第弐話 鬼
「《火垂ル石》に《火群草》、《甘々草》ですね。回収させて頂きます」
零と桜花が出会ってから数日後、二人は探索で手に入れた奈落装備を本部に提出しに来ていた。
探索者補佐の荻内は提出された、既に登録されている奈落装備を回収していく。
「奈落装備は手に入れた人の物なんですよね? なのに何故提出しているのですか?」
桜花は零に素朴な疑問を投げ掛けた。
奈落装備は基本的に、手に入れた探索者が手放さない限りその人物の物になるのだ。
「ずっと溜め込んでも意味が無いだろう。必要の無い装備は提出して本部で管理、保管するんだ」
桜花は「成程」と呟いて頷く。
「まぁ、準壱等以上の装備は一度回収されるがな」
「そうなんですか?」
「弐等以下の探索者は準壱等以上の装備を所持出来ない。準壱等以上に分類される装備の力は絶大で、軽率に伍等探索者が持っていて良い代物じゃ無い」
つまり桜花は、まだ準壱等以上の装備を所持出来ないと言う事になる。
零の解説が終わった頃、装備を保管に行った荻内が戻って来た。
「お待たせしました。他に何かありますでしょうか?」
「いや、特には無い。この後は此奴も連れてもう少し下の方まで行くつもりだ」
「本当ですか!?」
桜花は喜び声を上げ、零は桜花の声に耳を痛める。
「そうですか、お気を付けて行って下さい」
荻内はそう言って二人を送り出し、零は踵を返し探索者本部を出ようと振り返る。
「あ、そう言えば」
思い出した様な荻内の言葉に、零は振り返ると聞いた。
「どうした?」
「あの装備の調子はどうですか?」
荻内は敢えて伏せる様な言い方をするが、零と桜花には伝わった。
「今の所は問題無い。効果の発動条件も仮説通りらしい」
「分かりました。ですが使用は控えて頂きたいです。何が起こるか分からない以上、周辺への被害も可能性としてはありますし」
「了解だ。必要以上の使用はしない」
零の言葉に荻内は「助かります」と返事をし、二人は本部を出て行った。
零の《消失ス刀剣》の刃に貫かれ、深淵様はその場に倒れる。
「また深淵様ですか……いい加減他の異形も見てみたいですよ」
「悠長な事を言うな。他の異形は深淵より余程厄介だぞ」
「零殿は他の二種類を見たことがあるのですか?」
「当たり前だ。お前とは歴も階級も違う」
零の否定的な言葉に桜花は僅かに拗ねた。
「どう言う訳か深淵は、下に行けば行く程異形が強くなる。今が楽なだけで、底に辿り着こうと思えば死を覚悟して潜る他無い。甘く見るなよ、深淵を……」
「うぅ……」
桜花は零の睨みに顔を顰める。
「そ、そう言えば、零殿の奈落装備はどんな物なのですか?」
「どんなって、どういう事だ」
「ほら、《消失ス刀剣》と《寂滅ノ面》だけでは無いでしょう?」
「そう言う事か……そうだな、まだ教えていないのは《晦冥ノ羽織リ》だけか……」
「《晦冥ノ羽織リ》?」
「この羽織の事だ。《消失ス刀剣》と違って光を殆ど反射しない。だから夜の闇に紛れて行動出来るんだ」
桜花は「成程」と呟き、零の墨色の羽織をまじまじと眺める。
「あれ? これは何なんですか?」
桜花はそう言って、《晦冥ノ羽織リ》の襟の部分に付いている余分な布を指差した。
「さぁな。何故付いているのかは知らんが、頭巾の様な被り物として使える。顔を隠すのには役立つだろう」
そう言うと零は歩き出し、深淵の下へと向かう。
その間桜花は、「(零殿って隠すか隠れるかしかしてないような……)」と思っていた。
深淵を少し下がり、二人は辺りの探索を始める。
桜花は初めに、唐紅の石を見つけた。
「あ、これ。最初に深淵に来た時落ちてました」
「《鉄火鉱》か。鉄と同等の硬さの金属鉱石だ」
肆等装備《鉄火鉱》。
光の加減によって表面が炎の様に揺らいでいる様に見える。
「何故《鉄火鉱》なのですか?」
「紅い部分を暫く触っていれば分かる」
零に言われた通り、唐紅の金属に桜花は触れる。
