父の誤算
父と兄の間に挟まれ、私は謁見の間で跪いている。
目の前には、これからやってくる蒼蓮様が座るであろう椅子。言いようのない緊張感が漂っていた。
一体、何を告げられるんだろう。
丁重な扱いを受けたので、悪いことではなさそうだけれど……。
待つこと数分。
カタ、と小さな音が鳴り、部屋の奥に見えていた黒い格子扉が開く。
「蒼蓮様のお越しにございます」
兄と同じ、黒衣に紫の帯をした上級官吏が主の訪れを告げる。
私は低頭していて、蒼蓮様の足元だけが視界に入った。
「顔を上げよ。めんどうな挨拶は省きたい」
昨日、聞いたばかりの低い声。
違和感のあるそれは、一体どこで聞いた声だったか。
それにしても、いきなり顔を上げろだなんて随分と合理的な人だと思った。
普通なら「光燕国を統べる皇族であらせられる~」から始まる、蒼蓮様を称える長い長い慣例文を官吏が述べるところから始まるのだが、何もかもを省略するなんて話が早い。
「「仰せのままに」」
両隣の父と兄がそう声を揃え、すぐさま従うのを感じ取り、私も二人にならって頭を上げる。
すると、そこには椅子に座った見目麗しい男性がいた。
「…………!?」
私は驚きで目を見開く。
瞬きすら忘れ、蒼蓮様だというその方を凝視する。
彼は驚く私を見て、満足げな顔で尊大に微笑んだ。
「柳家の娘よ、昨日はよい演奏だった」
思わず見入ってしまいそうになる、洗練された容貌。涼やかな目がまっすぐに私を見下ろしている。
間違いない。
今は艶やかな長い黒髪に光沢のある赤い玉の飾りをつけていて、藍色の長衣に穏やかな緑の羽織という皇族らしい姿だが、どう見ても昨日私を乱暴に運んだあの武官と同じ顔だ。
御簾越しに声をかけられたときは突然のことで気づかなかったけれど、声も確かに同じだった。
え、あのとき蒼蓮様が隣の間にいて、直々に皇后候補を見定めていたっていうこと?
武官のふりをして?
思い出すと、彼が私を荷物みたいに運んだとき、誰にも何も言われなかったのはおかしい。
上級官吏の男性も、蒼蓮様だから何も咎めなかったんだわ。
知らなかったとはいえ、何か粗相はなかったかと全身から血の気が引いていく。
愕然とする私に向かって、蒼蓮様は淡々と話を続けた。
「その二胡は、そなたにやる。蔵に安置されるより、誰かに弾いてもらう方が幸せだろうからな」
「は、はい……」
それだけしか、言えなかった。
私が露骨に狼狽えていると、父はそんな娘の様子をごまかすように、蒼蓮様の意識を自身に向ける。
「本日は、お声かけくださり誠にありがとうございます。わが娘に急ぎ知らせがあると伺いましたが、果たしてどのようなことでしょうか?」
父の声色は、明らかに弾んでいた。
蒼蓮様が私を見初め、妃にしたいとでも言うと思っているのだろうか?
昨日のあのやりとりから、それは絶対にないなと予測できる。
蒼蓮様は、父が何を期待しているのかわかった上で、とてもにこやかに言った。
その笑顔に、なぜか背筋がぞくりとしたのは気のせいかしら?
「あぁ、実に大事な願いがあってそなたらを呼んだ。今日ここへ来てもらったのは、柳家の娘をもらいうけたいと思ってのことだ」
まさかの言葉に、兄も私も絶句する。
父だけは、歓喜に震えながらすぐさま返事をした。
「そ、それは誠、ありがたき……!」
ところが、蒼蓮様は笑顔で告げた。
「そうか、了承してくれるか。それでは、柳凜風を皇帝陛下の世話係としてもらいうける」
「………………………………は?」
「任期は、皇帝陛下が政務を行えるようになるまで。もしくは、柳凜風の体調や気持ち次第。退任は早くとも25歳を過ぎるだろうから、その先はひとりでも不自由なく暮らせるよう金子を用意する。当然、二ヶ月ごとに給金も支払うし、衣食住にかかる費用はすべて後宮管理費から支出する。柳家はただ娘を送り出してやるだけでよい」
つらつらと決定事項を並べ立てた蒼蓮様は、蒼褪める父を前に少しも憐憫の情を見せず、満足げに礼まで述べた。
「此度のこと、誠に助かった。乳母が体調を悪くして、今いる者だけでは心もとなかったのだ。陛下は宴で披露した二胡を随分と気に入られてな、そのお姿を見ていると『これは』と天啓を賜ったような気がしたのだ。誠、ありがたいな!」
蒼蓮様と父の顔を交互に見比べると、その温度差は計り知れない。
絶望を滲ませる父だったが、かろうじて挙手し、息も絶え絶えになりつつかすかな抵抗を試みる。
「お、お待ち、くだ、さい」
「ん?何だ?」
「昨日、我が娘にこの二胡をお貸しくださったのは、蒼蓮様が娘をお気に召したからではなかったのですか……!?これは詩詩妃の……」
父の訴えに、にこりと微笑む蒼蓮様。
どう考えても、この人には勝てない。直感でそう思った。
「それがどうした?確かにこれは母の物ではあったが、二胡は二胡だ。よい物だから、弾ける者に与えたに過ぎん。それに、この娘を気に入ったのも事実だ。陛下のそばに置きたいくらいにな」
母って、蒼蓮様のお母様の二胡ってこと!?
すでに亡くなられているとはいえ、皇妃様の二胡をいただいてしまったのかと思った私は恐れ多くて絶句する。
「娘は、娘は……17歳でございます。今ならまだしも、世話係を勤め上げた後にどこへも嫁げなくなるのはさすがに親として忍びなく」
この期に及んで娘を気遣うようなことを言う父に、私は呆れた。
だが蒼蓮様は、そんな戯言に耳を貸すことはなかった。
「そうか。ならば本人に尋ねよう。柳家の娘よ、そなたはどうしたい?断っても罪には問わぬぞ」
黒い瞳が、ぱちっと私のそれとかち合う。
あぁ、彼は私がどうしたいかを知っている。
そしてこの状況をおもしろがっている。
「わたくしは、皇帝陛下のおそばで仕えたいと思います」
わざと仰々しく、感謝の意を示しながらそう答えた。
「凜風!」
父が久しぶりに、声を荒げた。
私は澄ました顔で、続きを述べる。
「恐れ多くも、皇帝陛下の世話役になれるなど柳家の誉れにございます。父上、凜風は誠にうれしゅうございます」
にこりと笑ってとどめを刺せば、父は今度こそがっくりとうなだれた。
それを見た蒼蓮様は、満足げに頷く。
「では、本日よりこちらへ越して参れ。柳右丞相は帰ってよし!あぁ、秀英は兄として妹に付き添うこと。明日は朝から案内もしてやれ」
あっけなく決まった私の宮仕え。
すべての目論見がご破算となった父は、いつもの威厳も威圧感もどこへやら。
「では、また会おう」
蒼蓮様は椅子から立ち上がり、くるりと背を向けて去っていく。
この後、謁見の間に残された私たち親子に会話はなかった。




