まともな選択肢をください
思い返せば2ヶ月前。
多忙を極める父がめずらしく夕げの場に現れ、しかも食後に「部屋へ来い」と言ってきた。
17歳という年齢を考えると、どこぞの家に嫁げと言われるのだろうかとは予想できる。
5大家のうち、最も権力を持つ柳家の娘だから、己の意思で嫁ぎ先を決められないことは幼少期からわかっていた。
だから、諦めに似た感情で父の部屋へ向かう。
漆塗りの扉を開けると、椅子に座る父の正面に兄が立っていて、彼もまたなぜ呼び出されたのかはわかっていない様子で。
私の顔を見ると、ほんの少しだけ笑って見せる。
私も軽く笑みを浮かべ、兄を見る。そんな私たち二人に向かって、父は淡々と用件を告げた。
「凛風が、皇后候補として選定の儀に出ることが決まった」
「「………………は?」」
皇后候補。
選定の儀。
これほど言葉が頭に入って来なかったことはない。
兄も同じく身動きを停止していて、「は?」以外の感想が出てこないようだった。
皇帝陛下は、御年5歳。
2年前に先代皇帝が30歳という若さで亡くなり、皇妃様は昨年祖国へ戻られた。
現状、政を担っているのは先代皇帝の実弟である蒼蓮様と聞いている。
蒼蓮様は、皇帝代理官であり、最高位執政官であり、皇帝陛下をのぞく唯一の皇族だ。
兄は、その蒼蓮様の執政宮で上級官吏として働いている。
皇后選びなんて兄の方が状況に詳しいはずなのに、「妹が皇后候補に」という話は今初めて耳にしたらしい。
兄は「冗談ですよね?」とでも言いたげに、顔を引き攣らせながら尋ねる。
「父上」
「なんだ」
「凛風は17ですが?」
「知っておる」
兄の疑問はもっともだ。
けれど、父はすべてわかった上で私に皇后を目指せという。
「妹に、お飾りの妃になれと……?」
兄の声は少しだけ震えていた。
普段はへらへらしていて、厳格な父にまるで似ていない兄が、こんなに動揺しているのは初めてだ。
「凛風は見た目こそ貞淑な娘ですが、少々、いや、かなり、物言いに遠慮がないので皇后には向かぬと思います」
そう言って思いとどまらせようとする兄に対し、父はいつも通り顔色一つ変えず答える。
「柳家のためだ。それに、まだ皇后になれると決まったわけではない。選定の儀に出ることは決まったがな」
このとき、父から「選定の儀で舞や二胡を披露すること」、その場には「5歳の皇帝陛下や蒼蓮様、国の重鎮たちが参加すること」を聞かされた。
顔を顰める私の隣で、兄は懸命に反対する。
「父上は、どうかなされたか!?いくら皇后でも、凛風を5歳に嫁がせるなど……!陛下が心労で早死にしたらどうするのです!?」
ひどい言われようだわ。
さすがに5歳の皇帝陛下を虐げるなんてしないわよ!
私は兄をじとりとした目で睨む。
「昨年、凜風に見合いさせたことを忘れましたか?相手がせっかく乗り気だったのに、話が長いからといって『その話はいつ終わりますか?』と面と向かって尋ねたと……」
過去のことを蒸し返す兄に、私は反論した。
「他者を悪しざまに言うことで、己の評価を過剰に上げようとする男性は好きになれません!あの方はわたくしに『すごいですね』『素敵ですね』と持ち上げて欲しかったのでしょうが、ほぼ捏造された自慢話や他者への嘲笑を長々と聞かされては文句の一つも言いたくなります」
「そ、それは」
「それにあの方は、兄上のことも悪く言うたのですよ!?『柳家の跡取りとして宮廷で女官に声をかけすぎるのは笑いを誘う』などと……!」
見合い相手の兄を小ばかにするなど、常識が欠如しているとしか思えない。
あんな人と一生を共にするのは、いくら何でもお断りだわ。
「凜風は、私を庇ってくれたのか?」
兄は眉根を寄せて、そう尋ねる。
「いえ、それは本当のことですので流しましたけれど」
「そこは庇って!?反論して!?」
懇願する兄を無視して、私は父に目を向ける。
「皇后候補として宴に出ることは、ご命令ですか?」
父は、やはり淡々と答えた。
「まだ決まってはおらん。それに、選択肢はやろう」
ぎろり、と鋭い目が私に向けられる。
有無を言わさぬ圧力。慣れているので怖くはないけれど、父の用意した選択肢がうれしくないものであることは確かで、私は緊張感に包まれた。
「選択肢は、3つだ。1つめは、選定の儀で皇后に選ばれること。2つめは、その場に同席なさる蒼蓮様に見初められること」
え、蒼蓮様に?
私は思わず怯む。
先代皇帝の弟君である蒼蓮様は、24歳。
直接お会いしたことはないけれど、女官たちがこぞって熱を上げているかなりの美丈夫だと聞いている。
そして、無類の女好き。
ご自身の宮殿に、身分問わず麗しい女性を幾人も囲っていると噂だ。
蒼蓮様の部下である私の兄も、女性とみれば口説くような女好きなので、上官と部下が揃って……と政の心配をしたくらいだ。
とにかく手を出す、という蒼蓮様なら私を己の宮殿に入れてくれる可能性は無きにしも非ずだけれど、これまでにも父は積極的に私を売り込もうとしていたはずで。
でも蒼蓮様は、私との見合いに決して頷かなかった。
会ったことがないから、私の容姿が好みじゃないっていう理由ではないだろう。
もしかすると、5大家のようなお堅い家柄の娘に手を出すつもりがないのかもしれない。
そうだとしたら、私が柳家の娘である限り可能性はゼロだ。
それに私だって、最初から女好きで愛人がわんさかいるような人に嫁ぐのは嫌だ。
さすがに、前評判はそれなりにいい人でお願いしたい。
父が提示した選択肢は、1も2もあってないようなものだった。
私の心情を悟った父は、ついに3つめの選択肢を口にする。
「3つめは、李家の睿殿に嫁ぐこと。年は21歳、武官で頼りがいのある男だと評判はいいぞ」
「「李家!!」」
私と兄の声が重なる。
それもそのはず、李家は長年のライバルといってもいい相手で、表面的には友好を示しているが、家同士の確執は大きい。
その李家の長男である睿様に私が嫁ぐとなると、実家に情報を流すために無理やり押し込まれる潜入妻ということだ。
向こうも私のことは人質として扱うだろうし、とてつもない緊張状態で暮らさなければならない。
兄は、私より青白い顔で言った。
「睿殿はよき御仁ですが、李家はないでしょう……」
ですよね。私もそう思います。
でも、父が言うことには逆らえない。これまでだって、父が考えを覆したことは一度もない。
「どうする?凛風」
父は、私が逆らえないとわかっていて返事を迫る。
悔しいし、嘆かわしいし、力のない自分が嫌になる。
当然のことながら、どの選択肢でも飢えることはないだろう。
これまで通り、豊かな暮らしができる。
だとしても、あまりに心が晴れない。
5歳の皇帝か、浮気者か、敵地に飛び込むか。
どんな選択肢なの!?
酷くない!?
心の中で散々に喚き散らすも、家長の言葉は絶対。
私に選べる道はなく─────
「選定の儀に、参加いたします……」
力なく項垂れて、そう答えるしかなかった。