3.電脳世界へようこそ
ベッドに寝転がりながら、ミーチューブのお気に入り動画を夜遅くまで眺める。玲央奈の日課だ。
― よかった。動画消えてない。
今朝の高梨マリの演技の動画を片っぱしからお気に入れに登録した。
イギリス、アメリカ、カナダ、ロシア、イタリア、スペイン、ドイツ・・・各国の中継をはしごするのだ。言葉は分からなくとも興奮を共有できる。
何か国目だろうか。夜もだいぶ遅くなった。
急にスマホの画面が止まり、読み込み中を示すアイコンがぐるぐると回っているだけになると、やがて砂嵐のようなノイズが映し出された。
― あれ、削除されちゃったかな。
ガー、ガー、ピー、シャー、シャー、プー
「ビコン!」
突然大きな音がしたと思ったら、砂嵐の真ん中に小さな穴が現れ、スマホの中央からまばゆい光が放たれた。
― なんだろう、この光。
コインほどの大きさの光の円は、目まぐるしいスピードで面積を拡大させて行き、あっという間に画面全体を覆った。
その刹那。
スマホを見ていた玲央奈の体が、頭からダイブするように画面に吸い込まれていった。
― 空を飛んでいるみたい。
光のトンネルを駆け抜ける玲央奈に、恐怖は不思議となかった。風を切る轟音も耳に心地よい。
― 夢なのかな?夢なら夢で楽しもう。何か楽しいことが待っている気がする。
真っ白だった光の先に何かが見えた。半円形の物体はどんどんと大きく視界に入ってくる。
― スタジアムだ。
― このままだとぶつかる。
巨大なスタジアムに物凄い勢いで飛んでくる玲央奈が近づくと、衝突ギリギリでその正面入口が大きな音を立てながら開いた。
ひと安心した玲央奈のスピードは落ちることなく、その体がホールから通路へと駆け抜けていく。
すると、またもや大きな扉が目の前に現れた。
頑丈なつくりの両開きのドアが、やってくる玲央奈に合わせて動き出すと、キラキラと光る輝きに彼女は
一瞬目を閉じた。
― スケートリンクだ。
目を開くと、視界の先には眩いばかりの真新しい氷が遠くの方まで続いている。
空を飛んでいたはずの玲央奈の体も、いつの間にか二本足でふわりとリンクサイドに降り立っていた。
「いらっしゃーーーい!!!」
― わあっ。
突然の叫び声に驚いた玲央奈は一瞬たじろいだ。
声の主は細身の女性だ。ピンク色の髪を結んで、銀色のトップとミニスカート姿。
「電脳フィギュアスケート(DFS)へようこそ!新入りさん。」
「DFSは、フィギュアスケートを愛する人たちの思いによってつくられた、フィギュアスケートの楽園です。」
「あなたも、自分で滑ってみたい!こんなプログラムを作り上げたい!そう思ったことあるわよね?」
「ここDFSならぜーんぶ自由自在。もちろんあなたの努力次第だけどね。」
「スケーターとしてのもう一つの人生を体験しましょう!」
「でんのう……?」
口早にまくしたてるド派手な衣装の女性の迫力に玲央奈は圧倒された。
「私の名前はララ。この世界の案内人よ。とは言っても受付担当だからあんまり技術的なことは聞かないでね。」
「さっそく、スケート靴を履きましょう。そこの台に乗ってね。」
言われるがまま、玲央奈は体重計のような四角形の台に乗った。
そのとき、自分が裸足だったことに気が付いた。
― そういえばベッドの上にいたんだっけ。
もやのような光が玲央奈の両足を包み込むと、10秒ほどで彼女の両足はタイツの上にスケート靴を履いている状態になった。
「すごいですね!これ。なんか本物のスケーターみたい。」
玲央奈は嬉しさで小躍りした。
「みたい、って。もうあなたは立派なフィギュアスケーターなのよ。」
「さあ、リンクに上がりましょう。靴ひもは自分で調節してね。人によって好みがあるのよ。氷に乗る前にブレードのエッジカバーは外してね。」
ペンギンのようにたどたどしくリンクサイドまで歩いていった玲央奈は、リンクへ向かう選手の映像を思い出しながら、道具でカバーをさっと外してリンクに上がった。
「初めてなのにスムーズね。結構難しいのよ。よっぽど試合映像を見てるのね。これは期待できるかも。」
氷に乗った玲央奈は早く滑り出したくてうずうずしていた。
「もういいですか?」
「あら、ごめんなさい。さあ、思うがままに滑ってみて。それによってあなたが所属するコースが決まるからね。」
「コース?」
よく分からないが、玲央奈は滑り出した。
ひとストローク、ひとストローク、どんどん加速していく。
― 気持ちいい。私も風になってるかな。
何度も見た高梨マリの美しく力強いスケートを心に思い浮かべた。
「ただ者じゃないわね……。」
ララは、縦横無尽にスケートリンクに弧を描く玲央奈の才能に驚いた。
これ以上実力を測る必要はない。一発合格。
「もういいわ!あり…。あ!」
テストが終わったことを伝えようとした、その矢先。
滑り続ける玲央奈は、突然前を向いたまま左足を踏み切った。
高く跳び上がった玲央奈の体は、そのまま1回転、2回転…したところで、バタンと地面に落ちた。ド派手な転倒。
「痛ったー!」
ララが空を飛んでリンクの中央に駆け寄った。
「大丈夫?あなた今アクセルジャンプを跳んだわね。」
「いたた……。電脳世界でも転ぶと痛いんですね。トリプルアクセル行けるかなーって思って。」
「トリプルアクセルですって!?最初のテストで跳ぼうとしたのはあなたが初めてよ。」
「さっきのジャンプもあと半分回ればダブルアクセルが認められてたわ。ダブルだって何年もかかるのが普通なのよ。」
「七沢玲央奈。あなたはとんでもない才能の持ち主ね。」
「えへへ。」
転んだ痛さよりも、才能を褒められた嬉しさと誇らしさに玲央奈の頬が緩んだ。
なにより自分のフィギュアスケートに対する愛情が認められた気がした。
ララは、タブレットに何か打ち込んだかと思うと、玲央奈に再び声をかけた。
「さあ、リンクサイドに戻りましょう。」
「あなたはエリートコース所属に決まりました。ゆくゆくは世界選手権やオリンピックを目指してもらいますからね。」
― 私が、オリンピック。
これが全て夢だとしても、体験してみたいと玲央奈は思った。