縁談
数日後、兄から呼び出しがあった。
いつもなら向こうから後宮へやってくるのに、わざわざ呼びつけるということは先日の襲撃事件のことで何か話があるのだろう。
紫釉様は弓の稽古をしている最中なので、私はその休憩時間を利用して執政宮を訪れた。
蒼蓮様は大臣や地方大守らとの特別審議があるため、本日は夜まで戻らないと聞いている。
「柳凜風です。柳秀英を訪ねて参りました」
もうすっかり慣れたもので、私は執政宮への通行証を門番に見せて中へと入る。
女官服を着ていても、通りすがる官吏の多くは私が誰だか知っている。好奇の目、忌避の目など、向けられる視線は様々で、関わりたくないと目を逸らされることもある。
後宮で過ごしていると忘れがちだけれど、私は野心家の右丞相の娘なのだと改めて実感させられた。
執政宮の中は、二階から入ってすぐに大階段を上がり、兄がいる三階の執務室までは長い廊下が続いている。
茶色い扉の領域は、上級官吏が持つ仕事部屋だ。その奥にある黒い扉が蒼蓮様の管轄だという。
顔見知りの護衛武官と挨拶を交わし、そろそろ黒い扉が見えてくるかと思ったとき。
回廊を歩いてきた人物に声をかけられた。
「凜風」
叔父・朱哉嵐とその部下が一人、私に向けて笑顔を見せる。
確か、尚書らのいる部屋もこの近くだったか。
私は立ち止り、挨拶をする。
「先日ぶりですね、叔父上。まさかここで会えるなんて」
「ははっ、秀英が遣いを出していたのを知ってな、凜風がここを通るのではと思っていたのだ」
「まぁ、何か御用でしょうか?」
父への言伝だろうか、でもそれならば兄に伝えるだろうなと思いきょとんとした顔になる。
すると叔父は、自身の少し後ろに立っていた部下をちらりと見て言った。
「うむ。そろそろ凜風の嫁ぎ先についても考えなければと思うてな」
「え?」
嫁ぎ先?寝耳に水の言葉に、私は驚きを隠せない。
「皇后候補は回避できたが、その後のことが決まっておらぬであろう?政の道具にされとうなくて世話係を受けたとはいえ、ずっと一人身を通すのはよくあるまい。ならば、よき男を紹介してやらねばと思うたのだ」
叔父は、私と蒼蓮様のことを知らない。
だからこそ、このような申し出をしてくれているのだとは思うけれど、父に見合いを持ち込んでもはねつけられるとわかっているから直接機を見計らって当人を連れて来たということか……。
私は内心ではとても困ってしまったけれど、何も知らない叔父とこの部下の方に説明できる事情はない。
「あの、私はまだ縁談は」
そう言って断ろうとしたら、部下の方が一歩前に出て口を開く。
「初めてお目にかかる。朱尚書様の下で尚書見習いをしております、許 越と申します」
丸顔で優しそうなその人は、いかにも官吏といった真面目そうな風貌だった。
年齢は私とそう変わらず、17か18くらいだろうか。叔父がこうして紹介してくるくらいだから、とても優秀な方なはずで。
よき夫になりそうな優しい雰囲気がすでにある、と思った。
それに、私の父とは正反対の人だとも思う。
叔父は私の心を見透かしたように、柔和な笑みを浮かべて語った。
「男は、実直で穏やかな方がいい。許家はまだ歴史の浅い家ではあるが、柳家に比べると家格が劣るのはすべての家に同じこと。ならば、より凜風のことを大切にしてくれる相手を伴侶に選ぶべきだと思うてな」
「そ、そうでございますか……」
柳より上、となるとそれはもう皇族しかない。だからこそ、父は私を皇后選定の儀に出してまでお相手を見つけようとしたのだ。
そして現在、公にできぬこととはいえ、私は蒼蓮様の許嫁となっている。
万が一、私がこちらの許 越様に嫁ぎたいと言っても決して父は許さないことは容易に想像できる。
そんな私に気持ちにお構いなく、許 越様は情熱的な目で私を見つめて言った。
「柳家の姫君のことは、少なからず存じております。選定の儀でお姿を一目見たとき、なんと清らかで美しい女性かと思いました!まさかかような縁をいただけるとは思うてもおらず、光栄にございます!」
好意を持たれていることが伝わってきて、でも私はそれに応えることはできない。
じりっと一歩下がり、どうやってこの場を切り抜けようかと考える。
「叔父上。大変ありがたいお申し出ではございますが、私は勤め始めたばかりでしてまだ誰とも結婚は……」
必死に叔父に訴えかけるも、許 越様の熱は下がらない。
「待ちます!何事も、労せず手に入るものなどございませぬから!それに私はまだ十八です、あなたのためならば何年でもお待ちいたします!」
待たれても困ります、と喉から本音が出かけた私は、慌てて走ってきた兄によって助け出された。
「叔父上、これは一体何事でしょうか?凜風をこのような場所で引き止めるなど、父に知れたら面倒事が増えます」
「秀英」
兄は私たちの間に割って入り、愛想笑いでこの場を収めようとする。
「私も妹の今後については、案じております。ですが、うちの凜風は刀一本で獣とやりあえるくらいの猛者を夫に望んでおりまして、高望みが過ぎましてなぁ」
あははと笑う兄に向かって、叔父も呆れたように笑った。
「それは兄としても心配だな。なに、武官や官吏どもが凜風に顔を繋ぎたいと私のところへ来るのでな」
「そうでしたか。叔父上のご紹介くださる御仁であれば、お人柄も信頼できましょうなぁ」
「凜風、早いうちに許嫁を決めておく方がよい。後宮にいて、身分だけのよからぬ男に騙されたら目も当てれらぬぞ?」
身分だけのよからぬ男。叔父は明らかに兄の顔を見て、含みを持たせてそう言った。
それはまるで、蒼蓮様のことを指し示しているようで……。
蒼蓮様が女好きだという噂を叔父は信じていて、私たちがどうにかなるのを防ぎたいということ?
私が黙っていると、兄は叔父の持ってきた縁談に賛成だという態度をとる。
「本日、父は邸におります。私が戻り次第、許殿との縁談について父に話してみますのでどうかここは」
「そうか。凜風が邸へ戻り、直接願ってくれればと思うたが……。また何かあっては危ないか、そなたは秀英の説得に期待しておくがよいな」
──また何かあっては危ないか。
その言葉を聞いた兄は、纏う空気を一瞬だけ変えた。
だがすぐに笑みを深め、いつもの兄に戻る。
「私も凜風には、よき相手に嫁いでもらいたいと思うております。父の説得には力を尽くしましょう。では、私たちはこれで」
自然な笑みを浮かべ、兄はそう言った。そして私の背にそっと手を添え、この場を立ち去る。
しばらくの間、叔父上からの視線を感じていたものの、私たちは振り返ることなく廊下を進んだ。




