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皇帝陛下のお世話係〜女官暮らしが幸せすぎて後宮から出られません〜  作者: 柊 一葉
第三部

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72/73

家族

 春の夕焼けは鮮やかで美しい。

 後宮に姿を見せた蒼蓮(ソウレン)様はその黒髪が夕陽に照らされ、きらきらと輝いて見えた。


 采和殿(サイカデン)の入り口にて一人で出迎えた私は、いつものように合掌する。


「お待ちしておりました」

「…………あぁ」


 不機嫌そうな声音は、今宵の呼び出しに納得していないという雰囲気だった。

 普通の宮女なら足が竦むような冷たい雰囲気だが、私は知らぬ存ぜぬで笑顔を向ける。


「太皇太后様がお待ちです」


 さぁすぐに奥へ……、と案内しようとしたところ、いきなり顔を寄せられた。


「なぜ私まで食事に参加せねばならん? 紫釉(シユ)陛下と太皇太后の二人でよいではないか」


 どきりとして一歩下がれば、また一歩近づかれてどんどん壁際へ追い込まれる。これではまるで、尋問されているようだ。


紫釉(シユ)様が、三人でお食事がしたいとおっしゃったのです……!」

「だからといって、皇帝として呼び出すことはないだろう」

「だって、そうでもしなければ理由をつけてお逃げになると思って……!」


 三人でのお食事が実現できるかどうかは、蒼蓮(ソウレン)様の御予定次第だった。たとえ空いた時間に予定をねじ込んだとしても、「逃げるのでは?」と静蕾(ジンレイ)様や麗孝(リキョウ)様がおっしゃって、だから私は兄に相談して「どうすれば確実に蒼蓮(ソウレン)様を食事に参加させられるか?」を考えたのだ。


秀英(シュイン)だろう? 陛下やそなたにいらぬ知恵を吹き込んだのは」


 皇帝陛下の召喚状。

 これまでしばらく使われていなかったが、これがあれば拒絶はできない。


 もちろん、蒼蓮(ソウレン)様のお立場なら無視することもできなくもないのだが、いつも紫釉(シユ)様を皇帝陛下として立ててきた彼は召喚状に従うだろうと兄は言った。


 そして、予想通り蒼蓮(ソウレン)様はこうして後宮へ来てくださった。


「三人でお食事をなさる前に、太皇太后様とのお時間をいただきたいのです」

「今さら話すことなど……。向こうだって私の顔を見るのはつらいはずだ」

「太皇太后様はそんなこと一言もおっしゃいませんでした。……蒼蓮(ソウレン)様はお嫌ですか?」


 そう尋ねれば、蒼蓮(ソウレン)様はぐっと押し黙って目を逸らす。


「嫌ではない。どうしていいかわからぬだけだ」


 いつも冷静な蒼蓮(ソウレン)様にしては、めずらしく戸惑っているように見える。

 私はその大きな手に自分のそれを重ね、願いを込めながら訴えかけた。


「余計なことをしているとわかっております。でも、このままではよくないと思いました」


 今を逃せば、またいつ会えるかわからない。太皇太后様のお年やお体のことを思えば、あと何度会えるかという状況だろう。


「せめて、あの方のお心を蒼蓮(ソウレン)様に知っておいて欲しいと思ったのです」


 ぎゅっと握り返された手は、言葉のそっけなさとは裏腹に怒っていないと言っているようだった。

 太皇太后様と同じく、蒼蓮(ソウレン)様もまた迷っているのだ。そんな気がした。

 私はまっすぐに彼の目を見て言った。


蒼蓮(ソウレン)様は、紫釉(シユ)様と家族になられるために朝餉を共にしてこられたではありませんか。今宵は、どうか太皇太后様とも家族の時間を持ってくださいませんか?」


 返事はなかった。

 少し強引に腕の中に引き寄せられ、ただしばらく無言のときが過ぎていく。


蒼蓮(ソウレン)様?」

「…………」


 人払いをしていてよかった。腕の中でじっとしながら、そんなことを思っていた。

 蒼蓮(ソウレン)様はそっと私を解放すると、采和殿(サイカデン)の奥へと歩いていく。


凜風(リンファ)

「はい」

「今宵のことは一つ貸しだ。あとで宮へ来い」

「えっ」


 呆気に取られる私を置いて、蒼蓮(ソウレン)様は歩いていってしまった。

 慌てて後を追うも、一体何をすれば「貸し」を返せるのかわからず混乱する。

 これは兄に相談し、リュウ家の力を使って謝罪するべきことなのかしら……?

