訳アリな人たち
蒼蓮様の宮は、後宮のすぐ裏側にあった。
十歳のときに建てられたというこの宮は、濃茶色の壁に朱色の屋根で皇族が暮らす場所にしては驚くほど簡素な外装だ。
「ただいま戻った」
蒼蓮様が、鎧を着た門番にそう告げる。執政宮から戻らない日も多いそうで、門番は蒼蓮様の姿を見ると少し驚いた顔をしていた。
「おかえりなさいませ。てっきり三日ほどは執政宮かと」
「あぁ。そのつもりであったが、ちと用事ができて戻ってきたのだ」
「さようでございますか」
笑顔でそう話した蒼蓮様は、ちょっとだけ振り返って私のことを門番に紹介する。
「柳 凜風だ。皇帝陛下の世話係をしている」
「お初にお目にかかります」
私が挨拶をすると、彼は心配そうな顔つきでこちらを見下ろした。
名乗り返さないということは、この人は平民なのだろう。宮廷にいる平民の門番は総じてこのような対応をするので、そういう決まりらしい。
蒼蓮様は「だいたい彼がここにいる」と私に告げ、ほかの門番が開けた扉をくぐり、中へと入っていった。
「…………」
すれ違う者が揃って不思議そうな目を向けてくる。
原因は、私が持っている夜食だわ。すぐにわかった。
よく考えてみたら、この状況はちょっとおかしい。
高貴な方の宮へ、夜食の竹の箱を抱えてお邪魔するなんて。
門番たちが「なんで夜食持って来てるの?」と目で言っているのも仕方ない。
麗孝様なら普通に問いかけてきそうだけれど、初対面の彼らが私に話しかけてくることはなかった。
さすがは皇族の宮、行き届いていらっしゃる……。
もういっそ聞いてくれればいいのに、と少しだけ思いながら、私は蒼蓮様の後ろを所在なさげについていった。
「こっちだ」
蒼蓮様はこの微妙な空気に気づかず、まっすぐに廊下を歩いていく。
煌々と灯る明かり。
長い廊下は、簡素な外装とは打って変わって煌びやかで幻想的な光景だった。
「きれい……」
銅でできた灯籠や飾り細工が吊るしてあるのを見て、私は思わずそう呟く。
紫釉様の寝所や私室にもある、鮮やかな色を付けたガラス細工もあった。
歩きながら、それらに目を奪われる。
「気に入ったか?」
「ええ、とても。これほど美しい細工物は見たことがございません。素晴らしいです」
感動を伝えると、蒼蓮様はあははと笑った。
「職人が聞けば喜ぶ。気に入ったのなら、持って帰ってもいいぞ」
気軽にそんなことを言われ、私は苦笑いになる。
「さすがにそれは……。だって、ここにあるものはこの宮を飾るために作られたのでしょう?とてもここに似合っていますから」
「そうか?」
「ええ。あ、でももし職人の方にお願いできるのなら、給金で買いたいです。母に贈りたいです」
文は書いたものの、きっと心配しているだろう。
皇帝陛下のお世話係を断れるはずもないけれど、私が家出したみたいに見えなくもないから、母のことを思うと申し訳なさが募る。
いずれ、罪滅ぼしに何か贈りたいとは思っていたのだ。
蒼蓮様は「わかった」とだけ告げる。
そして、一階にある調理場のような場所でその扉を開けた。
――シャッ……。
「雹華、いるか?」
かまどや資材が雑多に積まれた広い空間。蒸し暑い空気がぶわっと私たちを取り囲み、一瞬にして肌が汗ばむのを感じる。
床板はなく、土がむき出しになったそこには一人の女性がいた。
薄桃色の派手な衣を着た雹華様と呼ばれた方は、豪華な衣装を着ているのに、その袖を紐で縛り作業をするような格好だ。
肩より少し長い亜麻色の髪も、使用人のように後ろでまとめている。
彼女は蒼蓮様の呼びかけで振り返り、汗だくになっている頬やあごを手の甲で拭うと笑顔を見せる。
「あら、蒼蓮様おかえりなさいませ。こんな時間にめずらしい。……そちらは?」
「柳凜風。陛下の世話係だ。所用があって連れて来た」
年は二十代後半だろうか、にこりと微笑む姿が妖艶な雰囲気だった。
もしかして、蒼蓮様の恋人!?
私は慌てて挨拶をする。
「はじめまして、右丞相・柳暁明が娘、凜風にございます。このたびは、蒼蓮様に連行され……ではなく、紫釉陛下の茶を選ぶために参りました!」
雹華様はかわいらしく小首を傾げ、ぷるんと艶やかな唇を尖らせて言った。
「あら、あなたも訳アリ?蒼蓮様ったら、右丞相様から娘を奪ってくるなんてやるわね!」
訳アリ?
娘を奪う?
私は「とんでもない」と首を振って否定する。
当然、蒼蓮様も否定してくれた。
「凜風はここで暮らす者ではない。世話係だと言うたであろう?茶を飲みにきただけだ、あと夜食を食べに」
「ふぅん」
「何だ、そのおもしろくないという顔つきは。そうも訳アリの娘ばかりがおるわけではないぞ」
私はきょとんとした顔で、二人を見比べる。
雹華様はそんな私を見て、にこりと笑みを深めた。
メリハリのある体型や容貌だけでなく、全身から放たれる色香がすごい。
これは女でもどきりとしてしまう!