桜花は初めこそ「冷たい」と呟いていたものの、直ぐにその性質を理解した。
「ほんの少しの間しか触れていないのに、もう金属が温まりました……!」
「そうだ。熱の伝わる速度が尋常じゃ無く速い。人肌でも十二分に温まる」
桜花は零の解説に感心しながら頷いた。
「見つけたのはお前だ。お前が持っていろ」
「本当ですか! ありがとうございます!」
桜花は微笑んで礼を言い、零はそれに対して「五月蝿い」とだけ返した。
日が暮れ始め、零と桜花は探索を終了させる。
手に入れた物を巾着袋に詰めて二人は帰途についた。
「結構な収穫だったな。この調子ならお前も直ぐに肆等に上がれる」
「本当! ――本当ですか?」
桜花は遂に声を抑える事を覚え、訂正する様に言い直す。
「あぁ、元々伍等自体が訓練期間の様なものだ。一旬もすれば本部から連絡が来るだろう」
その言葉に桜花は笑顔を浮かべる。
するとその時、二人の視界の先に二本の角の生えた異形が現れた。
言うなれば、伝説の中の鬼の様な。
「鬼……? 新しい異形ですか……!」
桜花は笑みを浮かべ、刀に手を掛けながら角の生えた異形へと近付く。
「おい、馬鹿! 不用意に近付くな!」
「え……?」
「――喰われるぞ!」
零が言うのとほぼ同時に、異形の視線が桜花に向く。
次の瞬間、白鼠色の体に墨を塗りたくった様な斑な異形の腹が肥大化し、桜花に向け迫って来た。
腹は中央で割れ、牙の様な白い物が並んで見える。文字通り桜花を喰らおうと腹を開けたのだ。
「ぐっ……!」
零は桜花の着物を引っ張り、口を閉じた異形から遠ざける。
「何なんですかあれは……こんなのまさしく化け物……」
「彼奴は異形種の一体、終焉様だ」
「終焉様……」
喜びから一転、二人は死すらもあり得る状況へと陥った。
「階級で分類するなら奴は弐等と言った所か……」
「どうしますか……?」
桜花は不安気な表情を浮かべ零に聞く。それに対し零はこう答えた。
「今此処で奴を殺す……!」
そう言うと零は《消失ス刀剣》に手を掛ける。
終焉様に肉薄すると同時に《寂滅ノ面》を被り姿を消した。
「援護しろ!」
「はい!」
零の声を合図に桜花も肉薄する。
終焉様は一度腹を戻し、桜花に向かって腕を振るう。
「このっ!」
桜花は刀を引き抜き終焉様に振る。
その瞬間、嫌な音がして桜花の刀は折れた。
「そんな?!」
深淵様でも無いのにどうして、そんな考えが桜花の頭に浮かぶ。その答えは直ぐに分かった。
「食べてる……」
そう、終焉様の掌に口が付いていたのだ。
掌の口が桜花の刀の半ばを捉え、喰らってしまった。
終焉様は桜花に向けて腕――否、掌の口を振った。
しかし終焉様は不可視の零に蹴り飛ばされ吹き飛んで行った。
「た、助かりました……」
「武器が無くなったか……お前はこれを使え」
《寂滅ノ面》を取った零はそう言って、桜花に《消失ス刀剣》を渡す。
「れ、零殿はどうするのですか?!」
「問題無い。くれぐれも壊すなよ……」
零は再び《寂滅ノ面》を被り姿を消した。
その足音から察するに、終焉様に肉薄した様だった。
終焉様は、姿の見えない零の攻撃を受ける。《消失ス刀剣》を桜花に渡している以上、零の武器はその四肢のみだった。
「(私も……!)」
桜花は元の刀の鞘と《消失ス刀剣》を入れ替え、終焉様に肉薄する。
「はあぁっ!」
桜花は気合を入れて《消失ス刀剣》を振り下ろした。
零が作った隙を突いて、桜花は終焉様に袈裟切りを繰り出した。桜花の刀は終焉様の肩から胴に掛けてを切り裂く。
「よくやった」
そう言って零は姿を現す。その手には僅かに擦り傷があった。
「大丈夫ですか……?」
「問題無い。それよりも、まだ奴は死んでないぞ」
零の指差す先の終焉様を見て、桜花は息を飲む。
人間なら疾うに死んでいる程の深い傷を負っているにも拘わらず、終焉様はゆっくりとではあるが立ち上がっていた。
「どんな異形も弱点は変わらない。胸部を貫けば息の根を止められる」
