で無ければこの前見た準壱等とも一線を画す。ましてや特等探索者の京弥ですら苦戦を強いられている。
特等以外の何物でも無かったのだ。
「何故零殿を……? 京弥殿でも苦戦しているじゃ無いですか……!」
「答えている暇は無いから早くして欲しいな……」
戸惑ったものの、桜花は京弥の言う様に零を探しに駆け出した。鉄打の刀を拾って。
「さてと……彼が来るまで持ち堪えさせて貰うよ」
そう言うと、京弥は再び《祓イ刀》を構えた。
桜花は走り零を探す。まだ《百鬼夜行》が始まってからまだ四半刻も経っていない。
あちらこちらで探索者が異形と戦っている。
「(零殿はどこに……?)」
桜花は周りを見回す。
鎧を身に纏った探索者、違う。
大きな矛を振り回す探索者、これも違う。
「(ただでさえ暗いのに《晦冥ノ羽織リ》を着てるから……)」
それどころか《寂滅ノ面》を付けていたら絶対に見つからない。
零を探す事、それは下手をすれば深淵の底に辿り着く程の難題かも知れない。
「そうだ、呼んでみれば見つかるかもしれない……!」
桜花は立ち止まり深く息を吸う。脇を締め、腕を曲げて肘を腰に当てる。
そして叫んだ。
「零殿ぉ!! どこですかぁ!!」
周りの探索者は驚き振り返る。あまりの声量に異形すらも振り返り、刹那の間だが動きを止めていた。
零は鉄打の作業場に居た。勿論暇を持て余している訳では無い。
「急げ……!」
「わあってるって! 後は柄糸を巻くだけなんだよ……!」
急かされながらも鉄打は、職人の手捌きで赤い柄糸を巻いていく。
「よっしゃできた! ほら持ってけ!」
そう言って鉄打は、出来上がったばかりの刀を零に投げ渡す。
「助かった。早速わた――」
その時、零の耳に何処からか声が聞こえて来た。微かではあったが、周りに居る探索者とはまるで別の声。
「何だこの声……?」
「声? 俺には聞こえねえぞ」
「気の所為か……」
零はそう言って溜め息を吐く。
しかし直ぐに同じ声が聞こえて来た。
「――気の所為じゃ無い……! あの馬鹿……」
零はそう言って、凄まじい速度で作業場を出て行った。
桜花は零が来るまでひたすらに叫ぶ。
「零殿ぉ!! どこですかぁ!!」
もはや周りの探索者も慣れたのか、桜花の声を聞きながらも異形と戦っている。
「零殿ぉ!! ど――」
「五月蠅いぞ……!」
何時の間にか背後に居た零が、片耳を塞ぎながら手に持っていた刀の鞘で桜花の頭を小突く。
「零殿、京弥殿が!」
「鏑木がどうした……?」
「出たんですよ!」
「何が」
「特等の深淵様が!」
「何……?!」
零は顔を顰めて走り出す。桜花も慌ててその後を追った。
「深淵は何処だ……?!」
「この先の角を、三つ曲がった先です!」
零は桜花の案内通りに角を曲がり、京弥の元へと向かう。
「れ、零殿! その刀は何なのですか?!」
桜花の言葉に、零は「あぁ」とだけ呟いて刀を桜花に投げ渡す。
「鉄打に頼んでいた刀だ。使い方は後で教える」
「(後で?!)」
二人は京弥の元へと辿り着く。そこでは、未だ京弥と深淵様が戦っていた。
「奴が特等か……鏑木! 《祓イ刀》を渡せ!」
零はそう言うと、満身創痍の京弥はあっさりと《祓イ刀》を手放す。
軽々と投げられたそれを受け取り、零は思い切り振った。
「(凄い……零殿も軽々と……)」
まるで舞を踊る様に零は《祓イ刀》を振り回す。
深淵様は爪を駆使する余裕も無く、腕で刀を弾く事しか出来ていなかった。
「零殿、その深淵様は空間の放出ができます!」
「空間の放出……?」
一瞬だけ零の意識が桜花に逸れる。その瞬間を狙って、深淵様は腕を突き出した。
「くっ……!」
零は深淵様の爪を既の所で辛うじて躱す。
「丁度良い。四月朔日、援護しろ」
「え? はぁ!? 何言ってるんですか、無理ですよ!」