 でも宮へ行って解決できることならば、特に大きなことにはならないのでは?


 パタパタと軽い足音を立てて廊下を進めば、扉の前に麗孝(リキョウ)様がいた。蒼蓮(ソウレン)様はすでに中へ入られたらしく、走ってくる私を見て麗孝(リキョウ)様が不思議そうな顔をする。


「どうかしたのか?」

「い、いえ。何も……」


 曖昧に笑ってそう答え、私も続いて扉をくぐった。


 丸い紫檀の机に、太皇太后様と蒼蓮(ソウレン)様がついている。

 紫釉(シユ)様はお召替えをしてから来る予定で、まだ到着していない。

 沈黙は重く、二人は互いの出方を見ているようだった。


「「…………」」


 こ、これは思っていたよりも空気が重い……。

 茶を用意した宮女たちはすでに下がっていて、麗孝(リキョウ)様と私だけが壁際で控えていた。

 白い陶器の中には、色とりどりの花びらが浮かぶ青茶。太皇太后様がお好きなお茶だという。

 蒼蓮(ソウレン)様はそれを一口飲むと、しびれを切らしたように口を開いた。


「官吏たちが騒がしかったようで、すみませんでした。今後、あなた様の宮への立ち入りは禁止するよう命じます」


 茶器に視線を落としていた太皇太后様は、驚いた様子で顔を上げた。

 まさか謝られるとは思っていなかった、という雰囲気だった。


「いえ、此度のことで思いました。やはり私はここへ戻ってくるべきではなかったと」


「どういう意味ですか?」


「私とあなたが不仲であると、官吏らは思ったのでしょう。付け入る隙を与えないためにも、私はおらぬ方がよいと思います。あなたに不快な思いはさせたくありません」


「…………」


 蒼蓮(ソウレン)様の眉間にわずかにしわが寄る。

 それは違う、と思っているようだった。


「去る前に、一つよろしいか?」


「何でしょう?」


 意を決したように、太皇太后様が切り出す。


「私を恨んではおりませんか?」


 その言葉に、蒼蓮(ソウレン)様はまた一段と険しい顔になる。はっと息を呑んだ太皇太后様は、大きく瞼を閉じて下を向いた。


 重い沈黙が流れ、お二人は互いを見ようとしない。


 しばらくの後、蒼蓮(ソウレン)様は茶に浮かぶ花びらを見ながら、脈略のないようなことを話し始めた。


「つい先日です。後宮の花を見上げ、こんなことはいつぶりだったかと……」

「?」

後宮ここで花を愛でる余裕が生まれるなど、思いもしませんでした」


 呆れ交じりにふっと笑ったその顔は、太皇太后様がやって来て初めて見せる表情で。私の知っているいつもの蒼蓮(ソウレン)様だった。


「恨んでいるのかと聞かれれば、恨んでおりますと答えるしかありません。私は、兄上を助けられず、雪梅(シュエメイ)妃を(チュアン)へ帰すしかなく、あなたの心も救えなかった。己の力のなさをずっと恨んでおりました」


「え……?」


 呆気に取られる太皇太后様。

 蒼蓮(ソウレン)様は自嘲めいた笑みを浮かべる。


「私の中で、あなたは強い女性だった。物心ついたときから、そう思い込んでいました。だから、お心に不調をきたしていることに気づきもせず……。その上、自分が楽になりたいあまりに、『なぜ燈雲(トウウン)ではなくおまえが生きておるのだ』と恨みをぶつけてくれればよいものを……、と思っておりました」


「私はそのようなことは……!」


 懸命に否定しようとする太皇太后様に、蒼蓮(ソウレン)様はわかっていますとその手で制する。


「我らは互いに、悲しみのやり場がなかったのでしょう。相手に恨まれることで楽になりたいと、そう思っていたのではないでしょうか?」


 相手をまっすぐに見られないから、気まずくなる。後ろめたさは次第に積もり、互いに顔を背けることでいつしか本心を言えなくなってしまった。

 本当は互いに大切に思っているのに、近づけなくなってしまったのだと伝わってくる。


「残念ながら、私はあなたを恨んではおりません。あなたも私を恨んではいないのでしょう」


「……そうですね」


「もうよいのではないですか? 昔、生まれてきたことが失敗だったと嘆く私に、兄は言いました。『己を許してやれ』と。今、改めてそう思います。無力でも、情けなくても、強くなくても生きていてよいのだと、己を許してやってはくれませぬか?」


