不器用な美丈夫
格子扉を引く音が、静かな廊下にスッとなじんで消えていく。
前を歩く蒼蓮様の後を、私は黙って歩く。
紫釉様と蒼蓮様の初めての朝餉は、ぎこちない空気のまま終わった。
甥と叔父というよりは、皇帝と臣下という関係性が強いのだろう。見ていてそう思う。
今のところ二人を繋ぐものはあの蜜菓子だけで、蒼蓮様はすぐに部下に命じて取り寄せるらしい。
何だかちょっといじらしく思えてきたわ……。
その広い背中を見つめ、私は「また明日がありますよ」と心の中で励ましてみる。
後宮と執政宮を繋ぐ渡り廊下まで来ると、ずっと黙っていた蒼蓮様がその足を止めて振り返った。
私の顔をじっと見下ろすと、何か思い当たることがあったようでぽつりと言った。
「……兄に会っていくか?」
「はい?」
突然の提案に、思わず間の抜けた声が漏れる。
いきなり何を言うのかと戸惑っていると、待っていた官吏に「先に戻れ」と命じた蒼蓮様は私をまっすぐに見下ろして言った。
「いや、何か話すこともあるかと思って……」
あぁ、ご自分が紫釉様と過ごす時間を持ったことで、私にも兄と話した方がいいと?
柳家の兄妹は、特にすれ違っていないんですが……。
その不器用さとズレた発想に、私はクスクスと笑ってしまった。
「私たちは子どもの頃から同じ時間を多く重ねてまいりましたので、今さら会っても大して話すことはございません。お気遣いはうれしゅうございますが、そのお気持ちだけでけっこうです」
「そうか」
少し離れた位置にいる麗孝様も、笑いを噛み殺しているのが見える。
蒼蓮様は気まずそうに目を伏せた後、小さく息をついて笑った。
「また明日、今度はもう少し何か会話が弾むよう努力しよう」
「はい、そうしてくださいませ」
紫釉様はまだ混乱しているだろうけれど、毎朝一緒に過ごすと次第に打ち解けることもできるはず。
蒼蓮様は、不器用なだけで本心は紫釉様を想っているのだから……。
「うまくいかぬものだな。幼子との会話がこんなにも気を張るものとは思わなかった」
「ふふっ」
父をやり込めたこの人が弱音のようなことを口にするのは、私の笑いを誘う。
噴き出してしまった私を咎めることもしない蒼蓮様は、心底困っているように見えた。
「仲良くなりたい、と正直にお心を話すのもよいかもしれませんよ?幼子は、よくも悪くも直接的な物言いをすると信じますので」
「ふむ、考え過ぎたのかもしれんな?私は」
「ええ、そのように思えます」
蒼蓮様が言うには、皇族は常に相手が自分より上か下かで対応を変えるよう教わるのだとか。紫釉様はこの国の頂点であるため、蒼蓮様からすれば敬う相手に当たる。
彼が望むように動くのが自分の役目であり、そこに叔父と甥の関係を持ち込むのは頭が追い付かないようだった。
「皮肉なものだな。これまで紫釉陛下を守ろうとしてやってきたことが、距離を置くことに繋がっていたとは。決して間違ったことをしてきたとは思わんが、こうも初手から躓くと先の見通しが立たぬ」
その顔は難問を前にした執政官で、家族のことを話す姿には到底見えない。
つかみどころのない人だと思ったけれど、根はまじめで融通の利かないところがあるのかも。
この悩んでいるお姿を紫釉様が見たら、どう思うだろうか。
自分のためにここまで悩んでくれる人がいることは、とても幸せなことだなと私は思った。
「何事も、時間をかけてじっくり煮詰めるのがよろしいかと。私たちからも、蒼蓮様のよきところを紫釉様のお耳に入れるなどしていきますので。ほら、蜜菓子も気に入っておられたので印象はよくなっていると思いますよ?」
笑顔でそう言うと、蒼蓮様は軽く首をひねる。
「私のよきところ……?この容姿と執務に取り組むこと以外に、5歳の気を引けそうな美点があるか?」
「あぁ、それご自分で言っちゃうんですね」
「真であろう」
はい、そうですね。
私は沈黙で肯定した。
そしていたずら心から、私も同じように首を傾げる。
「考えてみると、確かにそのほかのよきところが見当たりません」
「おい」
「冗談です。蒼蓮様は紫釉様のことを大切に想っているではありませんか。朝餉のことも、ほかのご予定を調整してお時間を作ってくださったのでしょう?そうまでしても、紫釉様に会いたかったのだと、大事に想っているのだということはよきところにございます」
笑ってそう言えば、蒼蓮様もまた柔らかく微笑んだ。
「そろそろ行かねば」
「はい。それではまた明日」
私が恭しく合掌すると、蒼蓮様は颯爽と衣を翻して背を向ける。
数歩進んだのち、ふと何か思い出したかのようにこちらを振り向いた。
どうかしたのかしら、と目を瞬かせていると、彼は目を細め妖艶な笑みを浮かべて言った。
「凜風。紫釉陛下のこと、よろしく頼むぞ」
驚きで息を呑み、しばらくの間、私は呆然とその背を見送る。
今、「柳家の娘」ではなく名前で呼ばれた……?
胸の奥が熱くなり、私は感動で両手の組みきつく握る。
「よかったな、蒼蓮様の覚えがめでたくて」
いつの間にか隣に来ていた麗孝様が、からかうようにそう話しかけてくる。
私は喜びを噛みしめるように言った。
「これって永続雇用に近づいたってことですよね!」
「え?そっち?」
「そっちって、何と何がそっちなのです?」
「いや、まぁ、凜風が喜んでるならそれでいいか」