ずっとこうしていたい
女人たるもの、お家のために、夫のために、兄弟のために尽くせ。
これは、光燕国の常識である。
だとしても、これはあんまりだと思う。
控えの間には、幼女4人と私。
5大家からそれぞれ1名ずつ選出されたお妃候補は、御年5歳の少年皇帝のためにここにいる。
「ふぇぇぇぇぇん」
「姫、どうか泣き止んでください。そんなことでは、舞が披露できません」
ずっと泣いているのは、朱家の姫君だ。
朱家は柳家の縁戚で、広い目で見れば身内といってもいい。
どうやら、こちらの姫君はおとなしい性格で、このような場が苦手らしい。
まだ5歳だものね……。
良家の娘は、3歳頃から礼儀作法の師がつく。5歳なら、舞や歌、読み書きを習い始めたばかりだろう。
このような場は、10歳前後で経験するのが通常で、いきなり宮廷に連れて来られて泣いてしまうのは理解できる。
「ふぇぇぇぇぇん、帰りたいよー!」
私とこの子、どっちが帰りたい願望が強いかしら。
まるで同志のような気分になる。
なんだかかわいそうになってきて、私は彼女が座る傍らに跪いた。
本来なら、このような姿勢はとるべきではないけれど、相手が小さい女の子だから目線を合わせるにはこうする方がいい。
「姫、喉が渇きませんか?涙を拭いて、お茶でもご一緒しましょう」
「ひっく……ひっく」
話しかけると、じっとこちらを見つめてくる。
大きな目がかわいい!
ぷりっぷりの頬に、さくらんぼ色の唇。濃茶色の髪が左右に分けられお団子に結われていて、しゃらしゃらと飾りが揺れるのもまた愛らしい。
背格好から、多分うちの弟・飛龍と同じ5歳だろう。
弟はやんちゃだから、この姫君とはかなり違う。
あぁ、かわいい。
もうこんなところにいないで、一緒に甘味でもどうかと誘いたいくらいだ。
にっこりと微笑みかけると、彼女は口を開いた。
「り……?」
「柳凜風にございます」
私がそう名乗ると、幼子に代わって女官が恭しく述べる。
「こちらは、朱家の芽衣様です。昨年の夜宴で、柳家にお伺いしたこともございます」
どうやら面識はあるらしい。
とはいえ、向こうもこっちも顔や名前までは覚えていないんだけれど。
朱家には確か、三人の娘がいる。
おそらくこの子は、末姫だ。
私は自分の手巾を袂から取り出し、芽衣姫の目元や頬を拭う。
「大丈夫。何も怖くないですよ?今日は、皆で楽しく舞を踊って、歌を詠み、二胡を弾くのです。泣かなくても大丈夫です」
いくら名家の娘でも、まだこの年頃なら個々の性格が出てしまうのは仕方ない。
本来の性格が豪気だとよく言われる私だけれど、大勢の人がいる場や慣れないところに来ると怖くて泣いてしまう子の気持ちは想像できる。
私は後宮妃候補としては確実にはずれているので、競い合うつもりは毛頭なく、この子たちがなるべく健やかに過ごせるようにしてあげたいと思う気持ちが湧き始めていた。
女官に用意してもらった温かいお茶を、芽衣姫に飲んでもらい、私は椅子に座りなおして彼女を膝に乗せる。
「さぁ、何をして待ちましょうか?」
後ろからぎゅっと抱き締める姿勢を取ると、彼女は私の腕の中にすっぽりと納まる。
「とてもかわいい飾り紐ですね。お花は椿ですか?蝶もいますね」
子ども用の腰ひもを見てそう話しかけると、芽衣姫はうれしそうにはにかんだ。きれいな衣が着られることはうれしいみたい。
「まだ少し時間がありますので、楽しいお話でもしますか?それとも二胡を弾くので、舞の練習でもしましょうか」
この年頃の子が踊れる曲は、多くて5曲ほど。
私が二胡を弾き、皆で舞っていればこの子たちの気が紛れるかもしれない。
「お姉様が弾いてくれるの?」
「!」
芽衣姫からのお姉様呼びに、私の心はきゅんっと締め付けられる。
弾きます……!
お姉様はあなたのためなら永遠に弾いてもいい……!
音楽に興味も示さない実弟とは違って、芽衣姫の愛らしさに一瞬で虜になってしまった。
「お姉様が、いっぱい弾きますよ~」
思わず顔がへらりと緩む。
柳家の娘たる威厳なんて、しゅんっとどこかへ飛んでいってしまった。
「皆さんも、ご一緒にどうですか?」
芽衣姫を床に下ろすと、私は窺うようにこちらを見ていたほかの3人にも笑顔で声をかける。
控室には、柳家から運び込まれていた二胡が置いてあり、私はそれを手にして演奏の準備を済ませた。
「さぁ、まだ練習ですから、歌いながら舞を楽しみましょうね」
小さな姫君たちは私の言葉に素直に従ってくれて、広い控えの間の中央に並ぶ。
女官たちは、少しホッとした表情に変わっていた。
ここにいる女官もまた、私たちほどではないとはいえ良家の子女だ。
幼子の(しかも身分が自分より上)相手で、さぞ疲弊したに違いない。
あとどれくらい待ち時間があるかはわからないけれど、宴は正午からと聞いたので、太陽の高さからまだ余裕があると予想できる。
「では、春の曲から弾きますね」
私がそう告げると、4人の姫君は一斉に頷いた。
かわいい。
もういっそ、彼女たちの二胡の師になりたい。
柳家の娘が働くなんて、絶対に父が許さないけれど……。
あぁ、なぜ私はどこかへ嫁がないといけないのだろう。
ずっとこうしていたい。
そんなことを心の中で嘆き、二胡を構えたとき。
ふと隣室から視線を感じて、何気なくそちらに目をやる。
黒い扉の上半分は格子になっていて、おそらくそこには警備を担う武官がいる。
向こうの様子は見えないけれど、視線はそこからだろう。
「…………」
視線は気になるけれど、武官がこちらを見ていてもおかしくはない。
私はすぐに意識を姫君たちの方へ戻し、ゆったりとした音色を奏で始めた。