「……蒼蓮(ソウレン)は、それができたのですか?」


 伺うように尋ねる太皇太后様に、蒼蓮(ソウレン)様は「はい」と答えた。

 そして、こちらを一瞥すると穏やかに微笑む。


 そのお顔の優しさに、一瞬だけどきりとした。


「こんな私でも、いてくれてよかったと言うてくれる娘がおりました。今はその者と、これからの日々を生きていけたらと思うております」


 まさかそんな風に思ってくださっていたなんて……。胸の奥に温かいものが込み上げる。

 太皇太后様は、目に涙を滲ませ大きく息をついた。


「そのような時代となりましたか……。無力でも、生きていてよいのですね」


 それは、後宮での日々を生き抜いてきたこの方にはあり得ないことなのかもしれない。

 皇后として立派に務めを果たすことを求められたこの方には、心が休まる暇もなかったのだろう。


 今はもう、力を持たねば生きていけぬような愛憎渦巻く後宮はない。これからは、お心安らかに過ごして欲しいと祈った。


 少しの無言の後、蒼蓮(ソウレン)様は改めてご自分のお気持ちを宣言される。


紫釉(シユ)陛下のことは、どうかお任せください。光燕をよりよき国へと導き、いつの日か必ず紫釉(シユ)陛下にお渡しいたします。それが私の役目であり、希望なのです」


蒼蓮(ソウレン)


「まぁ、片づけねばならぬ事柄や人間も数多おりますが……。ははっ、どうにかいたしましょう」


 一体、何をするおつもりなのですか……?

 いきなり物騒な話題になりかけたところで、蒼蓮(ソウレン)様はにこりと笑って話を元に戻す。


紫釉(シユ)陛下は、あなたの孫です。お体さえよろしければ、いつでも会いに来てください。官吏どもは私がどうにかいたしましょう。ですから……、お待ちしております」


 その言葉に、太皇太后様は目を瞠る。そして、震える声で繰り返した。


「また会いに来てもよいのですか? 私が? 会いに来ても……?」


 手巾を握り締め、感極まったように涙を流す。


 私も気づかぬうちに涙が流れていて、慌ててそれを拭った。


 蒼蓮(ソウレン)様は黙って太皇太后様を見つめていて、そこにはもう気まずさはない。お二人がこうして心の内を話すことができて、何よりだと思った。


 話に区切りがついた頃合いを見計らい、麗孝(リキョウ)様が静蕾(ジンレイ)様を呼びに行く。

 ほどなくして、美しい夕日によく似た燈色(ひいろ)の衣装を纏った紫釉(シユ)様が現れた。


蒼蓮(ソウレン)、おばあ様!」


 その小さな手には子ども用の碁石が入った袋を持っていて、嬉しそうにそれを机に乗せて広げて見せる。


「六歳の祝いにと、(エイ)殿から碁をもらったのだ」


 さすがは紫釉(シユ)様の教育係、栄先生らしい贈り物だった。

 武官の一人が石造の碁盤を運んできて、紫釉(シユ)様は覚えたての碁にすっかり夢中でやる気を見せている。


紫釉(シユ)陛下、おばあ様は大変にお強いですよ?」


 蒼蓮(ソウレン)様が笑いながらそう言うと、太皇太后様が苦笑いになる。


「そんな昔のことを……、今はもう何年も触ってもおりませんのに」


 紫釉(シユ)様は二人の間にちょこんと座り、今すぐにでも遊びたいと目を輝かせている。

 静蕾(ジンレイ)様はそっと陛下の手から碁石を抜き取ると、優しい声音で諭す。


「お食事が先ですわ。こちらは預かっておきますので、たくさん召し上がってください」


 給仕係の者たちが、すぐさま料理を運んでくる。紫釉(シユ)様の好物が並ぶ中、体に優しいあっさりとした味付けの麺や汁物も用意されていた。


「さぁ、紫釉(シユ)様。いただきましょう」


 六歳を迎えた紫釉(シユ)様は、食べる量も少しずつ増えてきている。おばあ様の前だからとはりきって箸を進める姿が微笑ましく、私と静蕾(ジンレイ)様は目を見合わせて笑顔になった。

 この日、采和殿(サイカデン)にはたくさんの笑い声が聞こえていた。


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― 新着の感想 ―
家で読んでて良かった〜。 こちらも涙が溢れます〜。 凛風、めっちゃ良い仕事したよ〜。 あとで、いっぱい蒼蓮様と素敵な時間を過ごして欲しいです〜。 そして、何をしても可愛い紫釉様っ!
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