お呼び出しです
宴の翌朝。
父の目論見通り、私を嫁にと望む文が届き始めた。
偶然、邸にいた兄は使者の相手に忙しく、私は自室に引きこもっている。
すべてが父の思い通りに進んでいるこの現状が嫌で、私は不貞腐れていた。
母は幼い弟を連れて花を愛でに出かけ、私のことはそっとしておくようにと使用人たちに告げたそうだ。
父のやり方には、母も思うところはあるようだったが、結果的に良縁に繋がればそれでよしという気持ちも同時にあると言っていた。
女として思う部分と、母として思う部分はまた別らしい。
確かに、李家に嫁ぐ話はなくなったも同然だ。
これで本当に良縁が見つかれば、私の憤りも不満もすべて水に流れるかもしれない。
でも、でも、それでも!
今の私は胸の内がもやもやしていて、怒りのやり場が見つからない。
「はぁ……」
もう何度目になるかわからないため息。
寝台の上で、袖や裾がシワになることも構わずだらりと四肢を投げ出す。
枕元には、昨日借りた二胡がある。
これを貸してくれた上級官吏の男性は見つからず、ほかの人に尋ねたところ、「お持ち帰りください」とだけ告げられた。
後日、兄を通じて返すことになるんだろう。
気分が晴れないから、二胡を弾く気にもなれない。
すでに陽は高い位置にあり、緑の色を鮮やかにした木々は清々しい。
それなのに、私は寝台の上で意味なく座り込み、ぼんやりと窓の外を眺め続けた。
まるで、気の抜けた人形のようだ。
そんなことをふと思ったとき、廊下をバタバタと慌ただしく走る音が聞こえてくる。
──ドンドンドン!
「凜風!急ぎ支度をしろ!」
部屋に飛び込んできたのは、兄だった。
その手には、何やら木札を持っている。
見覚えがあるそれは、宮廷からの呼び出しの際に使われるものだ。
夜中に兄が呼び出されるときには、これを持った使者がくる。
でも、なぜ私?
戸惑う私の腕を強引につかんだ兄は、引き連れてきた使用人女性に私の着替えを用意するよう命じ、髪結いの老婆にも声をかける。
「宮廷に向かう!凜風に、華やかな装いを!光燕一の美女に仕立て上げるのだ!」
「兄上!?」
「いかにも優しそうで純朴そうな姿にしてくれ!気の強さが微塵も出ないよう!」
「いきなり来てその言い草は酷いです」
使用人たちは、兄に命じられたまま準備に取り掛かる。
「「かしこまりました」」
何がなんだかわからないうちに、私は着替えをさせられ髪を結われ、丁寧に化粧を施された。
準備ができると、兄は牛車の前で待っていて、その手には私が借りた二胡の筒がある。
「兄上?それを返しに行くということですか?」
兄が返してくれればいいものを、私まで着飾って宮廷へ向かう必要があるの?
きょとんとしていると、兄は笑顔でそれを否定した。
「これはもう凜風の物だ。蒼蓮様が、おまえにやると言うてくださった」
「え?なぜ蒼蓮様が?」
いえ、わかりますけど、宮廷の二胡だからそれは蒼蓮様の物といえることもわかりますけれど!
でもなぜ、二胡のことをわざわざ蒼蓮様が把握しているの?
文化室という宴や催しを管理する部門があるはずで、そういう意味で「なぜ」が募る。
兄は私を牛車に押し込むように乗せ、「詳しいことはご本人からお話がある」と言って扉に手をかける。
「大丈夫、蒼蓮様はよきお方だ。宮廷についたら、父も共に謁見することになっているから心配無用」
「はぁ!?」
兄から話を聞けたのはここまでで、扉を閉められ、その姿は見えなくなった。
私は二胡の筒と共に、宮廷へ運ばれるらしい。
蒼蓮様が、私を呼び出したってこと?
宮廷で、父と共に蒼蓮様に拝謁する。今のところ、それしか情報はない。
皇后に選ばれた、なんてことはどう考えてもない。
蒼蓮様に見初められた?
まさかね……。でも、女好きだっていうからまったくあり得ないことでもない?
「どうしよう」
まさか、いっときの遊び心で慰み者にしようっていうんじゃないわよね!?
女官や使用人が、身分の高い者にいいようにされるっていうのはよくあるらしい。
いやいやいや、大丈夫よ。
いくらなんでも、それなら兄が止めてくれるはず。しかも父同席でっていうのは、そういうことじゃないっていう証よね?
結婚する気もない、でも遊ぶ気もない。
その状況で、今日の呼び出し理由は何?
自問自答を繰り返し、宮廷までの道のりで私が思い至ったのは────
まっっっっったくわかりません!ということだった。
宮廷に到着すると、昨日、私の簪を付け直してくれた女官が出迎えてくれる。
「ようこそいらっしゃいました」
恭しく礼をされ、彼女のまわりに控えていた女官たちも一斉に頭を下げる。
え?何この好待遇。
5大家の娘とはいえ、これはいくらなんでもおかしいのでは。
何だか恐ろしくなり、緊張感が増す。
「よ、よろしくお願いいたしますね……?」
何をよろしくなのか。
自分で言っておきながら、言葉の意味がわからない。
私は引き攣った笑みを浮かべ、牛車を降りる。
あぁ、正面には朱色の屋根が輝く本殿がある。昨日訪れた後宮よりもさらに目立つ大きな造りは、とてつもない威圧感があった。
あんなに腹立たしいと思っていた父ですら、早く会いたいと思ってしまう。
「ここからは、私がご案内いたします」
目の前に現れたのは、上級武官の装束を纏った屈強な男性。
左目の上に傷跡があり、荒事に慣れていそうな粗野な雰囲気がある。
一見すると私が連行されているようにも思えてくるが、多分この人は護衛だろう。
蒼蓮様の目的は不明だが、宮廷内でわざわざ護衛をつけてくれるなんて、敬意をはらわれているのは伝わってくる。
私は二胡の筒を抱えながら、屈強な武官と共に本殿の中へ入っていった。