「だったらあっちの終焉を一人で片付けろ。参等だ」
桜花は零の無茶振りに、零への信用を失いつつあった。
しかし、周りに探索者が居なければ、京弥も手負いの状態。
引くに引けない状況だった。
「分かった分かりましたから! この刀の使い方を教えて下さい!」
「そっち、来るぞ」
零は桜花の言葉を無視し、終焉様が肉薄した事を告げる。
桜花は「あぁもう!」と悶えながら刀を差し替え抜刀する。
「何ですか、これ……」
桜花が引き抜いた刀の刀身は、桜色に輝いていた。
刀身に見惚れる桜花に使い方の説明をする為、零は《祓イ刀》を本気で振り深淵様を家屋に叩き付ける様に弾き飛ばした。
深淵様が起き上がるまで、僅かに隙が出来る。
「四月朔日、確り握って思い切り柄頭を叩け」
言われた通り桜花は柄を握り締め、力強く柄頭を叩く。
その瞬間、柄に激しい音と衝撃が伝わり、鍔と鎺の隙間から鉄砲の様に炎が噴き出した。
「うわっ?!」
「一、二、三……! 今だ、切り付けろ!」
桜花は零に言われるまま終焉様に刀を振り下ろす。
終焉様は、掌に付いた口で喰らう為桜花に向かって腕を振り払う。
桜色の刀身と終焉様の腕がぶつかり合うと、終焉様の皮膚が溶ける様に切り裂かれた。
「え……?!」
桜花は驚きの声を漏らす。終焉様の腕は、正しく溶断された。
「刀身は鋼と、お前が手に入れた《鉄火鉱》の合金だ。熱伝導性が高い」
柄の中に入っていた火薬を、柄頭を叩く事で炸裂させる。
その際に発生した炎を鍔と鎺の間――本来あるべき切羽を取り除いて――から放出し、炸裂の熱を刀身に伝える刀。
「(あれで暫くは戦えるだろう……俺はこっちだ……)」
零は眼前で起き上がる特等異形、深淵様を見据える。
「空間の放出とは何なんだ……?」
呟く零に応える様に、深淵様は空間の放出を行った。その瞬間深淵様を中心に、圧迫感と共に何かがぶつかった様な衝撃波が発生する。
「これか……!」
頭の穴で空間を呑み込み、呑み込んだ空間を物理的に放出してぶつける。
この深淵様の得意技らしい。
零は《祓イ刀》を地面に突き刺し、吹き飛ばされるのを抑える。
衝撃波が治まると、零は自分の身の丈よりも大きい刀を振り回し、再び深淵様に肉薄する。
零は《寂滅ノ面》を被り、姿を消す。
何故零が《寂滅ノ面》を被って刀を使わないのか、それは今の状況を見れば分かる。
例え《寂滅ノ面》を被っていたとしても、何故か手に持っている刀や道具は不可視にならないからだ。
つまり今は、深淵様を切り刻む《祓イ刀》が空中を舞っている様に見えるという事になる。
「凄いね……(彼ならば、或いは……)」
京弥は思わず呟き、空を舞う《祓イ刀》を眺める。
しかし深淵様は、零が右手で刀を持っていたのを覚えていたのか、刀の左側に向けて爪を突き出す。
「零君……!」
刹那、深淵様の片腕が切り飛ばされた。
「何してくれる、危ないだろうが……」
《寂滅ノ面》を取った零は、呟きながら深淵様を睨み付ける。
零は深淵様の攻撃に辛うじて反応し、その腕を断つに至った。
深淵様は片腕を失った事で警戒を強め、零から距離を取る。
「随分と学べる深淵だな……この調子では殺せないか……」
零はそう呟くと、《祓イ刀》を地面に置いてあった鞘に納める。
「返すぞ、鏑木」
「どうやって倒すんだい……?」
京弥は尤もな質問を投げ掛ける。しかし零は何も言わず、ただその腰部に佩かれた短刀に手を掛けた。
「目には目を、歯には歯を。特等には特等を……」
零は僅かに短刀を引き抜き、その刃が垣間見える。
「特等装備、《断空》……」
その瞬間、零は短刀を引き抜いた。
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