朝餉のひととき
紫釉様は、毎朝決まった時間に朝餉を召し上がる。
そのときそばにいるのは、給仕専門の使用人女性2名と静蕾様、私という少人数の世話係だ。
「おはようございます、紫釉様。本日より朝餉をご一緒いたします」
「おはようございます……?」
笑顔でやってきた蒼蓮様は、いつもよりは少し簡素な衣装で、長い髪を高い位置で一つに結い、「これは非公式な時間ですよ」とアピールする姿で現れた。
昨夜のうちに、朝餉をご一緒するという予定は伝わっていたのだが、事情が飲み込めない紫釉様は「???」となっている。
朝、本当にやってきた蒼蓮様を見ても、「本当に来た!」と驚いていた。
私の報告を受けた彼がさっそく行動に移してくれたことはうれしく思うものの、妙な緊張感が漂っていてこちらも緊張してしまう。
兄から届いた文によると、蒼蓮様は紫釉陛下からの信頼を回復したいと思っているとのこと。「おまえがしっかり支援するのだぞ」と書かれていたが、皇族の食事中に私ができることって何?
仲良くなりたいのなら、会話を重ね、大切に想っているという気持ちを伝えていくしかないような……。
お二人は席に着き、さっそく並べられた食事に手を付け始める。
「蒼蓮」
「何でしょう?」
はまぐりと根菜の汁の入った椀に口をつけた後、紫釉様が上目遣いに叔父を呼んだ。その瞳には、混乱と窺うような心が浮かんでいる。
「どうして朝餉を一緒に食べるのだ……?」
あぁ、5歳が遠慮がちに……!!
壁際に控えている私と静蕾様は、もどかしい気持ちで見守る。
蒼蓮様はおおげさなほどににこにこと微笑んでいて、まっすぐに紫釉様を見て答える。
「紫釉陛下に、会いたいと思ったからです」
「「──っ!!」」
花びらでも舞っているかのような美しい笑みと優しい言葉に、給仕の女性たちが一斉に胸を押さえて苦悶の表情を浮かべた。
静蕾様が、そっと彼女たちを扉一枚隔てた奥へ促す。これ以上は危険と判断したらしい。
一方で、紫釉様はきょとんとしている。
「我に、会いたい?」
戸惑いが見て取れる。
紫釉様の混乱ぶりを見ていると、私が想像しているよりも二人の関係は溝ができていたのかもしれない。
うちの飛龍なら、会いたいと言われると素直にそれを受けとめ、疑いもしないだろうな。
だって、5歳という年齢ならまだ自分が皆に愛されて当然だと思っているから……。
でも紫釉様のお心は、蒼蓮様に嫌われているかもしれないと揺れている。
いきなり朝餉を……とやって来られても、「なぜ?」と疑問に思うのは仕方ないし、会いたかったといわれても信じていいのかわからないんだろう。
物静かな性格もあり、紫釉様はじっと蒼蓮様を見つめている。
「「………………」」
もしかして、会話は終了なの?
長い長い静寂の後、二人は目の前にある料理に箸をつけ、黙々と食べ進める。
ちらりと隣を見ると、静蕾様が蒼蓮様をじとりとした目で見ていた。
何か話しかけなさい、とその目が言っている。何しに来たんですか、とも言っているような気がした。
気づきたくなかったけれど、もしや蒼蓮様は子どもの相手が苦手なの?
単に経験不足なだけで、不得手ではないと願いたい。
しばらくすると、さすがに蒼蓮様も「これはまずい」と思い始めたのか、その表情に少し焦りの色が滲み始めた。
さては、さきほど「会いたいと思った」と伝えれば紫釉様が喜んでくれると思っていたのですね?
それが思ったような反応でなく、この空気をどうすればいいか考えあぐねていると。
ため息をどうにか飲み込んだ私は、茶器を手にそそそっと蒼蓮様のそばへ近づく。
そして、茶を注ぐタイミングで囁いた。
──大蛇退治の絵巻、もしくは蜜菓子の話を……
紫釉様が好きな大蛇を退治しに行く物語は、この国の男児ならだいたい知っているお話だ。
共通の話題がないときは、物語か食べ物の話をするに限る。
蒼蓮様は茶を飲むと、紫釉様に満を持して語り掛けた。
「大蛇退治の絵巻はもう読まれましたか?」
その言葉に、顔を上げた紫釉様は目を丸くする。
「読んだ」
こくりと頷き、一言だけ告げた紫釉様。
返答があったことに満足げに笑った蒼蓮様は、安堵を露にする。
「そうですか」
「うん」
「そうですか」
「うん」
話を広げてっ!!
静蕾様と私は、じれったい気持ちをぐっと堪えて壁際に佇む。
いつしか、二人の前にある膳はほぼ空になっていて、朝餉の時間が終わろうとしていた。
紫釉様は柘榴の粒を匙で集め、いつもより早いペースで完食しようとしている。
それを見ていると、父が朝餉の場にいるときは、兄が異様に早く食事を終えて席を立つのを思い出した。
蒼蓮様はもう今日の朝餉については諦めたのか、虚ろな目をして箸を置いている。
諦めないでくれます!?
私は心の中でそう訴えかける。
するとここで、静蕾様が動いた。
「紫釉様、こちらの菓子がまだ残っておりましたのでどうぞ」
皿に敷いた紙の上に載ったそれは、昨日も紫釉様が口にした蒼蓮様のみやげだった。口に入れると蜜が蕩ける甘い菓子に、紫釉様もとても喜んでいたのが思い出される。
「これは、蒼蓮が我に買うてきてくれたのだと凜風に聞いた」
紫釉様の言葉に、蒼蓮様は「ええ」と小さく頷いた。
自発的に紫釉様がしゃべったことに虚を衝かれたみたいに見える。
「ありがとう、おいしかった」
窺うような目でそういうと、蒼蓮様はわかりやすく喜びを表情に出す。
「はい……。はい、またお持ちします。今日も、明日も」
紫釉様は蜜菓子を口にして、やっと緩んだ顔つきになった。
甘味は、平穏をもたらしてくれると覚えておこう。
ホッとした私たちは、官吏の男性が蒼蓮様を呼びに来るまでずっとお二人を見守っていた。