この方が蒼蓮様の恋人なのかぁ。
お似合いだわ。
そう納得したところで、すかさず横から否定された。
「違うからな?雹華はここで飾り細工や衣装を作っている職人だ」
眉根を寄せた蒼蓮様は、勘違いされると迷惑だという雰囲気を漂わせる。
「職人ですか?もしや、廊下にあったものや陛下のお部屋にある物は全部……?」
驚いて目を瞠ると、雹華さんはうれしそうに頷く。
腕組みをしたその腕にはとても逞しい筋肉がついていて、本当に職人なんだと見てとれた。
「雹華を含め、ここは3人の女人が仕事場として使っている。皆、訳アリだが、放逐するには惜しい技術を持っておるのでこうして雇っているのだ」
確かに、あれほど美しい飾り細工を作れる腕はそういない。
訳アリということは、家が没落したか何か不祥事があったか、聞かない方がいい事情があるのだろうな。
「私がここで寝泊まりすることはない。執政宮にある私室で暮らしていて、言うならばここは彼女たちの職場と住まいだ」
「あ、もしや皆さんが宮にお住まいだから、女好きだと噂が?」
私の疑問に、蒼蓮様は笑顔で「そうだ」と答えた。
「ちょうどよかったからな。彼女たちの承諾を得た上でだが、利用させてもらった」
つまり、恋人ではないと。
こんなにきれいな人がいるのに、ちょっともその気にならないのかしら?
思っていることが顔に出ていたのか、雹華様が苦笑いでひらひらと手を振る。
「ないない。蒼蓮様は屈折してるから願い下げよ」
「屈折」
「あなたもこの人のこと、好きじゃないんでしょ?この人ったら、自分のことを好きな女は絶対にそばに置かないもの。皇族のくせに結婚もしないで、困ったものよね~」
からかうようにそう言った雹華様に対し、蒼蓮様はじとりとした目を向ける。
「そなたにだけは、屈折してるなどと言われたくないぞ。ほら、そんな下らぬことはいい。凜風がそなたの作った細工物を気に入った、母に贈りたいと」
「まぁ!そうなの!?うふふ、柳家の姫君に認められるなんて、さすが私ね!がんばって作っちゃうわ!で、で、で、何が欲しいの?」
勢いよく迫ってきた雹華様は、本当にうれしそうだった。職人としての情熱が感じられる。
私は少し背を仰け反らせて答えた。
「あの、えっと、吊るしの灯籠か茶器などがあるとうれしいのですが」
「わかったわ」
「え!早い!いえ、でも私の給金で買えるくらいの物という条件ではありますが」
「もう~、私とあなたの仲じゃないの」
初対面ですが!?
反応に困っていると、蒼蓮様が私を庇うように間に入って止めてくれた。
「雹華、凜風が困っておる。この娘は後宮に来たばかりで、そなたのような押しの強い女人には耐性がない」
「あら、そう?」
「また後日、そなたが凜風の部屋へゆけ。仕様はそのときに決めればよい」
蒼蓮様の提案で、後日また二人で話をすることが決まる。
雹華様は、ここ数日は制作が詰まっているそうで、私も紫釉様のお世話があるのでちょうどいいと思った。
「では、また」
早々に作業場を出る蒼蓮様に続き、私も会釈をして廊下へ出る。
扉を閉めると、ひんやりした空気が心地よい。
「作業場は好かん。暑すぎる」
「そうです……ね!?」
首元を寛げ、顔を顰めた美丈夫がとてつもない色香を放っている。
恋なんてしたことがない私でも、思わずくらっとしてしまうほどの妖艶さだわ。(しないけど)
「食堂はあちらだ。そなたは食事もまだだったな、行くぞ」
「は、はい」
足早に歩き始めた蒼蓮様。
私は夜食の籠を抱えながら、パタパタと走るようにしてついていった。
5月17日発売!
「皇帝陛下のお世話係」ノベル2巻&コミックス1巻
ノベル版は半分くらい書き下ろしで、新しいエピソードが満載です♪
紫釉様の成長や凛風の仕事ぶり、蒼蓮の深まる愛情と不憫がより楽しめる内容になっております!
どうかお楽しみください!
漫画版では、吉村悠希先生の描く麗しい世界観が最高です。
お兄ちゃんと蒼蓮の不憫かっこいい姿よ……!( ノД`)煌びやかな中華の世界、詰まってます。
なお、小説版もマンガ版もずっと名前にふりがなついてます。読めない・覚えられないが解消されて、ストレスフリーな中華をお楽しみいただけます。
ありがとうございます、スクウェアエニックスさん…!
※アニメイトさんなどでの特典配布は、なくなり次第終了です。
◆◆◆◆◆
1巻発売中!
『嫌われ妻は、英雄将軍と離婚したい!』
(ISBN:978-4758094191)