「分かりました……!」
桜花は《消失ス刀剣》を握り締め、一度鞘に納める。
「ふぅ……」
深く息を吐き、集中力を高めたその時、終焉様の腹が再び膨張を始めた。
「来るぞ」
零は声を掛けるが桜花は何も答えない。
その間にも終焉様の巨大な腹は迫って来る。
終焉様の腹が目と鼻の先まで来た時、桜花は抜刀した。その一閃は終焉様の胴をもう一度切り裂いた。
「せいっ!」
桜花は掛け声と共に刀を突き出す。
それは終焉様の満身創痍の胸部を貫き、命を絶つに至った。
「はぁ……」
桜花は深く溜め息を吐くと尻餅を搗く。
「返せよ、《消失ス刀剣》」
「あ、はい。済みません……」
差し出された零の手に桜花は《消失ス刀剣》を手渡す。零はそれを腰に差すと、終焉様の死体を眺めた。
「不思議ですね、異形の死に方は……」
異形は死ぬと、段々と黒い灰となって朽ちていく。
やがて異形の灰は風と共に散っていく。人間と違い跡形も残らず、朽ちるまでも短い。
異形は、何処から持ってきたの小汚い衣服を身に着けている。
深淵様は小紫色の羽織を、終焉様は性質上上半身には何も身に着けていないが、紺鼠色の裁付袴を身に着けている。
それらの衣服も、異形の死と共に朽ちて灰になっていく。
「すっかり日が落ちてしまった……帰るぞ、四月朔日」
零はそう言うと再び地上への帰途につく。
既に日は沈み暗くなり始めていた深淵を、二人は地上へと戻って行った。
零と桜花は探索者本部に戻るといつもの様に荻内に装備を提出する。
「随分と遅かったですね、何かあったんですか?」
荻内は装備を受け取りながら零に聞く。
「戻ろうとした直前、弐等級の終焉に出くわした。普段より下に行ったとは言え、まだまだ上層も上層だ。しかもこの前は、準壱等の深淵を見た」
「それは災難でしたね……上層に準壱等って、とんでもない……」
荻内は怪訝な表情を浮かべて言う。
通常、上層に現れる異形は精々参等が限度。準壱等ともなれば中層にまで行かなければ殆ど現れない。
つまり、異形が段々と地上を目指している可能性があるという事……。
その事に零や荻内は気付いていた。
「異形が地上に……まさかそんな事は――」
「いや、そのまさかだと思うぞ」
零の平然とした言葉に、荻内は驚いて息を飲む。
「丁度周期的にも辻褄が合う。九分九厘、あれだな……」
「ちょっと、何の話をしてるんですか?」
二人の会話に置いて行かれている桜花は、到頭二人にその内容を問う。
「月が蝕まれる時、深淵より無数の異形が出でる……」
「だから、何の話を――」
「《百鬼夜行》だ」
「《百鬼夜行》……?!」
桜花は零の言葉を繰り返す様に呟いて驚く。
それとは対照的に、荻内は沈黙して俯いていた。
「あぁ、およそ三年に一度、月が陰り月蝕が起こる夜、深淵から異形が多数上がって来る。月が隠れる時間は、長い時では半刻を超える」
「それがもう直ぐまで迫っているという事ですか……?」
桜花の不安気な言葉に、零は淡々と頷く。
「ど、どうすれば防げるのですか……?!」
「残念だが防ぐ事は不可能だ。俺達に出来るのは、月蝕が終わるまで異形から耐え凌ぐ事だけだ」
そう言うと零は振り返り、荻内の方を向く。
「探索者本部に告ぐ。至急特等探索者を招集してくれ」
「わ、分かりました……!」
荻内はそう言うと屋敷の奥へと引っ込んで行く。
「どうやって集めるのですか……? どこに居るかも分からないのに……」
「今本部に居る全探索者に言伝を頼むんだ。噂を流す様にすればあっという間に目的の探索者の元まで情報が辿り着く。まぁ、それでも時間は掛かるが……」
零はそう言うと天井を仰いだ。
「これで三度目か……《百鬼夜行》に巻き込まれるのは……」
「三度目……?」
桜花は零の言葉に疑問を抱き呟くが、零はそれ以上何も言わなかった。
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